第34話 恋人になってからのとある一日と疑問

 俺とクレハは、王宮でパーティーが開かれた日に、恋人になった。

 以来、俺の日常は少しだけ変化した。

 まず、男子寮の部屋で起きる。

 寮内にある食堂で朝食を済ませるところまでは、前と変わらない。

 違うのはこの後だ。

 身支度を整えて、女子寮の前でクレハと待ち合わせる。

 男子寮と女子寮は、徒歩数分の距離にある。

 正直もう少し離れた場所にあってもいいのではないかという気もするが、クレハに会いにいくには都合がいい。


「おはようございます、リュートくん」 

「おはよう、クレハ」


 クレハは必ず、俺よりも先に待ち合わせ場所に立っている。

 デート前ほど張り切って何十分も前から待ってはいないそうだけど、それでも数分前にはいるらしい。

 

「もう少しゆっくりしていてもいいんだぞ?」

「いえ。こうしてリュートくんを待っているのも、楽しいですから」


 クレハは自然な笑顔で嬉しいことを言ってくれる。

 ここは女子寮の前なので、当然他の女生徒たちから注目を浴びることになる。

 おかげですっかり名物カップルのような扱いだ。

 俺とクレハがやり取りする光景を見て、寮から登校していく女生徒たちは微笑ましげな視線か、羨ましげな視線を向けてくる。

 正直この視線にはこそばゆいものを感じるけど、クレハを男子寮の前に待たせてしまうよりはマシだ。


「そろそろ行くか」

「あ、その前に」

 

 クレハがおもむろに、俺の襟元に手を伸ばしてきた。


「リュートくん、ネクタイが曲がってますよ」

「あ、ああ。ありがとう」


 少し背伸びをしながら、クレハはネクタイを直してくれる。

 

「いえ、私はリュートくんの婚約者で恋人ですから。これくらいは当然です」 


 謙遜するようなことを言うわりに、クレハはどこか得意げだ。

 恋人になってからのクレハは照れることは少なくなったが、時折素直じゃない言い回しをするのは変わらない。


「じゃあ、これはお礼ってことで」


 クレハに小動物的なかわいさを感じた俺は、頭を撫でてみた。

 亜麻色の髪がさらさらとしていて、触り心地がいい。


「こ、公衆の面前でいきなり撫でないでください……」


 恥ずかしそうにかしこまるクレハもかわいかった。

 ……あまり照れなくなったと思ったけど、前言撤回だ。

 

「その言い方だと、二人きりの時なら問題ないみたいに聞こえるぞ?」

「……そう言ったつもりですよ?」


 クレハは上目遣いで、じっと俺を見てくる。

 からかうつもりで言ってみたら、予想外のカウンターをもらった。

 今度は俺の方が気恥ずかしくなる番だった。



 寮から俺たちが所属するクラスの教室がある校舎までは、歩いて五分ほどの距離がある。

 ミルワード王立学園は中等部と高等部の校舎に加えて、関連施設や寮などがすべて敷地内に併設されている。

 前世であれば、東京ドーム何個分みたいな単位で広さを表現することになるだろう。

 そんな学園の敷地内を歩いて、俺とクレハは教室に到着した。


「おはよう」

「おはようございます」


 教室に入りながら誰に言うでもなく挨拶する。

 クラスメイトたちから、ちらほらと返事があった。

 俺とクレハは、自分たちの席に座る。


「お二人とも、相変わらず朝から仲がいいのですね」

「なんか、今朝も寮の前で噂になってたらしいな」


 先に来ていたフレデリカとテレンスが俺とクレハの席に近寄ってきた。

 俺たちが恋人になってからも、二人の接し方は変わらない。

 元からそういう関係だと思われていたからだろう。

 恋人になったと報告した時も、祝われるというよりは、やっとくっついたのかと呆れられた。

 そんな親友たちと会話を交わした後、朝のホームルームを終えたら、午前の授業が始まる。

 午前中は基礎科目の授業だ。

 基礎科目は全生徒共通なので、クレハとは同じ授業を受けることになる。

 今まではお互い、同性の友人と一緒にいるようにしていたが、恋人になってからは気兼ねなく隣の席に座るようになった。

 授業間の移動も、クレハと一緒にする。

 今まではお互いに刺々しい態度を取って口喧嘩ばかりしていたけど、近頃は自然体で接することができるようになっていた。


「なんだか最近、暑くなってきましたね……」


 移動中、クレハが呟いた。

 心なしか、げっそりとしている。


「まあ、あと一ヶ月ちょっとで夏休みだからな」

「そういえば、来週から夏服に衣替えだってお知らせがありましたね」


 クレハはふぅ、とため息をつく。


「クレハって、暑いの苦手だったっけ?」

「得意ではないですね。この長い髪は気に入っているのですが……首回りに熱がこもるんです」


 クレハは自慢の長い髪に手を触れる。


「じゃあ、衣替えに合わせて髪型を変えてみるか?」


 何気なく言ってみたら、クレハが目を丸くした。


「リュートくんは、髪型を変えた私が見てみたいですか?」

「そう……だな。見てみたい」


 俺が肯定すると、クレハは何やら考え込むような仕草を見せていた。

 ……これは近い内に、クレハの新しい髪型が見られそうだ。



 午前の授業を終えて、昼休み。

 お昼は今までと同様、クレハお手製の弁当を食べている。

 気分で場所を変えるようにしているが、今日は中庭のベンチだ。

 クレハの弁当はいつもおいしい。

 前世で見たような弁当だけではなく、今世ならではの料理も作ってくれる。

 最近はクレハの日本料理が学園の厨房で仕事をする料理人からも注目されており、食堂にもクレハ考案のメニューが並ぶようになったらしい。

 その原案を食べられる俺は、実に幸せ者だ。

 とはいえもらってばかりは悪いので、何かお返ししたい。

 クレハにそう告げると、意外な答えが返ってきた。


「では、膝枕してください」

「膝枕……?」

「はい。お弁当を作るために早起きしているので、少し眠いんです」

「なるほど……それは悪かったな」

「別に、リュートくんに甘えたいというわけではないですからね」

「恋人なんだから、甘えてくれていいんだぞ?」

「そうでした、つい癖で」


 クレハはくすりと笑った。

 もしかして、冗談だったのか……?


「とにかく、お願いします」


 クレハはそう言うと、ベンチの上で寝転んで、俺の膝元に頭を乗せてきた。


「うおっ、いきなりだな」

「ふぅ……結構寝心地がいいですね。昼休みが終わる頃に起こしてください……」


 驚く俺にも構わずに、クレハは眠り始めた。

 気持ちよさそうな寝顔を晒している。

 前は寝顔を見られることを恥ずかしがっていたのに、今は特に気にしていない様子だ。

 こういうのも、恋人ならではの信頼なんだろうか。

 俺は昼休みが終わるまで、すやすやと眠るクレハの様子を見守ることにした。

 眼福だ。

 癒される。

 そうして俺とクレハは午後の授業にリフレッシュして臨む。 

 午後の授業は選択科目だ。

 お互いに避けていた時期があったせいで、今日受講している授業はクレハと別々だ。

 会えるのを待ち遠しいと思いながら迎えた放課後。

 俺はクレハと再会した。

 今日は学園内の図書館で、一緒に課題をすることになっている。

 俺とクレハは授業の課題で、共同のレポートを書くことになっている。


「ミルワード王国の近代史……ですか。なんだか不思議な気分です」

「今世の俺たちにとっては生まれた国の歴史だけど、前世の俺たちからすれば完全にファンタジーだからな……」

「まあ、小説や映画を見ているみたいで、面白いとは思いますけどね」


 そんな調子で時折小声での会話を交えながら、俺とクレハは夕方まで一緒に課題を進めた。

 門限ギリギリで、寮の前に戻る。


「ではリュートくん、また明日」


 はにかみながら小さく手を振ってクレハは女子寮に入っていった。

 俺はその姿を見送りながら、思う。


(今日も充実した一日だったな……)


 なるほどこれがリア充ってやつか、と俺は実感する。

 しかし同時に、俺の中で一つの疑問が浮かんできた。


(クレハって、いつから俺のことが好きだったんだろう……)


 少なくとも、今世では両想いであることを確かめ合って、恋人になった。

 でも、前世ではどうだったんだろう。 

 俺にとって、クレハと恋人になることは前世からの念願だ。

 しかし、クレハも同じだとは限らない。

 実は前世の種崎紅羽には嫌われていて、今世で物心ついた時から一緒に過ごしてきた記憶があったからこそ好きになった、とかだったらどうしよう。

 ……別にどうもしないか。

 とはいえ、クレハがいつから俺のことが好きだったのかは、正直気になる。

 

「いっそ、俺の方から打ち明けてみるか……?」


 前世の時から好きでした、と。

 でも、それを伝えて何かいいことがあるんだろうか。

 かえって、重いと思われて引かれたりするのか……?

 気持ち悪いと思われて振られたり?

 

「クレハのことだから、そんなことはないと思うけど……」


 俺は妙に気になって、モヤモヤとした感情を抱えることになるのだった。



◇◇◇◇


次回はクレハ視点のお話です。

本日は昼と夜にも更新予定です!

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