第7話 初めてのお菓子作り③

 俺をソファに押し倒した態勢のまま、ずっと離れない姉ちゃん。

 俺の制服をぎゅっと握りしめている。

 ……なんだか暑苦しいなあ!


「な、なにやってんだよ、姉ちゃん。暑いって!」

「……う……うう……うるせ……」


 姉ちゃんは俺の胸に頭を埋めた。

 そのまま、ぐいぐいと頭を押し付けてくる。


 これ、なんのための動作?

 俺の中に潜り込もうとでもしてんの?

 隠れたいの?


 そんなことをぼんやり思っている俺の目の前で、豪奢な金髪が揺れている。

 今、アネットの顔のパーツで見えているのは耳だけだ。

 それも赤い耳。

 と、ぼそぼそと、俺の胸元を熱い吐息のような呟きがくすぐった。


「……くっそ……やばい……こんな効き目があるなんて……」

「なあ、身体の調子でも悪いの? 誰か女の人とか呼んだ方がいいか?」


 無視された。

 姉ちゃんは自分だけで完結したようだ。


「……でもこれなら……絶対……!」


 決意が固まったのか。

 姉ちゃんは、ふんす、と鼻息も荒く、俺の胸元から顔を上げた。

 俺と目が合う。

 赤い顔に浮かぶ、粘液が滴るようなきちゃない笑い。


「……へ、へへ……」

「なに笑ろてんねん」

「……そんなこと言ってられるのも今のうちだ……さあ、お前もクッキー食えよ!」

「いいから離れろって! さっきから、なんかおかしいぞ姉ちゃん!」

「……へへ……そう? ていうか、そんなにクッキー食いたくないんだ? せっかくわたしが作ってやったのに……」


 アネットは物憂げに目を伏せる。

 途端に、俺は罪悪感に苛まれた。

 姉ちゃんの善意を無下にしているような気分になってしまう。


「……まったく作り甲斐のない奴だよ。そんなんなら、もう二度と作ってやらないからな。ああ、がっかりだよ……なんか……涙出てきた」

「い、いや、食いたくないとか言ってねーから! いったん落ち着こう、な?」

「ほんとに? じゃあ……特別に食わせてやるよ……」


 アネットの顔が悪戯そうに笑う。

 が、突然、はっとした顔になり、ぶるぶると顔を横に振った。

 その仕草は姉ちゃんそのもの。

 その時の顔も、アネットじゃなく、姉ちゃんみたいに見えた。


「……これはクッキーの所為で、わたしはほんとはこんなのキモイと思ってんだからな! お前が食わないから仕方なくなんだからな!」


 姉ちゃんは噛みつくように言うと、ぎゅーっと目を瞑る。

 そして、口にクッキー咥えて、んーっ、と俺の口元に近付けてきた。


 ……これってポッキーゲーム!?

 エロいやつじゃん!?


 姉ちゃんの塞がった口からもごもご声が漏れてくる。


「……ふぇよ」

「わ、わかったわかった、食う! 食うからちょっと冷静になれって! 悪ふざけにしても気持ち悪過ぎる!?」


 俺はあまりのおぞましさに姉ちゃんの口からクッキーを引っ掴むと、急いでバリバリ食った。

 こんなものが……こんなものがあるから人は狂っちまうんだ! と憤りを込めて、この世から消してやったわ……!

 口移しで食わされてたまるか。


「……ふ、ふへ……」


 姉ちゃんが俺を見つめながら、気持ち悪い笑い声を漏らし始めた。


「えへ、へひひっ、いひひひっ! ばあああか! 食ったなあああ? ばあああかばあああああああか! あはははははは!」

「な、なんだよ?」


 姉ちゃん、してやったりの悪そうな笑顔。


「これでもうお前はわたしと結婚するしかないんだからな! ざまあ! 騙されやがって!」

「……なに一人で盛り上がってんの?」


 温度差すごい。

 置いてけぼりの気分。


「……少し寂しくなっちゃうんだが」

「へっ、せいぜい強がってろ! どうせ、もうエロいことしか考えられなくなってんだろ? ドスケベが……!」

「謂れのねえ悪口が俺を襲う……!?」


 姉ちゃんは、うんうん、わかってんだよ、とばかりに頷く。


「隠すなって。そのいやらしい手でわたしを触りまくって、おっぱいでも揉もうとしてるんだろ? いや、触りたいのはそこだけじゃないか……? ああ、もう目に見えるようだよ、お前のこれからやり出すことが……!」


 姉ちゃん、自分で言いながら高まってきちゃったのか、息が荒くなってくる。


「わたしの胸を揉んで、揉んで……揉みしだいて……その長い指をわたしの胸の先まで伸ばし……つまんでコリコリと……」

「なに言ってんだ!? 酔っ払ってんのか!?」

「……んくっふ! だ、だめ、だっ! もう限界っ! くっそ、お前相手にこんなこと考えるなんてキモ過ぎ……! お、お前の所為だからな! お前がさっさとクッキー食べないから!」

「さっきから一人で赤くなったり真っ赤になったり、姉ちゃんはなにしてんだよ……」

「うるせえ! お前もこれから同じ苦しみを味わうんだよ! わたしはもうこれでおしまいにするけどな! ばーかばーか!」


 姉ちゃんは跳ね起きた。

 そして、クッキーの入ったタッパーを搔っ攫う。

 そんなに食べたかったのか?

 がっつくようにタッパーの中をまさぐり、


「……あれ? 黒いクッキーは?」

「それなら俺が食ったよ」

「4つ入ってたろ!? それ全部食べたのか!?」

「くっそまずかった」


 姉ちゃんは一瞬、立ち尽くす。

 それから、頭を抱えた。


「それ、解毒剤だったんだぞ!? どうしてくれる!?」

「解毒……? じゃあ、やっぱりクッキーに仕込んでたのかよ! なにを仕込んでたんだ!」


 姉ちゃんは唇を噛み締め、そこから吐き出すように呻いた。


「……こげ茶のクッキー食べると、誰でも目に入った人好きになっちゃう呪いがかかってた……」

「それ、エロマンガでよく見るやつ! 人の心を操る魔法!? いきなりやべーもん作り出すなよ! 姉ちゃんは邪悪な魔女かなにか!?」


 俺の糾弾は、だが、姉ちゃんには届かない。

 逆にキレてきた。


「どうすんだよ! お前がそれ食ってわたしのこと好きになれば、結婚できてわたしのニート生活は完成するはずだったのに……!」

「俺、先に黒いクッキー食べたせいで、全然そんな気にならねーな」

「逆にわたしが……」

「え……姉ちゃん、俺のことマジで好きになってるの……?」

「クッキーの所為! これはわたしの本当の気持ちじゃない! 違う、お前なんか好きじゃない! なのに体が勝手に……」

「マジでエロマンガでよく見る奴になってんじゃねーか!」

「……お前、わたしの気持ちを魔法で操ろうだなんてとんでもないやりチンクソ野郎だな!?」

「クッキー作ったの姉ちゃん!? 食ったのも姉ちゃんだろうが!」


 姉ちゃんが突然、俺に抱き着いてきた。


「もう、そんなのいいから、わたしにHなことしろよ! そうしたら既成事実で結婚まで持って行ってやるから! ほ、ほら! おっぱい、見せてやる、ぞ?」


 密着したボディから溢れんばかりの巨乳。

 ぶるん、としている。

 姉ちゃんの指が、その胸辺りのボタンを1つ外す。

 ばるん、と飛び出す3Dおっぱい。

 おほおおぉぉ!? これは楽しみ乳首!?

 でもこれ中身は姉ちゃんだ!


「やめろやめろやめろ! ちくしょう! クッキーの効果はいつまで続くんだよ!?」

「一日か一週間か一か月か……わかんない……」

「そんなに長引くの!?」

「見た人、誰でも好きになって、こうなっちゃうんだ。だから、タカアキ、せめてお前だけを好きでいさせて……」


 俺はしなだれかかってくる姉ちゃんを引き剥がす。

 

「もう姉ちゃんはクッキーの効き目が無くなるまで部屋に閉じこもってろ! 絶対誰にも会うなよ!? 食事とか俺が持って行ってやるから、この前のエーとかいう世話役の女子生徒にも会うな! 迷惑だから!」


 姉ちゃんの目がいよいよハートになってきて末期症状。


「タカアキ……お前、わたしをそんなに独占したいの……? わたしが他の誰かを好きになったら嫌なんだな……? しょうがないな、いいよ……」

「うるせえ! 黙れ!」


 こうして、俺は姉ちゃんを疫病患者の如く隔離して事なきを得た。

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