第36話 恋人たちは裸の付き合いを試みる
俺とクレハは恋人として順調に学園での日々を送りつつも、微かな疑問を抱えながら過ごしている内に、夏休みになった。
一年の大半を過ごしている王都を出て、アークライト家の領内にある避暑地ウェルムコートへと馬車に揺られて向かった。
山の麓にある比較的涼しい場所で、温泉が湧き出る観光地として有名だ。
近くには平野部があり、馬の名産地としても知られており、アークライト家の資産の一つだ。
そんなウェルムコートにおいて、貴族向けの別荘地が立ち並ぶエリアの中でも一等地と言える場所に、アークライト家が所有する数ある別荘の一つがある。
「さすがは公爵家ですね……別荘なのに、王都の屋敷に負けない広さです」
休暇中なので、俺たちは私服を着ている。
今日のクレハはワンピース風のカジュアルなドレスを身に纏っていた。
最近気に入っているのか、髪型はポニーテールだ。
「前世が一般人だったことを考えると今の身分は恐縮だけど、こんな風に贅沢な旅行ができるのはありがたいな」
俺とクレハは、どこか日本庭園のような雰囲気を感じさせるこの屋敷の庭にいた。
到着して早々に、ウェルムコートならではの施設を楽しんでいる。
「この世界にも、足湯なんてものがあったのですね……」
そう。
俺とクレハは隣同士で座りながら、庭の東屋のような場所に設置された足湯に浸かっていた。
「まあ、シャワーや風呂がやたら充実してる世界だからな。不思議ではないだろ」
「だとしても、お庭に足湯があるのはすごいです」
「この辺りは、ある程度の深さまで掘ればどこでも温泉が出るような状態だからな。この街に別荘を構えている貴族はこぞって敷地内で温泉を掘ってるらしいぞ」
「な、なるほど……やはり貴族は見栄っ張りなのでしょうか」
前世では一般的な日本人だった俺たちからすると、たまに他の貴族たちの価値観についていけなくなりそうな時がある。
「にゃっ!」
二人で足湯に浸かっていると、短い鳴き声とともに何かが足湯に飛び込んできた。
猫だ。
白銀の鮮やかな毛並みを持っており、アークライト家の家紋付きの首輪をしている。
「ね、猫が温泉に浸かっています……!」
「ああ。こいつはこの別荘で飼っている……みたいな感じなんだ」
「おお……! だからアークライト家の家紋を付けているんですね。かわいいです……」
クレハは目を輝かせながら、猫に手を伸ばそうとする。
「あ、そいつは自分から人間に近寄ってくるわりにすぐ引っ掻いてくるから注意してくれ……って」
俺の言葉とは裏腹に、猫はクレハにやたら懐いていた。
クレハが伸ばした手に前足を乗せると、そのまま這うようにクレハの腕を伝って、膝元に着地する。
「にゃー」
クレハの上で丸くなって、甘えるような鳴き声を発した。
「リュートくん、この子連れて帰ってもいいですか」
「それはできないんだ」
「どうしてですか?」
「この猫は白銀の珍しい毛並みをしているだろ」
「はい、綺麗でかわいい子です」
「この綺麗な見た目のせいで乱獲されて絶滅しかかっている種なんだ。それで最近はアークライト家が保護するようにしているんだけど、連れ出すのは禁止しているんだ」
「そういうことなら、仕方ないですね……」
「こいつも飼っているんじゃなくて、保護してるだけだからな」
「残念ですけど……会わせてくれてありがとうございます」
クレハは膝に乗った猫を撫でながら、微笑んできた。
「会わせるというよりは、こいつの方から勝手にクレハの方に近づいてきた気がするけど」
「でも、この子を見たら私が喜ぶと知っていて、別荘に連れてきてくれたのでしょう?」
俺の考えは、クレハに見透かされていた。
○
足湯と猫を満喫した俺たちは、屋敷の近くにある牧場に移動した。
クレハが前からやりたいと言っていた乗馬をしにきたのだ。
「なんだか思ったより大きいですね……」
牧場の柵の内側にて。
茶色く艶のある毛並みを持った馬と対面したクレハは、何やら難しい顔をしていた。
「子供の頃に乗った馬は、もう少し小さかった気がするのですが」
「多分、それはポニーだな」
「ぽ、ポニー……?」
クレハの親は超がつくほどの過保護だ。
大事な娘を、馬に乗せるわけがないと薄々思っていた。
落馬して怪我をしたら大変だからな。
「一人で乗れそうか?」
「う、うーん……」
クレハはおずおずと馬に触れようとするが、身長差がものすごい。
鞍の位置は、クレハの頭上よりはるか高くにある。
「……よし!」
「待て待て」
クレハが意を決したような声を上げたところで、微笑ましげに見守っていた俺は止めた。
小柄なクレハに対して、立派な体躯の馬。
どう考えても一人で乗れるわけがない。
「やっぱり、一人で乗るのはやめた方が安全そうだな」
「不本意ですが……リュートくんがどうしてもやめろというのなら仕方がないですね」
クレハはあくまでも「本当は一人で乗れる」とでも言いたげな態度を取っていた。
結局その後は、俺の前にクレハを座らせて、二人で馬に乗った。
なんだかんだで楽しそうだったので、良しとしよう。
○
馬に乗って汗をかいた後は、いよいよ温泉だ。
ウェルムコートにあるアークライト家の屋敷には、大浴場が設けられている。お湯は当然天然の温泉だ。
男湯と女湯には別れていない。
さすがに一緒に入るわけにはいかないので、入る順番をクレハと相談した結果、俺が一番風呂をもらうことになった。
この屋敷の浴場は現代日本の銭湯と似たようなレイアウトだ。
泳ぎ回れそうなほど大きな湯船があって、脇に洗い場がある。
俺はまず、乗馬でかいた汗を流そうと、洗い場に向かう。
鏡の前でシャワーチェアーに座り、石鹸を泡立てて体を擦っていたら。
浴場の扉が開く音がした。
「誰だ……?」
ネリーかこの屋敷の使用人が俺の体を洗いにきたのだろうかと思って、入り口の方を見てみたら。
「なっ……!?」
視線の先には、クレハがいた。
一応バスタオルを体に巻いているが、それ以外には何も着ていないように見える。
つまり、あの白い薄布の一枚下は、裸ってことか……?
「あまりじろじろ見ないでください……」
「わ、悪い。でもどうしてそんな格好で入ってきたんだ」
見られたくないなら、最初から浴場に入ってこなければいいのでは、と思う。
俺が先に入っているのはクレハも知っていたんだし。
「まったくもって正論ではあるのですが……リュートくんと腹を割って話したいことがあったので」
「話なら、別に風呂じゃなくてもできるだろ?」
俺はとりあえずクレハから目を逸らしながら、会話を続ける。
頭じゃなくて体から洗っていてよかった。
前の方は泡立っているので、見られて困る箇所はちょうど隠れている。
「それは、その……裸の付き合い的なあれです!」
クレハの説明はやはり要領を得ない。
俺が首を傾げていると、背後に気配を感じた。
「というわけで、私がリュートくんの背中をお流しします」
クレハがそんなことを宣言しながら、俺の後ろに腰を下ろした。
確かにまだ、背中は手が回っていなかったけど。
「なあクレハ、さっきから様子がおかしくないか?」
「気にすることはありません。リュートくんは遠慮することなく、私にお世話されていればいいんです」
クレハは俺の疑問に答えようとしない。
石鹸とタオルを手に取って泡立てたかと思ったら、俺の背中をごしごしと擦り始めた。
「……案外ちょうどいい力加減だな」
「そうですか……? それは何よりです」
クレハは俺の背中ごしに手を伸ばして、壁にかけられたシャワーを掴んだ。
その際、肩の付近に柔らかい感触が当たる。
……まさかとは思うけど、わざとやってないよな?
疑問に思っている間に、クレハは泡まみれになった俺の体をシャワーで洗い流し始める。
「リュートくんは前に「女の子と体を洗い合うのは男の夢だ」なんて言ってましたよね」
「俺が……? いつクレハにそんなこと言ったんだ」
「私に対して言ったわけではありません。前世で高校生の時、教室で他の男子と話していたのを、たまたま聞いたんです」
「そんな話、よく覚えていたな……」
男なら憧れるシチュエーションの一つであることは間違いないけど、冗談半分の一言だったはずだ。
「それは……えっと」
クレハは何やら言いにくそうにしている。
「どうした?」
「私の話を聞いても、引いたりしませんか?」
「ああ、引かないよ」
聞く前から確認されても……とは少しだけ思うけど。
「実は私、前世の時からリュートくんのことが好きだったんです。好きな人の話には耳を傾けたくなるし、印象に残るものでしょう?」
「そう、だったのか……?」
種崎紅羽が。
あの、いつも俺に対してツンツンとした態度を取っていた紅羽が、実は俺のことが好きだった。
じゃあ、前世でいがみ合って喧嘩ばかりしていたのは、今世と同じ理由ってことか……?
そう言えば、クレハは何かと、俺の前世のことを覚えていた気がする。
いつも作ってくれる弁当のおかずは前世の好物が主体だし、直接話したことのない誕生日まで知っていた。
改めて考えると、前世から俺のことを気にしていなければ説明がつかないことは多い。
つまり俺とクレハは、前世から両思いだったわけだ。
「なんだ、そうだったのか……」
俺は安堵と嬉しさが入り混じったような感情に包まれる。
肩の力が抜けたような気分だ。
「ここまで打ち明けたのですから、私からもリュートくんに聞きたいことがあります。リュートくんは、いつから私のことが好きだったのですか?」
「俺も同じだよ。前世の……大白竜斗として生きていた頃から、クレハのことが好きだった」
「そう、でしたか」
背後のクレハは、ほっとしたような笑みを浮かべていた。
なぜ後ろにいるクレハの顔が見えるかと言えばもちろん、鏡越しに見えるからだ。
その表情のかわいらしさに見惚れていると、ふと目が合った。
「り、リュートくん!? 鏡越しに私のにやけ顔を見るなんてずるいです!」
「だったらいっそ、直接見てみるか」
前世から両思いだと分かった今、俺はなんでもできそうな気がしていた。
照れるクレハをからかうつもりで、振り返ろうとしたら。
「ま、待ってください! 今はだらしないくらいニヤニヤが止まらないので、見られたくないです!」
クレハが慌てて俺の肩に触れてきた。
「うおっ!?」
俺を振り向かせないつもりで勢いよく押したんだろうけど、その結果。
少しバランスを崩したことに加えて、濡れた床に足を取られた俺は、クレハに向かって倒れ込むような勢いで転んでしまった。
「ひゃっ……!?」
結果として、俺はクレハを押し倒すような形になってしまった。
硬い床でクレハが頭を打ち付けないよう、ギリギリで手を差し入れた結果、上から抱きしめているようでもある。
もつれあった勢いで、クレハが体に巻いていたバスタオルははだけていた。
つまり俺は、お互い前世の時から好きだったと知った相手と、裸で密着している。
「り、リュートくん……?」
熱っぽい眼差しを向けるクレハと、目が合う。
下の方を見てしまうとクレハのあられもない姿から目を離せなくなってしまうので、なるべく上の方を見ようと思った結果、バッチリと視線が交錯してしまった。
まるで、見つめ合っているみたいだ。
しかしすぐにその状況は終わった。
クレハが、そっと目を閉じたからだ。
火照った頬が、どこか色っぽく見える。
これではまるで、口づけを待っているみたいだ。
「……」
これだけ至近距離だと、クレハの息遣いや、ごくりと喉を鳴らす音まで聞こえてくる。
今キスしたら、そのまま勢いで最後までしてしまいそうだ。
……でも、俺たちは恋人だし、婚約者だし。
ここまでお膳立てされているなら、別にいいのか?
むしろ、据え膳食わぬは男の恥なんて言葉もある。
意を決して、俺がクレハに口づけしようとした、その時。
「そこまでですよ、リュート様」
再び、浴場の扉が開け放たれた。
そこには、俺のよく知る専属メイド、ネリーが立っていた。
「ね、ネリー!? 今入ってくるのはおかしいだろ、どう考えても」
抗議する俺の下で、クレハは両手で顔を覆っていた。
さっきまでは雰囲気に当てられていたからどうにかなっていたけど、冷静になったら恥ずかしすぎて耐えられなくなったんだろう。
「いえ、私はお二人のお目付役として今回の旅行に同行しておりますので」
「まさか、お目付役って……そういう意味だったのか」
「はい。これが今回の私の仕事です」
未婚の貴族が、例え婚約者が相手とはいえ簡単に手を出すな、ってことだろうか。
ネリー本人の意志というよりは、俺やクレハの親たちの考えだろう。
「一線を超えなければ許容と仰せつかっておりますので、ごゆっくり。様子は常に窺っておりますので」
こんな状況でも無表情のネリーは、ピシャリと浴場の扉を閉めて出ていった。
……いろいろな意味で恐ろしいメイドだ。
「……リュートくん、そろそろどいてもらえますか?」
俺に押し倒されるような体勢になっていたクレハが、か細い声で話しかけてきた。
「あ、ああ」
なんとも言えない気まずさを感じながら、俺はクレハの上から退いて、背を向ける。
……なんだろう、この虚無感に似た何かは。
まさかあそこまで来て第三者からの妨害でお預けを食らうとは思わなかった。
そんな調子で、俺が途方に暮れていると。
「今はダメみたいですけど、またいつか。お願いしますね?」
クレハが後ろから、耳元で囁いてきた。
虚無感に包まれていた俺の脳内は活力で漲った。
これから先、高校生活を全力で頑張って、恋人としてクレハともっと親密になって、添い遂げよう。
俺はそう、自分に誓うのだった。
◇◇◇◇
コンテスト期間ギリギリになりましたがこれにて10万文字到達ということで、一区切りとさせていただきます!
ここまでお読みいただきありがとうございました!
今後の更新についてはなんとなく話の内容は考えていますが、コンテストの結果を見つつ書きたいので、いったんお休みとなります。
読者選考期間は2/7まで続いているので、ぜひ☆☆☆で後押ししていただけると嬉しいです!
2/8からはまた新しいラブコメも書いていこうと思っていますので、ぜひ作者をフォローしてお待ちいただけると幸いです。
2月は現在ものと異世界もの、2作のラブコメを毎日更新予定ですので、今後ともぜひよろしくお願いいたします。
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