第十三話 三面等価、あるいは後天的習得
緊急の中間報告会が開かれることとなり、三人は青崎総研秋葉原オフィス第一会議室に集合することとなった。
「……待たせた、ちょっと荷物が大量に届いたもんでな」
そう手をぱんぱんと払いながら、他の二人が待つ会議室に涼が合流した。
「シオン。まず根本的なことについて問いたい」
そう切り出して涼は先般の疑問をぶつけた。時間を永遠に止めてその中で過ごすなんていうことは、本当に可能なのか?
シオンは事も無げに直ぐに答えた。
「その問は、二つの要素に分けられるかな。時間の再開点を持たずに止め続けることは出来るかという問と、永遠に過ごすことは出来るかという問。まず一つ目の答えは、理論上は出来る、になる」
「それは、どうやって? この前の理屈だとそうは聞こえない」
「GUIの説明は寧ろ、実数時間に慣れている人に理屈を分かりやすく説明するために提示した、少し本質を端折ったアナロジーなんだよね。その説明は『人の主観というのは、実数時間の世界の流れを認識するためのGUIに過ぎない』って言っているのと同じだから」
「けど、それはあくまで言い換えでしか無く、実際には実数時間も、虚数時間もある、と?」
アカネの言葉にシオンは頷いた。
「三面等価が成立するというのは、そういうこと。時間停止はいわば、使用者の主観が認識する時間軸を垂直方向に回転させる行為。もう一度回転させることは原理上必ずしも必要ではない」
「……そうなるとなおさら分からない。あんたの説明は、時間停止の説明にはなってる。だけどクロノステイサーの説明にはなっていない」
アカネが涼のVisoRをデコピンで弾いた。
「クロノステイサーは、一体どういう原理で時間を止め、動かしているというの?」
「……クロノステイサーが時間を動かしたり、止めてるわけではない、が答え」
いよいよ涼は立ち上がった。
「じゃあ、一体」
「さっきも言ったように、これは主観が世界をどう観測するかっていう問題。クロノステイサーの一つの機能は、その観測の仕方を使用者の主観に記憶させ、切り替えが出来るようにするというもの。つまり虚数時間の認識方法を、人間に気付かせるという機能」
「一つの? もう一つは」
「タイミングの同期だよ」
シオンの言葉に、アカネは「あ」と零した。何かが得心いったようだった。
「例えば涼くんとお姉ちゃんが同じ虚数時間を過ごそうとして、観測の切り替えの実数時間の瞬間がほんの僅かでもズレれば、異なる虚数時間を漂うことになってしまう。そうならないためには、本当の意味で同時に、それを実施する必要が出てくる」
「本当の意味でって、そんなの可能なの?」
「出来たから二人はそれが出来ていて、しかし難しいから、全人類分の対応の準備には苦戦してる、ってこと」
アカネはその点については追求をしなかったが、むしろ疑問の本丸は前者だった。シオンの主張、つまり人類は後天的にであれ、虚数時間を観測する能力を持ち合わせており、クロナイザーはその起点でしかないという説明は、少なくともアカネにとっては大変受け入れがたいことだった。果たして目をギュッとつぶって、世界の新たな認識の方法を必死に念じ続けることで、人がそのような認識を得るに至ることができるだろうか。
「言語についてを思い出してみて」
シオンは例えをもって、それに対して答えた。
「わたしたちは母語として日本語を、体系だった教育を受けるわけでもなく習得した。アメリカ生まれなら英語を、中国生まれなら中国語を、同じように習得する。そしてその個別具体の言語の習得と同時に、言語一般の性質も理解をしている。だからこそわたしたちは、他の言語を後天的に、体系だった教育――つまり文法や単語の教育によっても理解できるようになる。これって凄いことだと思うんだよね、だって母語だけをサンプルに考えれば、言語というのは長い時間を掛けて実際に沢山使うことで初めて習得できるものだというふうに結論してもおかしくない。なのに、言語一般の理解を体得しているお陰で、そうした長期の実践を経ずとも、システム体系の連携だけで全く異なる言葉を相当程度使えるようになるんだから。私たちには一を聞いて十を知る能力が、生得的に存在する。
時間についても同じってこと。わたしたちは実数時間の中で育ってきたことを通じて、時間一般の性質を理解している。だからこそ後天的に虚数時間の体系を習得することで、それらの時間を認識することが出来るようになる」
そう説明され、アカネは一旦鉾を収めることにした。確かに、人間がそうして認識や知覚を後天的に変えることが出来る例はあるだろう。
その一方で、ある問いも彼女の中に残されたままだった。つまり、一体シオンはどうやって、その体系を獲得したのだろうか? だがアカネは、仮説が自分の中にできるまでその問いを仕舞うことにした。
「で、永遠に過ごすことが出来るか、の方の問いについてだけど。これはね、わかんない」
とシオンはあっけらかんと言い放った。
「そんな!」
「ごめん涼くん、けど真面目に答えるなら、本当にわかんないの。正確に言えば、断言は出来ないってこと。この計画は言ってみれば、まっすぐ進んでた道がこの先で断崖絶壁になってるのが見えたから、慌てて右転回しようとしている、みたいなもの。右の方の道は今の所真っ直ぐ地平が伸びているように見えるけれど、それがどこまで続くかは分からない」
「しかし、真空崩壊もビッグクランチも熱的死も、個体死も起きない。違うのか」
「それ以外なら起きるかもしれない」
シオンの答えはあくまで慎重だった。
「……あんたの目的は、永遠に過ごすことじゃないの」
「そうだよ。そして少なくともクロノステイサーが“現段階で”最もそれに近いものであることも間違いない」
シオンが「現段階で」という部分を強調した意味について考え、そして涼は立ち上がった。
「……お前、まさか」
「うん。私は、時間停止後も研究を続ける。虚数世界をどう永続させられるか、あるいはクロノステイサーよりも更に良いアプローチがないかどうか」
シオンの笑顔に涼は呆然とするほかない。
「……一体、お前のその原動力はどこから出てくるんだ」
肩をすくめるシオン。
「だから実はね、お姉ちゃんが懸念してたようなこともある程度考えてたんだ」
そういってシオンはチャットに資料を送ってきた。テキストデータやPowerPoint形式のデータなどが幾つかあり、そのどれもが数百ページ分は有る大ボリュームだった。
「これは?」
「円滑な世界移行のための検討資料。政治体制、法体系、倫理道徳、コミュニケーション、有るべき文化の形……そういうソフト面についていろいろと検討したり思考実験した結果をまとめてみたんだ」
アカネは数十秒ほどそれらに目を走らせ、
「……端的に言えばVisoRで、強制的にこれら全てを全人類に教え込むっていう計画に見えるけど」
「それよりもいいアイデアが思いついたら、是非提案してほしいな」
しばらくアカネは無言だったが、やがてどうやってもその場では捌ききれないことを覚り、
「とりあえず、これは読みこむ」
「お願い。あ、虚数世界でも読みやすいように印刷しておいたから」
アカネはあからさまに嫌悪の顔を浮かべた。
「さっき届いた大量の荷物、もしかして全部それなの?」
「……うわっ、本当だ。全部紙、紙、紙。だから問屋が同業者みたいなテンションで話しかけてきたんだ、さっき」
玄関先に届いていた荷物を開けて、悲鳴と嘆息が立ち込める室内。それを遠目に、首元のチョーカーを撫でながらシオンは呟いた。
「――それにしてもそのSF小説。まさか、ね」
その小さな声は、膨大な資料に忙殺されることが確定した二人の耳には届かなかった。
その後二人はシオンが準備していた検討資料群の読み込みを進めなから、エメリーが検知した国境紛争や人道危機の兆候を抑え込むという活動にひたすらに追われることになる。
シオンの言葉の意味を二人が理解したのは、その発言の実に三日後になってからのことだった。
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