第10話 悪役令嬢と秘術の書③

 姉ちゃんは魔法学園図書室の前で立ち止まる。

 大きく息を吸っては吐いて、吸っては吐いて。

 小声で、……よしっ! と気合入れ。

 図書室の扉に手をかけた。

 そこから呼吸を止めて数秒。

 ……ふう……と溜息を吐く。

 首を左右にコキコキ曲げて、んーっと背伸び。

 更に、もう一回溜息。

 だるそうにストレッチまで始める始末。


「……なにやってんだよ。入らねーの?」


 俺は焦れてツッコんだ。

 準備体操なんかしとる場合か。

 いつまでやっとんねん。


「……図書室には番人がいるんだよ」


 姉ちゃんはぼそぼそと呟く。

 このテンションの低さは嫌なことを目の前にしたときの姉ちゃん特有の態度。

 自分から図書室に来たがってたくせに。


「番人って?」

「図書室を管理してる司書……魔法使いがいるんだ。貴重な本の貸し出しや閲覧を許可するだけでなく、図書室への入退室自体を管理しているおっさんが。図書室に入るにはまずそのおっさんに挨拶しなきゃ……」

「挨拶? こんにちは、とか言っときゃいいだけだろ? 学園の生徒が学園の図書室に入るのなら、なにも問題ない。必要なことと言ったら、入退室帳に名前とか入った時間とか出た時間とか書くくらいか?」

「でも、その魔法使いのおっさん、うざいしイヤミで怖いんだよ……話ししたくないなあ……」

「じゃ、帰る?」

「ここまで来て帰れるかっ! 秘術書を手に入れて魔法のクッキーの効果を消さないと、わたし、えらいことになるんだからな?」


 魔法のクッキーを食べたせいで(姉ちゃんが自作したものだが)、誰にでも好意を持って惚れてしまう。

 姉ちゃんは今、そんなチョロインの状態にある。

 そのままだと確かに厄介だ。


「はいはい。じゃあ、我慢して図書室に入るしかないな」

「……でも、嫌だなあ……おっさんと会話するの……なにか言って舌打ちされたり、は? みたいな顔されたり、こいつなにもわかってないな……みたいに呆れられたら……」

「おっさんとそんな長いこと雑談するわけじゃあるまいし。挨拶して、図書室入ります、図書室出ます、さようなら、の事務的な会話だけすりゃ終わるだろ」

「……ふふ……甘いな。わたしを舐めるなよ……? ……昔、なにもしてないのに『こいつってば叩いたら、あっ、あっ、あっ、って鳴くおもちゃみてーで面白れー、ウケる』とかいじられてたこと、あるんだぞ。邪悪な陽キャを引き寄せるタイプの陰キャなんだよ、わたしは。だから絶対、事務的な会話だけじゃ終わらない……」

「姉ちゃん、そんなひでぇこと言われてたの!?」


 クソむかっ腹なんだが!?

 俺の姉ちゃんをバカにしやがって……!


「……そういう体質があるんだ……。……こっちが標的だと敏感に嗅ぎつけられて、ちょっかいかけられるようにできてる……いくら下向いてさっさと過ぎ去ってくれるのを祈ってたとしても……嫌だな、って思うことは必ず現実になる能力、不幸願望ネガティブリアライズの持ち主、それがわたし……!」


 変な中二病まで出てきた。

 ていうか、いくらなんでもネガティブ過ぎる。


「考えすぎじゃねーの? それに、実際なんか言われても、こっちが逆に強く言い返したら結構向こうの方が引き下がることもあるし?」

「いいや、それについても悪いイメージしか湧かない……なにか言い返しても、モゴモゴボソボソなに言ってんだかわからないだが? とか面と向かって言われたら、わたしまた部屋に閉じこもる……」

「まだ会って話してもないのに、どんだけナイーブなんだよ……」

「だって想像するだけで緊張しちゃうんだよ、わたしは! ああ嫌だいやだ!」


 姉ちゃんは強く頭を振る。

 豊かな金髪が波打って、甘い香りが周りに振りまかれた。


「コミュニケーション通じないのを目の当たりにして、やっぱり自分はダメなんだって再確認させられるの、ほんと嫌! できない自分をまた思い知らされなきゃならないとか拷問だよ! ……こんなわたしを助けてくれる超完璧イケメンお金持ち王子様な奴いる? いるよなあ!?」


 そして、ちらっ、と俺を窺う姉ちゃんの瞳。

 キラキラとした綺麗な目だなあ。

 その目の奥に潜む意図さえ無ければ。

 俺は咳払いして尋ねた。


「……なに?」

「やって?」

「……なにをやれって?」

「わたしの代わりに、図書室のおっさんと話しして? それでうまいこと話をつけて? わたしが図書室に隠されてる秘術書を持ち去ってもオッケーな風に」

「ハードル高くねえ!?」

「でも、わかるだろ!? 絶対、わたしにはこんなことうまくできないって! あっ、とか、えっ、とかしか返せないの目に見えるようじゃない? お前、身内なんだから、近くで見てきたんだから……わかっちゃうよな……?」


 わかっちゃうんだな、これが。


「……しょうがねーな……」


 そりゃあね?

 そんなの自分でなんとかしろ、って言うのは簡単だよ?

 どっちが年上なんだ、とか文句言いたくなるのも当たり前。

 ……でも、それで姉ちゃんがまた右往左往して……立ち直れなくなるのは嫌なんだよなあああ!

 くっそ……!


 俺は姉ちゃんの前に立つ。

 姉ちゃんの盾のように。

 それから図書室の扉を押し開けた。

 

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