ただひたすら剣を振る、そして補習授業も受ける。

 東の空に太陽が顔を出した頃。

 ちゃちゃっと朝食を済ませた俺は中庭で木刀を振っていた。



「ふんッ、ふんッ」



 理由わけあって学生寮ではなく学院長――ジェシカさんの家に居候させてもらうことになったのだが、なんやかんや楽しくやっている。


 王都に引っ越してきてから早くも一週間が過ぎたが、ここでの生活にもだいぶ慣れてきた。


 引っ越してから今日までの間、俺が何をしていたのかというと……勉強である。

 点数は言えないが、なんと筆記試験で最低点(受験生の中で)を取ってしまい、毎日みっちりとノーラ先生から補習授業を受けていた。


 こうして時間を見つけては剣を振ったり、ハウゼン師匠や父さん、時にはキンググリズリーを相手に幻想稽古イメージトレーニングしたり、修行に励んでいるが――あくまで最優先事項は、入学式までに俺の学力を少しでもマシにすることだった。



「ふんッ、ふんんッ」



 ちなみに居候先の家主であるジェシカさんは本当に忙しいらしく、今日も朝早く屋敷を出て行った。どこへ行ったのかはわからない。


 そうだ。少しジェシカさんの生活力の無さを愚痴らせてほしい。共同生活が始まってすぐの頃の話だ。


 屋敷の中は散らかり放題で、三食すべて外食。本人いわく【清浄光プリフィケーション】の魔法で清潔を保っているらしいが、放っておいたら風呂にも入らない。


 一日目、二日目、三日目と耐えていたが、さすがに見ていられなくなり、家のことは出来る範囲で俺がやることにした。


 まず取りかかったのは屋敷の片付け。そして毎日の自炊、風呂掃除。

 こうして俺が頑張ることで、ジェシカさんにも良い影響が出ることを願っている。



「――ッ!」



 これはいけない。剣筋が乱れている。

 素振りを一時中断し、姿勢と心を整える。



「…………」



 再び木刀を構え、素振りを再開する。

 一切の雑念を払った俺の耳には、呼吸の音と、木刀が風を切る音しか届かない。

    

 どれほどの時間が経っただろう。

 無我の境地に至ると、時間の感覚が狂う。


 と、その時だ。



「あっ、やっぱりここにいた。おーい、ギルバートくーん!」



 小鳥のような明るい声が、無我の深い沼に浸る俺を引っ張り上げる。

 この声の主は――



「ノーラ先生。おはようございます」



 俺の補習授業をしてくれているノーラ・ヴァートン先生だった。



「はい、おはようございます! ……じゃ、ないですよもう! 今、何時だと思ってるんですか! 授業を始めますよっ」



 ノーラ先生がぷんすか怒っている。桃色の髪が逆立っているように見えた。でも、まったく怖くない。



「すいません。もうそんな時間ですか?」

「もう九時過ぎてますよ! 剣を振るのはいいことですけどね、今はとにかくお勉強を頑張ってもらわないと困るんです!」



 そうか。じゃあ俺はかれこれ三時間近く剣を振っていたのか。相変わらず時間の感覚がわからなくなる。

 俺は姿勢を正し、中庭に一礼する。



「ちょっと着替えていいですか? 急ぎますんで」

「わかりました。お部屋の外で待ってますので、着替え終わったら教えてくださいね!」



 俺の鼻先に人差し指をびしぃと突きつけ、ノーラ先生が鋭い視線を向けてくる。でも、まったく怖くない。


 そして着替え終わった俺は、いつもと同じように二階の部屋で補習授業を受ける。

 今日の補習内容は苦手な【魔法理論マジックセオリー】だったので、昼までの数時間がとてつもなく長く感じた。時間というのは不思議なものだ。



「――はいっ。では今日の授業はここまでにしましょう! お疲れ様でした」



 ぱたんと教科書を閉じ、ノーラ先生は礼儀正しくお辞儀する。

 その瞬間、俺は机に突っ伏した。頭が重い。うめき声しか出てこない。



「うふふ、よく頑張りましたね」

「……騎士学院でもあるんですね、魔法理論の授業」

「それはありますよ。今の時代、優れた正騎士は優れた魔法士でもあります。その逆もしかり、頑なに武器を持たなかった魔法士たちでさえ、今は武装しているのですから」



 魔法が得意な母さんの才能は受け継がなかったようで、俺は魔法が大の苦手だった。初級魔法がいくつか使えるだけで、それより難しい魔法は使えない。


 父さんもそういうタイプなので、魔法に関しては父さんの遺伝子を受け継いでしまったらしい。



「生きづらい世の中です」



 机に突っ伏したまま、俺は顔だけ左に向ける。

 ノーラ先生は困ったように笑っていた。



「ところで午後の授業はなんですか? できれば魔法理論以外でお願いしたいんですけど」

「そういえば言ってませんでしたね。今日の午後はお休みです」

「マジですか!」

「きゃあ!? きゅ、急に立ち上がらないでくださいよっ。ビックリするじゃないですかっ!」

「あ、すいません」



 見た目だけじゃなく驚き方も可愛らしい先生に謝罪し、俺は再び腰を下ろす。

 敬意と親しみを込めて、彼女のことは『幼女先生』と呼ぶことにした。心の中でだけな。



「学院長にお仕事を頼まれてしまいまして、ギルバート君を見てあげることができないんです」

「そうなんですね。いやー残念だなー」

「……本当に残念に思ってます?」



 俺は全力で首を縦に振る。



「まあいいです。で、ここからが本題なのですが、学院長からギルバート君に伝言を預かっているんですよ」



 ノーラ先生はそこで口を閉じ、「んん」と咳払いしてから話を続けた。



「やあギルバート君、勉強頑張ってるかい? 午後は自習にしてもよかったんだが、君、まだ王都の街を楽しんでないだろ? 私がお小遣いをやるから少し遊んでくるといいよ。あ、でも暗くなる前に帰ってくること。いいね?」



 本人はこれでモノマネをしているつもりなのだろうか。

 似せようとする意志は伝わってきたが、ノーラ先生はノーラ先生だった。



「……とのことです」



 あまり深くは追及しないであげよう。俺はそう思い、何事もなかったように話を進める。



「あの、でもノーラ先生」

「どうしました?」

「俺、お小遣いなんて貰ってないですよ」

「ふっふっふ。ちゃーんと私が預かっていますよ」



 よくぞ聞いてくれましたとばかりに頷いて、ノーラ先生は懐から「じゃじゃーん」と財布を取り出した。



「はい、どーぞ。この財布も学院長からのプレゼントだそうです。よかったですね」

「どうも」



 見るからに高そうな革財布だった。申し訳ないけど、こんなもの学院には持っていけない。いやお洒落だけどさ。


 まさか大金が入ってるんじゃなかろうなと思い、財布の中を覗いてみる――俺の予想は当たっていた。お小遣いとして渡す金額ではない。使わなかった分はジェシカさんにきちんと返さないとな。



「……あ」



 腹が鳴った。朝飯を軽めに食べたことを思い出す。

 ふと先生の方を見れば、にこにこ笑っていた。

 無性に恥ずかしくなった俺は部屋を出ようとする。



「なんか適当に食べてきます」

「待ってくださいギルバート君。キッチンをお借りしてもよろしいですか?」

「え? 別にいいですけど。そもそも俺の家じゃないですし」

「ふっふっふ。今日のお昼は私が腕を振るっちゃいますよぉ」



 胸を張ったノーラ先生は腕をまくり、「できたら呼びますね」と言って部屋を出て行った。



「先生が料理つくってくれるのか。楽できるな」



 俺は凝り固まった体をほぐすため、ぐぐーっと大きく伸びをする。

 そして【野営基礎アウトドア】の教科書を手に取り、それを読みながらベッドに横になった。

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