第十五話 鈴美友、あるいは「システラ」②

「……解析結果が出ました」

 エメリーに送られた重力波通信の傍受データは、速やかにScooLのSQC(量子スーパーコンピュータ)による解号処理と機械学習による言語構造解析に掛けられた。その結果は一進一退といったところであった。

 まず鈴美友が、地球外から送信されてきた重力波によってその場に「顕現」していることは確かめられた。その発信源は太陽を挟んだ地球の対蹠点――古いお伽噺では反地球があるとされていた場所――からだった。二人は速やかにその場所に赴いたが、しかしその発信源と特定された場所にはわずかな塵を除いては何もなかった。ただ操り人形の糸のみが見え、操り手はそこに居ないように見えた。

 一方でその通信の内容は、その大部分は未知で解析困難な数学理論や計算方式に沿っているようで解明に至れなかったが、他方でそれが大量の時空間座標情報を変数として用いていることが分かった。そしてそれらは地球の中心を基準とした時の、涼やアカネ、あるいは全人類と、全てのカメラの座標を示したものだった。このデータに合わせて鈴美友は、自分が見えるように光の角度を調整しているものと推測された。

「でもリアルタイムで座標を取得して、分析して、となると、取得から投影までの間に必ずタイムラグが発生するはず……計算の補正を入れているか、それとも実際にはシンクライアントじゃなくてリッチクライアントなの……?」

 ソファーに倒れ伏せるアカネの言葉に覇気はなく、譫言のようにぼやけていた。もぞもぞと身体を動かすのが限界のようで、目に見えて疲労している。少なくとも三天文単位(三億キロメートル)に渡って、何も存在に等しいような空間を凝視して、その空間の微細な変動を読み取ってホワイトボードに書き写し、それをデータに纏めるという作業を繰り返したのだから、ある種必然的なことでもあった。間近でそれを手伝っていた涼は、誰よりも彼女の疲労の理由を理解しているつもりだった。

 涼はタバコを燻らせながら思索を巡らせた。ここ数日のことですっかりタバコが癖になっているように思えたが、どことなくそれを認めるのも癪なので気付かないふりをした。

 鈴美友が地球外の文明やそれに類する存在によって送り込まれたものであろうことは最早確定したといってよいだろう。涼にとって分からなかったのはその動機だった。重力を自在に操るような高度な宇宙文明が、一体この滅びかけの地球に何の用があるというのだろう? しかもやっているのは、実利があるようで無い宇宙生命論の講義と、宇宙スケールのポストアポカリプス短編小説の発表だ。高度な文明を持ちながら、真空崩壊という眼前に迫った破滅に気づかず、いたずらを繰り返している子供のようにすら思えた。しかし地球上で流布している真空崩壊の観測データが、その出処はともかく真実であるということは、然るべき知性であれば見破れるはずだった。真空崩壊のことを知らずして鈴美友が行動しているとは考えにくい。

 涼はタバコを灰皿に置き、再び小説と鈴美友の講義を振り返った。宇宙の中で極限までに繁栄した文明は、しかし宇宙の終焉とその生を共に終えることを知って精神を病むことになる。そうした生命が宇宙の究極の命運から逃れる方法は二つ。一つは絶対時間を諦め主観時間を引き伸ばし、有限の中の無限に生き続けること。そしてもう一つは、他の宇宙からのエネルギー採取だ。

 だが前者の方は、かつてシオンがあっさりと無意味だと喝破していたアプローチだった。ともすれば彼女の講義は、その誤った道に人類を誘導しているような様子すら伺えた。


それがわざとだったら?


背筋が凍るような可能性だった。彼女はわざと、人類をリカバリ不可能な道へ追いやろうとしているのかもしれない。だが何のために?

涼は鈴美友が提示する、もう一つの可能性を考えた。多元宇宙からのエネルギー摂取。聞こえは良い。夢物語だ。それが可能であればどれだけいいだろう。それこそ、お腹が減ったからコンビニに行ってハンバーグ弁当でも買いに行くようなテンションで。いや、もっと大局的なスケールの話だろう。人類史でも同じようなことは行われてきた。つまり、不足した資源を求めて他国を侵略するのだ。

『それが、高度に発達した文明のみに許される特権であることは、皆様もお認めになるところでしょう』

 それにしても、なぜ鈴美友はあんな他人事のような言い方をしたのだろうか。人類も彼女も、同じこの宇宙の寿命を共有しているという意味では一心同体のはずなのに――。


 ぼっ。

「えっ? あ、うわっ!?」

 突然立ち上る炎と煙。眼前で広がる熱に涼はひっくり返った。慌てて時間を止める。

「……やっちまった」

 灰皿に置いていたはずのタバコは、わずかに巻紙の先のほうがはみ出ており、それが机の上に散乱していた資料に火を点けてしまったようだった。まるで教科書のような完全な失火事故だった。

 涼は少し考えてから、炎燃え上がる資料を手で持った。すると紙は炎ごと持ち上がる。涼はそれを慎重に風呂場に持っていき、湯船の中に入れた。そして時間を動かすと同時に、思いっきりシャワーで冷水を浴びせて鎮火した。

「……」

 びしゃびしゃになった黒焦げの資料を見て陰鬱な気分になったままオフィスに戻ると、もうもうと立ち込める煙の中で、アカネが咳き込みながら周囲を見渡していた。

「……すまん、ボヤ起こした」

「……窓開けといて」

 アカネは皮肉やため息すら億劫なようで、直ぐに身体をまた横にした。がらがらと窓を開け放つ涼。タバコの煙とはわけの違う、確実に二酸化炭素や一酸化炭素が大量に吐き出されたような事象にも関わらず、うんともすんとも言わない火災報知器。

 あの通知を見落としたばっかりに、危うく命を落としかけた。

 それを教訓にせねばならないと自戒をした瞬間、涼の中に衝撃が走った。

「通知なのか」

 そう呟やきながら脳内で急速に展開されていく論理に、涼は頭を抱えた。外宇宙、侵略、エネルギー利用、そこに居ない操り主。全てが「通知」という言葉で繋がっていく。

もしこんな話が通るのなら、それこそ日常生活の些事すべてにおける前提を根本から疑い直していく必要が生じてしまう。だが、今提示されている材料を十分に説明する理屈でもあるように思えた。

 涼は、もっと科学やSFについて勉強をするべきだったと公開した。もしもっと、今よりもそうした領域に詳しければ、そもそも最小経路でこんな考えを否定なり肯定なり出来るはずだった。

 しかし、涼達はクロノステイサーを有しているがため、まず最も保守的な対応を取ることが可能な立場にもあった。それが許される以上、涼はその可能性――つまり、この宇宙の全てが狙われている可能性について、せめて力技を使ってでもまず潰しておかなければならないと決意したのだった。

 

二〇三六年六月十日 十五時一分三秒


「先生、少しよろしいですか」

 二人の男女が駆け寄ってくる。少なくともこれまで頻繁に授業に出てくれていた数名の中の誰かではない事は一目で分かった。

「講義のことで質問があります」

 鈴は自身の研究室に二人を招いた。壁の本棚にぎっしりと本が並べられて、その背表紙が室内をカラフルに彩っていた。応接スペースに二人を座らせると、鈴は茶を用意してテーブルの上に置いた。女のほうはそれに手をつけるでもなく、開口一番切り出した。

「先程の授業、とても感銘を受けました。しかしお尋ねしたいことがいくつか。まずあの授業では、宇宙の滅亡の可能性が二つの類型で示されていました。しかし実際にはもう一つのパターンが有るのではないですか」

 鈴は静かに、女――アカネの言葉の続きを待った。

「それは、突然死です」

「具体例としては何を指しているのですか?」

「御冗談を。この世界が今、正に陥っているではありませんか。そしてこの講義が、こんなにも耳目を集めている理由でもある」

 鈴は昆虫を見るような目で二人を眺めた。

「真空崩壊ですか」

「先程の講義で提案された存続策は、例えそれが生命の電子化のようなアプローチであろうとも、実現のために十分な準備期間が必要となる。裏を返すと真空崩壊のような突発的な滅亡の可能性の対策とはなりえない。にもかかわらずあなたは敢えて、それが今迫る問題の対応策に映るかのような授業を行った。その狙いはなんですか?」

「……ふむ」

「そもそも、あなたのこれまでの講義の内容は言ってしまえば、極めて保守的で教科書的だった。それが突然ある日を境にこのような内容に転じた。あの小説を発表したタイミングからです。その意図は?」

「世界の崩壊を間近に感じるようになれば、精神的に不安定になることもありうるでしょう」

「しかし、今のあなたは極めて冷静だ。まるで何か、安心を確信しているかのように」

 鈴はぴくりとも表情を変えない。アカネは言葉を続けた。

「私たちがいま最も懸念しているのは、それが単なる錯乱によるものではなく、一つの明確な意志に基づいているという可能性です。つまり、人々を現実的な生存欲求から観念的な永遠の希求へと誘導して、何かしらの便益を得ようとしているのでは、ということです」

「……探偵や警察のマネごとをするには、随分と理論や証拠が飛躍しているように聞こえますね。一体それが、単なる大学教授である私に一体なんの利益をもたらすというのですか」

「残念ながら我々はそのいずれでもありません。私達はSFプロトタイピングをしています」

「……何ですって?」

「あなたが講義の最後で触れた、生命の二つの姿。その提示にはそれぞれ意味があった。一つ目の生命の高速化は一見最もらしい可能性を提示することで、人類の意識やリソースをその手段に差し向けること」

「意味や目的などという、そんな大それたものはありませんよ。単なる理論的な仮説を紹介しただけに過ぎません」

「それは、あなたがもし理論物理学者や天文学者としてそれを紹介したのだとしたらそうでしょう。しかしSF作家としてなら、ああは紹介しない。いや、出来ない。そしてそこに、二つ目の可能性――別宇宙の利用について紹介した理由がある」

「どういうことですか」

「あの紹介の仕方は、利用される側の宇宙がどうなるかについて、言及していないからです」

 見た目にはそれまでの落ち着き払った鈴となんら変わった様子は見えなかった。だがその場に居た二人は、彼女の呼吸が一瞬止まったのをその耳で確かに感じた。

「あなたもSF作家なら、必ずその可能性に思い当たったはずです。移動する先の宇宙、エネルギーを採取するための宇宙、そこには少なくない確率で、先住の生命が存在するはずです。あの理論は、そうした別宇宙の生命との摩擦の可能性を一切考慮していない。それが最大の問題であり、そして疑念です。つまりあなたは、それを意図的に隠したのではないかと」

「何の理由があってそんなことをするというのですか」

「ここで大きく想像を飛躍させましょう。どんな宇宙であれ、それが定常状態でも、膨張しても収縮しても、いずれ何らかのエネルギー利用の限界に至ります。そうした状況に置かれた生命は、無限の牢獄に自ら閉じこもるか、外宇宙に打って出るかの二択を取る。もし後者を実施すると仮定しましょう。しかしそのような高度な選択肢を取ることが可能な文明は、少なくとも倫理道徳観念についても一定以上の水準に至っていることが期待されます。そのような文明内において彼らの高度な規範は、一方的な外宇宙の侵略行為を許容しないでしょう。しかし時間的猶予はない。追い詰められた彼らは、道徳的な妥協点として、黙認ベースの合意論理を利用することが予想されます」

 鈴美友が目を見開いた。それは初めて彼女が見せた感情的な反応だった。

「つまり、侵略される側の宇宙に対して事前にその可能性を通知し、反応がないことを持ってそれを受諾したと受け止める。全く合意の要件を満たしていないこれが、しかし死期せまる文明の自己正当化として利用された。……あの紹介は形式的な、事前通告だったのではないですか?」

「……」

「そして私が最も危惧しているのは。真空崩壊が、その外宇宙からのエネルギー利活用のための手段ではないか、という可能性です。つまり、そうした文明は偽の真空状態にある宇宙を狙い、その真空のエネルギーを取り出すことを企図している。もしあれが天災ではなく人災だとすれば、我々も動かざるを得ません。我々は明確に、その侵略を拒絶する意思を示さねばなりません」

「……私は」

 その瞬間、森美友は姿を消した。

「え?」

 だが、その困惑した声は二人の耳に届いた。

「あなたが、重力波を操りその光学的な像を生み出していることも既に把握しています。今我々は、あなたが通信に用いている重力波の内、私達の座標を表している部分を逆位相の振動によって弱めました。これでも、まだ認めないつもりですか」

 鈴はしばらく目をつむり、じっと何かを考えるような様子だった。数秒の沈黙の後、彼女はふっと肩の力を抜いた。

「……一つだけ誤解を訂正します。真空崩壊は、我々が起こしたものではない。あれは紛うことなき天災です」

「それ以外は認めると?」

「大枠では正しい。我々の規則(プロトコル)は、事前通知に対しての明確な拒絶を示された場合速やかにそのエネルギー利用を止めることを規定しています。あなた方の先程の意思はそれに該当しました」

 涼は呼吸を続けることでもう精一杯だったが、何とか言葉を振り絞る。

「――あなた方の正体は、あの小説に出てきたシステラですか?」

「名称は異なりますが、あの物語は凡そ我々がなぞった歴史を辿るものです。我々の文明は滅失の危機に瀕し、その中で外宇宙からのエネルギー利用を行い始めました」

 涼は頭がクラクラした。当たってほしくなかった最悪の予想が当たった、というのは何も初めてのことではないはずだったが、過去にあったその何よりもそれは絶望的だった。それでも涼は辛抱強く問いかけを続けた。

「なぜ、我々なのですか」

「他の宇宙に於ける文明圏がどうかはわかりかねますが、我々には明確な基準があります。それは、末期症状の病態にある宇宙のみを採掘の対象にするというものです」

 末期症状。その言葉が一体何を指しているのか、考えるのにさほど時間は要らなかった。

「ふざけるな! ……なぜそこまで、独善的で居られる!?」

「……真空崩壊を起こしているこの宇宙は、末期の状態にあると?」

 鈴は涼の激情には反応せず、アカネの言葉に返事をした。

「真空崩壊は正に、宇宙という概念における不治の病であるというのが我々の理解です。急速にして確実な死を起こすその宇宙に対して、我々は救いの手を差し伸べることは出来ません。我々が倫理的な線引を明文化して行う際に、その発生の有無を基準にするというのは極めて自然な決定でした」

 淡々と、彼女は語る。それはこの宇宙が今どのような状況に瀕しているかを、改めて俯瞰するような言葉だった。

「救命の可能性の無い個体から、可用な部位を移植する行為はこの地球上でも一般に行われている行為でしょう。恐らく決定的な違いはそれが能動的な合意に基づくか、受動的な形かという違いでしょうが、しかし生に執着し、圧倒的な文明としての優位を有する我々にとって、残念ながらそれは大きな問題とはなり得ませんでした」

「つまり、ここまでの答えに至っても、我々のこの宇宙の状況を好転させるような可能性はあなた方からは得られないと?」

「そのようになります。そもそも、この宇宙からのエネルギー利活用の可能性が閉ざされたが故に、私はもう去らねばなりません」

「……そうして、次の真空崩壊に瀕した宇宙に移っていくのですか」

 皮肉と恨みの感情が、こんなにもすんなりと言葉に乗ることはあるだろうかと涼は自嘲した。それでも鈴美友は揺らがなかった。

「すでに、幾多の宇宙でそうしてきたことです」

鈴は、まるで役所の窓口に座る四角四面の役人のような面持ちでそう答えた。

「過去の宇宙にも、あなた方の企てに気づいた者は居たのですか」

「当然にいました。中にはあなた方とは異なり武力による反撃を試みてきた文明もありましたし、あるいは受け入れてくださる文明もありました」

「受け入れ……?」

「真空崩壊が、真に避けがたい究極の命運であることを受け入れた上で、他文明の継続に寄与できるのであれば、とその力を提供してくれた、ということです」

「……そうした文明を足蹴にして、お前たちは生きながらえてきた」

 そこで鈴は初めて、小さく「はっ」と笑い声を発した。

「あなたがたが地球上でそうしてきたのと同じようにね。我々はあなたがたを見下したりはしない。しかし――特別の尊重もしない。それだけのことです」

 次の瞬間、鈴美友は姿を消した。二人は時間を止め地球上をくまなく捜索したが、彼女の姿は影も形もなかった。

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