第九話 デブリーフィング、あるいはエメリー

二〇三六年六月三日 十二時四分五十一秒


 止血処置の終わったパイロットが、フライバイするV-22オスプレイ――ScooL経由で手配したものだ――により搬送されていくのを、成田空港内にあるScooL社所有のヘリポートからアカネが見送っていると、丁度インディアナ航空機が滑走路にアプローチしてきた。


 それはとても奇妙な光景だった。いや正確には見た目はおおよそ、普通の航空機の着陸の様相のように見えたが、音がしなかった。まるで紙飛行機が地面に落着するときのように、そよ風も立てずにその機体はふわりと地面に着陸していった。


「……ほんと、バカ」

 そう呟いてヘリポートの脇にあるレストハウスに入ると、そこにはぐったりした様子の涼が、ソファーの上で横たわっていた。

「死んだ?」

 脇にあるオフィスチェアにアカネが腰を下ろすと、涼はかろうじて腕をひらひらと上げた。

「肉体的には全くなんてことない、はずなんだが。……メンタルが終わった。恐ろしいよ。アニメーター、ストップモーションアニメの制作者、全ての映像制作業者に対してリスペクト」

「全力投球なのは良いけど。それやってると、絶対に持たないでしょ」

 涼はムッとして起き上がったが、しかしアカネの面持ちが想像以上に真摯なことを見て口を閉じた。

「あんたさ、飛行機の中で『確実な方法があるのに』とか言ってたけど、現実的に考えていくなら、全部について確実な方法を取ることなんてできない」

「けどそれは、時間的な成約がある場合だろ。今の俺達は違う」

 涼は拳を握った。

「俺達に時間の制約は無い。普通なら失われそうな、取りこぼしてしまうようなものを、自らの目で見て追いかけて、手を伸ばして、拾い上げることが出来る。なのにそれをしない道理があるか?」

「制約はある」

「二週間の期間のことか」

「違う。あたしたちの存在そのもの。あたしたちは全知全能じゃないし、あるべきでもない。あたしたちができることは、二週間後までに人類文明と地球環境が無用な陰謀論によって破壊されてしまうようなことを防ぐことであって、全人類を端から端まで救うことじゃない」

「それが出来るとしても?」

「できないって言ってんの。ここから八十八億人の人間の動向をすべてコンマ一秒単位で見守って、危ないことしないかどうか監視するなんていうのは、人間の精神でこなせるようなことじゃない。それにあたしたちに依頼された仕事でもない。そんなことが出来るのは神か、ScooLのシステムくらい」

 最初涼は、アカネが「できるかどうかとやるかどうかは別問題」という話をしてくるのかと身構えていた。もしそうであれば、出来る以上はやるべきだろうと。全ての道路交通状況を見守って交通事故が起きそうに慣れば、時間を止めて涼が駆けつけるべきだろうと考えた。だが、そうではなかった。アカネは、そんなことは人間ではできないという。そして実際、そうであることを痛いほど分かっているのは他ならぬ涼自身であった。


 しかし。出来るものがやらなければいけないのではないか。そのような思いも涼の中で渦巻いてしまう。


「そういってもあんたが文句を言うんなら、代替案を提示してあげる」


 アカネはビデオ通話を開始し、涼のVisoRにもその様子を投影した。

 相手は涼たちと同世代か少し上だろうか、中性的な容姿をした長髪の麗人だった。掛けているVisoRはシルバーのスクウェア型のフレームタイプで、そのどこか鋭い眼光と黒く引き締まったタートルネックと合わさって、深い理知を予感させた。


「――ハードなプロジェクトになるだろうというのはサイオンCTOから聞いていましたが、まさかこれほどだとは思っていませんでした」

 流暢な日本語の声はハスキーだったが、男のそれのように聞こえた。

「患者の素性を探ったり漏らしたりもしない医者と医療機関の斡旋、ドローンの操作権の一時的な移譲、マスコミ封鎖、現地警察や空港の対応への介入、挙句の果てに米軍機のスクランブル……ScooLをフリーメイソンかなにかと勘違いしてないですか?」

「けれども、今んとこ全部できてるようですね」

 涼のおちょくりに、相手はどっとため息を吐いた。

「どれだけの無理を強いているか、ということですよ。まあこの真空崩壊騒ぎのお陰で、逆に多少の強硬策も通るような節もありますけれども」

 腕を組みながらため息を吐くその人物が、シオンの言う協力人物のようだ。

「冗談です、助かりました。改めて初めまして。あなたが……ミスター・エメリー?」

「恐る恐る言わなくていいですよ。私は性自認も身体も男です。まあ、普通に日本語で話す分にはさん付けでいいでしょう。エメリー・ブラウンです。こちらこそ初めまして、青崎社長」

 ふっと笑うエメリーの表情はどこか妖しく艷やかで、そしてそのことについてきっと彼自身も自覚的であろうことを涼は覚った。


 エメリーはScooL社のHQ(本社)から、二人のプロジェクトを支援してくれる。一体それが世界を救うことにどうつながるのかも知らされないままに、アメリカに居ながら日本での二人の活動に合わせた生活サイクルを向こう二週間強制される。間違いなく過酷となることが予想される業務だったが、シオンの従順な信奉者である彼は快くその立場を引き受けてくれたのだという。

 ただし恭順しているのはあくまでシオンだけであることは、彼のそのシニカルな物言いからも見て取れた。

「さて、この三十分の間にも、新たに複数のテロ計画や大規模な動乱の情報を手にしています。まずはそれについて話したほうが良いですかね?」

「なんというか、世界というのは何でこうも脆いかね。もう少し普段から鍛えておくべきなんじゃないか」

 涼は自分の腹筋を撫でながらそう呟いた。しかし一方で、いくら鍛えたところで人間いつ命を落とすかわからないことも知っていた。

「それより先に頼んどきたいことがある」

 アカネは涼の顔をちらりと見た後に、言った。

「自動運転車は、事故が起きる瞬間にそれが人身事故となるかどうか、全て計算し把握してる。これは合ってる?」

「なんですか突然……ええ、その通りです。全ての自動運転車は車体に搭載されている映像、ホーネットから撮影されている映像、VisoRを掛けた歩行者の移動データから、人身事故の可能性を全て把握しています。車両はそれを元に移動経路を決めていますが、だからこそ起きてしまう事故は、不幸なものばかりです」

「それが発生すると確実視された瞬間、シオンが用意したAPIにその発生座標と実行指示を送る仕組みを、大至急開発してほしい」

 そう言い切ってからアカネは時間を止めた。そして涼に向き直る。

「事故が起きた瞬間に自動的にクロノステイサーが起動する仕組みを作ってもらう。これで少なくとも、二十四時間体制で道路交通網を監視する手間は省ける」

「……なるほどな。分かった。それで、俺も納得することにする」

 時間を再び動かすと、エメリーは少しの沈黙の後にアカネの願いを聞き入れた。

「事故は、あらゆるレベルのものですか?」

「それまで検討が付くのか」

「はい」

 涼は額を手で覆った。必ず眼前の人間が死に至ってしまうことが一秒前や二秒前に予見できてしまうようなシステムが今この世界を走っていることにショックを受けていた。だがそんなことを言ってもしようがないことも十分にわかっていた。

「後遺症が残るような障害が起きるのを境目にしてくれ。それよりも酷い事故を教えてくれれば」

 倫理の境目を明確に引く、その行為に涼が足を踏み入れた瞬間だった。


 エメリーは直ぐに別の電話を取り誰かに指示を出している。彼がいわゆる「椅子の男」であるとは涼は思っていなかった。なぜなら先程捕縛したテロリストたちが企てていた自爆テロの標的は、他等ならぬScooL本社屋であったからだ。

「しかし、なぜ連中はScooLを狙ったんだ? 崩壊論者の攻撃がそちらに向かう意味がわからない」

「崩壊論者も様々です。今回の組織は、真空崩壊はScooLのSQC(量子スーパーコンピュータ―)研究が招いたものであり、その元凶を破壊することで真空崩壊を止める、といった思想に基づいた組織でした。当然、SQCにはそのような力はありません。量子コンピューターに関するよくある誤解ですが」

 

 よくあるということは、そのような誤解をしている組織がこれで終わりではない、ということを意味している。

 今度はタイピングしながら誰かと連絡を取っているエメリー。それが終わり顔を上げると、

「……大至急対応させていますが、二〇分後にはリリースできると思います。他になければ、他のテロ情報についての説明に入ります」


 その概要を聞きながら、涼は頭を抱えた。そしてアカネが先般放った「SFシステムエンジニアリング」という言葉は、今自分たちが置かれている状況をこれ以上無いほど的確に表しているのではないかと考えた。

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