ただひたすら剣を振る、王都での新生活が始まる。

「おっ、今日もここに繋がっていたか」



 ジェシカさんの魔法【転移門サークル・ゲート】を抜けると学院長室だった。入学試験の日を思い出し、少し懐かしい気持ちになる。



「うむ。君と一緒に転移してきたところを誰かに見られるわけにはいかぬのでな」



 俺の後に続いてジェシカさんも漆黒の渦から出てくる。

 役目を終えた【転移門】は、やがて音も無く消失した。



「誰かに見られるとまずいんですか?」

「私は学院長だ。すべての生徒に対して平等に接しなければならん。たとえ、君がお世話になった先輩方の息子さんだとしても、特別扱いなどできないのだ」

「……すでにだいぶ特別扱いされてるような気もしますが」



 言ってジェシカさんを見るが、フイと視線を逸らされた。ばつが悪そうな顔をしている。



「ともかく、だ。上辺だけでも取り繕わねばならない。そこだけは知っておいてくれ」

「いや、ぶっちゃけましたね。でもそういうことならわかりました」

「それに、君のことをよく思っていない教師もいる」

「そうなんですか?」

「君を特待生として迎え入れることは父上が強引に押し進めたからな。……まぁ、私も賛成したわけだが」



 疲れたように息を吐き、ジェシカさんは肩をすくめる。



「だから、何か面倒ごとに巻き込まれたら言いなさい。力になる」

「ありがとうございます。……なんかすみません」

「いいってことさ。君のような才能ある若者がこの学院に通ってくれるのは喜ばしいことだしね」



 俺の背中を叩き、ジェシカさんは優しく微笑んだ。



「それより見たまえ。ここが――」



 ジェシカさんは言いながら執務机を通り過ぎ、



「これから三年間、君が通うことになる学び舎だ」



 大きなガラス窓の前で両手を広げた。

 言われるままに俺も窓際まで歩いていく。



「これが……」



 眼下に現れたのは、ルヴリーゼ騎士学院の広大な敷地。近代的な造りの校舎を中心に、いくつもの建物が整然と立ち並んでいる。



「ん? あそこは」



 ふと右を見れば、木々で埋め尽くされた区画もあった。



「あれは人工的につくった森だよ」

「森、ですか?」

「ああ。擬似的に"魔素溜まり"をつくりだし、魔物を発生させることができる」

「え、危険じゃないんですか?」



 嫌な映像が俺の脳裏をよぎる。キンググリズリーが村に襲ってきた時の記憶だ。



「優秀な正騎士たちによってしっかり管理されているから安全だよ。あのエリア――『試煉しれんの森』は学院の生徒たちも授業で利用するのだが、正騎士たちの訓練場でもあるんだ」



 優秀な正騎士、並びに正騎士候補を育成するため、人に仇なす凶暴な魔物すらも利用する……その考え方に俺は衝撃を受けた。



「はははっ。いいねぇ、その顔。だが、驚くのはまだ早いぞ。ルヴリーゼ騎士学院には国内……いや、世界最大級の人工迷宮だってあるんだからね」

「人工迷宮、ですか?」

「ああ。通称――『学院迷宮』さ」



 この世界には二種類の迷宮が存在する。魔素が多い土地に突如出現する《天然迷宮》と、人の手によって生み出された《人工迷宮》だ。


 でも知らなかったな。学院にはそんな面白いものもあるのか。ますます学院生活が楽しみになってきた。



「おっと、もうこんな時間か」



 腕時計を見て声を上げるジェシカさん。

 回れ右をした彼女は早足で歩いていき、



「冬季休業中とはいえ教職員はゼロではないからな。彼らが学院にやって来る前に君を新しい家に送り届けねばな」



 ガチャリとドアを開けて俺の方を振り向く。



「さあ、私の後ろについてきなさい」



 頷きを返した俺は、ジェシカさんの背中を追いかける。

 視線をあちこちに飛ばし、新たな校舎の雰囲気に胸を躍らせる。


 そのまま歩き続けることしばらく。校舎外へ出て、木々が立ち並ぶ庭園を抜けた。

 ……あれ。



「ちょっ、学院長? どこまで行くんですか?」



 学院の校門を出たところで、俺は前を行く背中に声をかけた。



「…………」



 だが答えは沈黙だった。


 いや待てよ。学生寮が敷地内にあるというのは俺の思い込みで、敷地外に建っているのが普通なのもしれない。


 そう自分の中で結論を出して、ひたすらジェシカさんの後を追う。

 だが――



「さあ到着だ。ここが君の新しい家だよ」



 俺が連れてこられたのは貴族街の外れに佇むお屋敷だった。少なくとも学生寮でないことはわかる。



「……あの、学院長? 俺が行きたいのは学生寮なんですけど」

「まあまあまあ。とりあえず中に入ってお茶にしよう」



 と、逃げるように屋敷の方へ歩き出そうとするジェシカさん。

 しかし俺はその肩を咄嗟に引っ掴んで、



「いやいや、どういうことか説明してくださいって」



 最後に「母さんに言いますよ」と付け加える。

 あ、ジェシカさんの肩がビクッと震えた。



「わかったちゃんと説明する。だからカグヤ先輩にだけは言わないでくれ……!」



 ズズイ、と。顔面が近づいてくる。

 必死すぎるジェシカさんの迫力に負けて思わず二度頷いてしまう。



「実はね、君の入寮申請するの忘れてたんだよね」

「…………え」



 待ってくれ。この人は今なんて言った?



「いやー、私もこの時期は忙しくてさ。君は他の受験生たちとは別で書類審査してたから……うっかりね」



 ジェシカさんは自分のおでこをコツンと小突く。

 そして、言葉を失っている俺に背を向け――



「いやなに逃げようとしてるんですか!」

「こ、こらっ! やめろ! 軽々しく抱き着くんじゃない!」



 あれ、なんだこの反応。もしかして照れてるのか? 

 ジェシカさんから俺に抱き着くのは平気なのに、俺から抱き着かれるのは恥ずかしいってどういうことだ?

 ああいや、今はそんなことよりも――



「じゃあもう逃げないって約束できますか?」

「……わかったよ」



 無抵抗になったジェシカさんを開放し、俺は大きなため息を吐く。



「今からでもどうにかならないんですか? 空いてる部屋自体はあるんですよね?」

「あるにはある。だが、」



 そこまで言って口ごもるジェシカさん。

 俺は不思議に思い、さらに問いを重ねる。



「そもそも学院長の不手際なんですよ? どうしてダメなんです?」



 しばらくの間、ジェシカさんは難しい顔で押し黙っていたが、観念したように口を開く。



「……学生寮を統括しているのは私の母親なんだ。バレたら殺される」

「いや、でもいずれ絶対バレるじゃないですか」

「たとえそうだとしてもぉ! 言う勇気が出ないんだよ!」



 今にも血涙を流しそうなジェシカさんから目を背け、俺は空を見上げる。

 父さん、母さん、空はこんなに青いのに、俺の新生活は早くも雲行きが怪しくなってきました。



「ここが君の部屋だよ。どうだ、いい眺めだろう」

「……そうですね」



 楽しみにしてたんだけどな、人生初の寮生活。同じ年代の騎士候補たちとの共同生活なんて貴重な経験だし。

 でもまぁ、決まってしまったものは仕方ない。



「それとギルバート君、家では名前で頼むよ。帰ってきてまで学院長などと呼ばれたくはない」

「わかりましたよジェシカさん」



 言われた通りに名前で呼ぶと、ジェシカさんは嬉しそうに頷いた。

 学院内でも名前で呼んでしまいそうでこわい。気をつけないとな。



「おっ、ちゃんと届いてますね。俺の荷物」



 ふと視線を右へやると、ベッドの上に見覚えのあるスーツケースを見つけた。これは父さんのお古で、最低限の衣類やら日用品を詰め込んである。



「しかし君さ、荷物が少なすぎやしないか。男の子ってこんなものなのかい?」

「こんなもんじゃないですかね。他の人は知りませんけど」



 ベッドに腰かけたジェシカさんを追い越し、俺は部屋の窓を開け放つ。



「おお、いい眺めだ」



 涼やかな朝の風が顔に当たる。春の匂いがした。



「どうだい? 気に入ってくれたかな」



 隣にやってきたジェシカさんが俺にウィンクする。


 入寮申請し忘れるし、屋敷の中は服やら本やら書類やらで散らかってるし、言いたいことはあるけど――悪い人ではないんだよな。


 それに、本音を言うと学生寮は二人部屋だって聞いて緊張してたから、これでよかったのかもしれない。



「そうですね。文句はないです」

「ならよかった…………くれぐれもカグヤさんにはバレぬようにね。カグヤさんと母は仲が良いから危険なんだ」

「はいはい、わかりましたよ」



 かくして、王都レグルスでの新生活が始まった。

 いいスタートが切れたとは言えない。不安もある。

 が、それでも俺はまだ見ぬ明日に胸を躍らせていた。

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