第6話 初めてのお菓子作り②

 俺はクッキー入りのタッパーを受け取る。

 姉ちゃんの手作りか……。


「……なんか貧乏くさいタッパーだな……大貴族の悪役令嬢が使うにしては」


 俺がぽつりと呟く。

 姉ちゃんは聞き逃さない。


「はあ? じゃあ桐の箱に詰めればよかったの? それとも漆塗りの重箱とか? 贅沢抜かすな」

「いや、そこでなんで和風なんだよ」

「うるさいなあ! こういうのは器の見た目じゃないんだよ! クッキーさえちゃんとできてれば、それでいいでしょうが。凝ったホーローびきのタッパーに入れてクッキー渡しても、中身の味が変わるわけじゃないし意味ないだろ」

「そういうことじゃねえよ」

「じゃ、どういうことよ?」

「……その……一応これ、俺へのプレゼントになるんだよな?」

「は!? それが?」

「しかも手作りクッキー……」

「……なに意識してんの? キッモ!」

「いや、普通に、贈り物とかするとき、綺麗に包んだりリボン結んだりするだろ!? なのに、そのままとか……見た目とか全然考慮しないのな、姉ちゃん」


 タッパー丸出しだもんなあ。

 こういうとこ、ほんと女子力ねえ。

 残念姉ちゃん……。

 その姉ちゃん、俺の指摘が悔しかったのか、顔を赤らめて言い返してきた。


「ぎゃ、逆に! 逆に、弟にやるものを飾り付けてどうするの?」

「どうって?」

「いや、まるで彼氏にプレゼントするみたいに……かわいく箱に入れたりしたら、その方がキモイだろ? なんか……弟を男として見てるのか、こいつ? とか思われたらマジでキモ過ぎるし……だから、ここはあえてだなあ!」

「普通そんなこと考えねーよ! 考え過ぎだろ。どんだけ意識過剰なん?」

「ぐぐ……っ」

「……なんつーかこれだと……近所のおばちゃんが作り過ぎた煮物おすそ分けしに来てくれた感が半端ないんだよ……もっとこう……」

「うーるせうるせうるせー!」


 姉ちゃんは喚き出した。


「細かいことをごちゃごちゃと! ほんとにやな弟だな、お前! せっかく作ってやったのに! わたしをもっと敬えよ! 小さい頃はもっと素直だったろ!」

「わかったわかった」


 俺は手を挙げて降参する。

 へそを曲げて、また部屋に引きこもられても心配だ。


「ありがたくもらっとくよ」

「まったく! 入れ物なんかどうでもいいだろ、ほんとに! さっさと中のクッキーを食べろよ!」

「え、この場で?」

「そうだよ? 決まってるだろ? わたしの見ている前で、わたしの手作りクッキーを食べてもらう。さ、開けて開けて。素直に、さっさとしろ」


 部屋に持って帰って大事に食べようと思ってたのに……。

 そう思いつつ、俺は促されるままタッパーの蓋を外す。

 こげ茶色のクッキー? と真っ黒な物体が並んで詰められていた。

 こげ茶の方が多く、真っ黒は3~4個といったところか。

 わあ、この真っ黒な物体はチョコクッキーかな?

 カリッカリな歯応えに火災現場後のようなスモーキーな香りの予感。そして、口の中に広がる苦みとえぐみで咳き込む未来まで見えた。


「……姉ちゃん? これ、どうやって作った?」

「錬金の鍋に材料突っ込んで作った」

「……錬金の鍋?」


 アネットの美しい顔が得意げに上向く。


「そう。お前もこの世界に来て魔法とか勉強してるだろ? わたしも同じ様に魔法を使ってクッキーを作ってみたんだ」

「姉ちゃん、魔法とか使えるようになったのか!? 俺、まだよく使えないんだけど」

「部屋に引きこもってる間にちょちょいっとね。ま、このアネットがもともと魔法を使いこなしていたから、身体が覚えていてくれたってのもあるだろうけど」

「そうかー、すげーな姉ちゃん。魔法使えるとか、いよいよゲームの世界って感じじゃん」


 俺はそう言いつつ、焦げ茶色のクッキーを一つかみ。

 こっちならまだ大丈夫だろ。


「魔法で作ったクッキーかあ。はは、なんか変なもん入ってたりして」

「……」

「……ん?」

「……入ってるわけないだろ」

「なんだよ、今の間は? ……え? マジで?」

「入ってないって言ってんだろ! いいからクッキー食え!」


 俺は口元まで運びかけていたクッキーを慌てて戻す。


「いやいやいや、この状況で食えるわけねーだろ!? 姉ちゃん、なにを仕込んだ!?」

「だからなにもないって! 入ってるとしたら、その、あいじょう?」

「それ、ぜってー入ってないな。なんだよ、なにを企んで……」

「わかった!」


 姉ちゃんは大声と共に右手を俺に差し出してきた。


「わたしも食べるから」

「うん?」

「毒なんか入ってないって証明してやるよ」

「……じゃあ、食ってもらおうか」


 俺はタッパーの中から真っ黒な物体を選び出す。

 たとえ毒は入れてなくても死に至る代物。

 姉ちゃんが『ん! 早よせい!』とばかりに差し出している右手にそれを乗せて……やろうとしたところで仏心が出た。

 さすがに、せっかくクッキー作ってくれた姉ちゃんに死という現実を突きつけるわけにはいかない。

 こっちのこげ茶のクッキーにしといてやるか……。


 もごもご……。


「……どうだ。全然なんともないだろ?」

「さすがに、いくら姉ちゃんでも実の弟に変なもん食わせたりはしないんだな」

「当たり前だろ? さ、安心して、お前もクッキー食えよ。な? 一緒に食べてやるから」

「姉ちゃんも一緒に食べるなら、お茶でも淹れるか」

「わたしが淹れてやるよ」

「え、なにそれ。姉ちゃんが? 気持ち悪……」

「見知らぬ世界に来て怯えている可愛い弟をクッキーとお茶で労わってやろうという思いやりの心だろうが。ガタガタ抜かすとケツ蹴り上げるぞ」


 姉ちゃんはロイヤルルーム備え付けのマジックケトルの方に向かった。

 俺はその背中を見送りつつ、思う。

 ……本当に、俺を元気づけてくれようとしてるのか。

 自分の方がテンパってたのに。

 毒でも入ってるんじゃないかとか疑って悪かったな……。

 にしても、この手作りクッキー。

 こっちの黒い物体は失敗した奴か?

 明らかに焼き過ぎたんだろう。

 ……疑ったお詫びに、俺の方でこっちを食って処理しといてやるか。


 ……ぐああああああああっ!


 俺が口の端から涎垂らしてビクンビクン痙攣していると、姉ちゃんが紅茶を淹れてきた。

 だが、その様子がおかしい。

 なんか妙にもじもじして、息も荒い。

 顔も赤いし。

 姉ちゃんは妙に切なげな声を出した。


「……な、なあ? 身体の調子はどう……? なにか……感じない?」

「……死を感じてた」

「……なんだよ……まだクッキー食べてないのか……?」

「……いや、食ったが」

「……食べてないだろ。見ればわかる」


 姉ちゃんはこげ茶のクッキーを一つ取り上げる。


「……しょうがないな……わたしが食べさせてやるよ。そこ、座れ」

「……え? え?」


 俺は応接用のソファに押し倒された。

 突然の密着。

 姉ちゃんは俺にのしかかるような態勢だ。

 近い。

 顔も、心臓も。

 アネットの潤んだ目。

 押し当てられた体から熱を感じる。

 甘い香りが鼻の奥にまで拡がった。


「ね、姉ちゃん!? な、な、なに? ど、どど、どうした!?」

「きっしょ。なにどもってんの?」


 姉ちゃんは湿った笑みを浮かべる。


「まさか、なんかあると思った? なわけないだろ。なのに、お前……ああキモイキモイ」

「な、なんだよ……ふざけやがって……やめろよな、こういう気持ち悪い真似……」


 俺はぼやく。

 そして、気付く。


「……姉ちゃん? いい加減離れても……」

「……」


 姉ちゃんは俺から顔を背けていた。

 そして、離れる気配はない。

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