第三話 再会、あるいは雨

二〇三六年六月二日 十一時五十二分一秒


 事務所を出る前に、アカネは涼を一瞥して、

「……スーツ全然似合ってない、不動産や投資会社の営業マンみたい」

「おい、見た目のステレオタイプはSFと云々とか言ってたのはどうした」

「あとヒゲ剃ってくんない? 似合ってないから」

「これについては、伸ばすことにした。その方が威厳があるだろ?」

 無精髭をざらりと撫でながら、涼は悪びれることなく言った。アカネは憮然としたように、左の上腕のあたりを右手でさすった。アカネのルーティンらしい。以前それを涼がイジったら、「あんたのその赤字経営もルーティンなの?」と手酷く難じられたこともあり、以来涼は特段突っ込んだりしないようにしている。


 オンライン会議を終えたアカネと共に事務所を出立。タクシー代を嫌って電車で向かうことを告げると、アカネは心底面倒くさそうな表情を浮かべた。だがそこまで遠い道のりでもなく、十数分ほど山手線に揺られる。

「……げ、予報見たら雨じゃんか」

 視界の端に表示されている一時間天気予報に今更気づいて呻き声をあげる涼。

「傘持ってき忘れた……」

「バカ? 梅雨時なんだから、予報関係なく普通持ち歩くでしょ」

 そう言いながらアカネは小さなカバンから、これまた小さな折り畳み傘を取り出した。

「降った時は中に入れてくれるか」

「あんたのそのデカい肩幅じゃ、一人で使っても収まりきらないでしょ」

 涼は首を振った。

「悲しいもんだ。小さい頃はよく三人で」

 言いかけて、涼はしまったと言わんばかりに口を噤んだ。

 恐る恐るアカネの様子を見やるが、彼女もまたなんの反応も示さなかった。それを見て涼は胸を撫で下ろしたが、そこから先の言葉を紡ぐ勇気はどうしても生まれなかった。

 幼馴染だったはずの二人はそのように、その幼少の頃の思い出を語るのをどちらともなく避けていた。

 そこに居ないもう一人のことに触れないように、慎重に。


 無言のまま渋谷駅で降りて改札を出ると、空は渋谷の雑踏と同じくらい灰色に薄暗く澱んでいるものの、なんとか崩れず持ち堪えているようだった。この状態のまま時が止まってくれと涼が願っていると、シオンはようやくボソリと、

「喫煙所いく」

 と言った。

「はいはい」

 今やほぼ絶滅してしまった公共の場の喫煙所の、数少ない生き残りがこの駅前にはある。アカネが中に入っていくのを見送るが、なんともそれを外で待ってばかりというのも面白くないので、今日は涼も中に入っていく。

「……おお、貸し切りかよ」

「そ。珍しい」

 そう言いながらアカネはもう一服を始めていた。その姿は様になっているどころか最早堂に入っていた。

 壁には大量のステッカーやチラシが貼られているが、その多くはビデオノイズキャンセリングで覆い隠されている。視界に映る、ScooLの審査を通っていないバーチャル広告以外の情報を除去するVisoRの機能であるが、これをオフにすると、ほとんどは崩壊論者が作って貼ったであろうものであることがすぐに分かった。

「滅亡の日が来たる」

「全ての罪を洗い流せ」

「救済の道は」

どれも統一性がなく、皆行き当たりばったりな印象を受けた。外の喧騒にも耳を澄ませると、街頭演説車か何かが拡声器で訴えかけているのが聴こえた。涼は聞き取ってやろうかとノイズキャンセリングもオフにしたが、おおよそそれがビラに書いてあることと同じであることを覚るとすぐに興味を無くした。

「一本くれ」

「……ん」

 アカネに手渡されたタバコに火を点け、それを口に咥える。その瞬間にもう、ピーチとストロベリーのガツンとした風味が口内を支配する。吸い、肺まで入れて、そして吐き出す。

「……相変わらず甘ったるすぎだろ」

「文句あるなら返してくんない」

 桃色の煙と共にフルーツの芳醇な香りが、狭い空間内に充満する。

「スーツにニオイが付くかもしれん」

「ニオイ気にする奴が、そもそも吸うな」


 一張羅のスーツは一応社会人になるにあたって気合を入れて銀座のテーラーで仕立ててもらったものだったが、残念ながらほとんど着る機会は無く未だにどこか着心地が悪い。体育会系出身を自称する涼も最近はめっきり運動から遠ざかって入るのだが、未だに大胸筋は平均的な成人男性のそれよりは厚く張り出している。

しかしあまりにも小慣れていないように見えるようであれば、ニオイの一つでもつけたほうがむしろ箔となるだろうかと涼が考えていると、

「……ん?」

 一瞬、違和感を覚えた。まるで煙がそこにとどまって、動かなくなったかのような感覚。

「ねえ、今」

 アカネも同じことを感じたのだろう、涼にそう話しかけた。だが、それは一瞬のことだった。まばたきをした瞬間には、もうその違和感は煙とともに霧散していた。


 そこから歩いて数分。雑居ビルの二階にある中華料理店が指定された待ち合わせ場所だった。中華と聞いて気軽な気持ちで来たのだが、外観はどちらかというと料亭のような質素さで、どこか厳かな様子だった。本当にこの場所で正しいか確かめるために地図アプリなどで確かめてみると、口コミサイトで星四・八の超高級料理店であることが分かり、涼は何も見なかったことにした。

 中で店員に約束をしていることを伝えると、奥へ奥へと通される。そして一番奥の突き当りには、扉が二つ並んでいる。このうち左の個室に、先客が居るのだという。

 全く慣れない経験に柄になく緊張する涼だったが、その中に居たのは見慣れた顔だった。

「やあ、青崎くん。悪いねわざわざ出てきてもらって」

 その声に涼はほっと肩を撫で下ろして、

「高橋本部長とお食事の機会であれば、いつでも喜んで参じますよ」

 中肉中背の高橋本部長は暁製作所の幹部で、数少ない青崎総研の取引先でもあった。付き合いは涼の学生時代にまで遡る。学生起業をした涼が四次請けくらいの情報成果物制作案件をこなしたところ、その出来具合が親事業者たる暁製作所の事業統括本部長たる高橋の目に止まり、所謂「この料理を作ったシェフは誰だ」現象が発生。

 下請けのチェーンで繋がれた企業間での様々な権利や権益のいざこざを経た後に、高橋本部長は直々に涼の元を訪れた。複数の国家プロジェクトを担うような日本を代表するIT企業のお偉方が突然土産と共に現れて、たいそう涼は慌てた。

 掻い摘んで言えば、涼が源泉徴収後手取り五万円で行った仕事は本来三千万円弱程度の規模で委託していた案件で、そしてその成果は暁製作所の営業利益を五十億円増やすことに寄与したのだという。それを聞いて涼は震え上がり、少なくともその数字感については墓まで持って帰ろうと決意したが、つい先日酒の席で酔った拍子にアカネにぽろりと零した結果、あまりの業界の搾取構造と遺失利益の大きさに感情を爆発させたアカネに何故か涼がボコボコにされるという事態にまで発展した。


 高橋本部長もまたそうした経緯への義理を果たしたいということなのだろう、ある程度発注先に融通が効くような案件では提案依頼書を送ってくれ、実際に取引も重ねている。

「先日の件ではありがとうございました。無事検収まで至ったようで、胸を撫でおろしましたよ」

 案内されるままに席に座りながらそう涼が頭を下げると、高橋は困ったように笑った。

「いやいや寧ろもう一件の方では、ギリギリまで再提出対応をしてもらっていたのに見送りとなってしまって、全く申し訳ないなと思っていたところだ」

「そういう仕事ですから問題ありません。しかし、そうですね……改めて理由を、お聞きしても?」


 今回、暁製作所からは同時期に二件の提案依頼をもらっていた。そのため片方を涼、もう片方をアカネが担当した。担当者からの事務的なメールからは金額面での折り合いという説明だったが、両方とも提示規模は同じくらい、そこが理由であるとはどうも思えなかった。

「そうだな……今回は、織戸さんの案件のほうが、より現場部署の考えにマッチしていた、ということのようだったな」

「それは?」

「あくまで、我々から見たSFプロトタイピングへの期待、というものに過ぎないということは前置きしたいが、それが何かといえば、説得力だと思っている」

 高橋はコップの水を一口含んで、

「説得力の有る未来、感情を移入できる未来、そんなものを体系立てて説明するという点では、織戸さんのほうが得意だろう。今回の資料でも、多くの論文や過去のSF作品が引用されていて、描かれた未来が科学の観点からも、人間の思索の観点からもとても納得がいくものだった」

 アカネは腕組みしながら軽く会釈をした。だがちらりと涼が見たところ、彼女の小鼻は少し膨らんでいた。さしもの織戸アカネといえども、大企業の幹部に褒められて悪い気はしないようだ。


「もちろん、想像の理外から誰も気づけていなかった新たな可能性が見つかることも、私個人としては期待を寄せているところだ。だが今回はそうしたものよりも、先程言ったような側面の需要が大きかった、ということのようだ」

「……ありがとうございます、次回提案に役立てます」

「いや、君がわざわざそのようなことに合わせる必要はない。青崎くんのプレゼンが与えてくれる飛躍した発想は、特大ホームランに繋がる可能性があることを私はよく知っている。是非、その調子でフルスイングを続けてもらいたいと思っている」

 その励ましの言葉が空虚に聞こえずに済んだのは、実際涼の案件もいくつか発注に至ることがあるからだ。アカネの提案が現場側の部門で受けるのに比べると、涼の案件はどちらかというと高橋に近い層の部署で通ることが多いようだった。

「さて、挨拶もそこそこだが本題に入ろう。実は今日、本当に用件があるのは私ではないんだ」

「といいますと?」

「パートナー企業……より厳密に言えば社の最大のサプライヤーの幹部から、『特別に重要な案件』――ああ、原文ママだよ――そのコンサルティングについて相談があった。具体的な内容は秘されているが、その会社のかなり大きな経営判断にも影響するとのことだ」

 高橋は涼の瞳を見つめた。

「青崎くんたちを紹介しようと思っている」

「……イマイチ、喜ぼうにも情報が少ないですね」

 特別に重要。響きは良いが、今ところ怪しさしか感じさせない。どころか、得られる情報をつなぎ合わせていくと、寧ろ近寄りたくない危険さを孕んでいる可能性すらあった。

「すまない、私から言えるのはここまでだし、それはこれ以上の詳細を知らないからということでもある。私に依頼されているのは紹介までだからね」

「いえ、保秘の観点からは当然のことだと思います。私こそ折角の機会に水を差すようなことを言ってしまい申し訳ないです。……ぜひ、詳しい話をその、先方さんから伺えればと」

「それなら話は早い。実はお相手方はすでに隣の部屋にいらっしゃっている」

 涼は思わず右隣の壁をみやった。

「来てくれているとは、どこからですか。まさかとは思いますが」

「はるばるサンノゼからだよ。ああ、こちらに来たのは先方立っての希望だよ。私が勇み足を踏んで呼びつけたわけではないので悪しからず」

 

 先に帰って行った高橋を見送って、涼とアカネは隣の部屋の前で立ち往生していた。入れば良いのだが、すぐにはそうしたくない理由があった。

「ねえ、最大のサプライヤーって」

「ああ、ScooLだろうな」

 ScooL. LLC。アメリカのサンノゼに本社を置き、売り上げ規模、時価総額で世界最大のIT企業であり、市民生活に欠かせない根幹的な技術インフラの開発提供を一手に担い、それを支えるために全世界の英知が集結する最も先進的な企業。高橋の言葉をそのまま信じるのであれば、その幹部がここに来ているという。

「ScooLの幹部が、リモートじゃなくて対面の打ち合わせを望んでわざわざ来る。それが意味するところなんて、考えるだけでも恐ろしいんだけど」

 珍しく不安の色を浮かべるアカネだったが、涼も同じ気持ちだった。それはこの業界の嘘のような本当のルールの存在を知っているからだった。


 ScooLは、外部との最重要機密情報のやり取りは必ず直接の対面会話にて実施する。


 現時点での暗号化技術は、Scoolやそのライバル企業たちが寡占かせんして有するSQC(量子スーパーコンピュータ)によって実質的に無効化されてしまっている、あるいは無効化される恐れがある。裏を返せば現代に於いてそれらの企業は常に、双方の通信をいつでも全て解号し掌握できる状態にあるのだ。そうした大規模な計算機資源を持つ主体が介在しない日常の通信においては未だに通信の安全は保たれ続けているため、問題は顕在化していない。

 だが大企業間ではこの暗号における相互確証破壊状態が成立したことで、相手組織への不正アクセスは速やかに自組織への全面的な不正アクセスを招く行為となった。従って日常の取引の安全は今や技術的な防衛策によってではなく、相互確証破壊の成立を双方が認識していることを以って保たれている。

 他方その前提を置いてもなお秘匿が求められるものについては、物理的な情報交換の形態――つまり対面でのやり取りを行うようになったのだ。


 世界のあらゆる情報が電子の海で交換されるようになる中、その海を作り出し維持している組織そのものは旧世代型の交流を重宝しているというのは正に皮肉だが、実際にそれに巻き込まれる身になると笑いも出ない。


「ままよ」

 考えた所で仕方がない。涼は深く息を吸って吐いて、そしてドアを開いた。先程と全く同じ構造の部屋の上座には、曇ガラスが張られた衝立が四方に立てられている。その向こうに人影があるのがかろうじてわかった。


「――はじめまして、本日はお時間を頂きありがとうございます。どうぞお掛けください」


 怪しさ満点の相手から飛び出したのは比較的日本のビジネス習慣に沿った言葉遣いだったが、機械めいた男性の声だった。どう聞いてもボイスチェンジャーを通しているが、今の技術であればもっといくらでも自然な声色に出来るので、寧ろ敢えて本来の声ではないことを示したいのであろうと涼は考えた。

「このような格好で恐れ入ります。私はScooL. LLC CTO(最高技術責任者)のサイオン・オシロと申します。恐縮ながら容姿の方を非公開としておりまして、このような形でのご挨拶恐縮です」

 その名を聞いて涼とアカネは背筋が真っ直ぐに伸びた。

「あの、VisoRやSpherE(スフィア)の?」

 涼の問いかけに人影――サイオンは頷いた。

サイオン・オシロの名を業界で知らない者は居ない。無貌の天才技術者。拡張現実デバイスVisoRの発展やメタバースSpherEの設計、それらを維持する大規模な計算インフラの構築について技術面や思想面で多大な貢献をした、ここ数年のScooLの発展の立役者である。

「最も、顔も声も公開していない存在がこのように名乗っても、信憑性は薄いかもしれませんが」

「そこは、高橋本部長からのご紹介ですので」

 サイオンは感謝の言葉を述べ、改まった様子で続けた。

「では、早速本題入りたいところではあるのですが、それにあたって一つ挨拶代わりではありませんけれども、簡素な形で構いませんのでお二方――ああ、自己紹介は大丈夫ですよ。高橋本部長から伺っていますから。御社の見解を聞きたい問題があります」

「ぜひお聞かせください」

 人影がうなずいた。

「現在世間では、真空崩壊の噂が跋扈ばっこしていますね。あれをどう思いますか」

 デジャブだった。それはつい先程涼がアカネに振った雑談と全く同じ問いかけだった。しかしその時と今とでは、その質問が有する重みが全く異なる。涼が言葉に詰まらせていると、アカネは先ほどと全く同じように、

「噂と呼ぶにも値しない、非科学的な陰謀論だと思っています」

 と一蹴した。

「それはどうして?」

「まず、根拠となっている記事自体の信憑性について何も示されていないですから、あの記事のみをもとに議論をすること自体、なんの生産性もないと考えています」

「真空崩壊という現象については?」

「考えるところで、どうしようもないものではないでしょうか。事前に察知することも、起きたこと自体も察知できない事象です。崩壊の波は光の速度で迫り、認識が被害に先行することは理論上ありえません。考えるだけ無駄、その分の時間を現実的な諸問題の解決に充てるべきでしょう」

「そう言われてしまうと弱いですね。私の問題は、まさにそれを考えていただきたいものなので」

「え?」

 困惑するアカネに、サイオンは改まった様子で問い直した。

「真空崩壊が今この宇宙で発生していることを、幸運にも事前に察知することができたとします。それが今後一切我々の住むこの世界に影響を与えないよう、無害化ないしは消滅させるためには、一体どのようにしたら良いと思いますか?」

「なっ――?」

 アカネが口籠り、口を何度か開け閉めし、そして黙り込んだ。だからと言って涼が代わりに何かを言えるようなものでもなかった。それほどにその問いは、大凡今日の科学技術の発展を支えている人物のものとは思えないほど、非科学的な話だったからだ。

「一体どうやってそれを知るのか、ということについては?」

「設定はありません。予知夢か未来視か何かと考えていただければ」

 涼は、机の上にあった一杯の烏龍茶に口をつけ、ごくごくと飲み込んだ。一体これはどういう趣旨の質問なのだろう? 話の流れからして、恐らくこちら側の力量を試すテストなのだろうという気がした。これに対して相手方の望むような解を与えられれば、晴れて採用、というようなことだろうか。だがそうだとして、どう答えればいい?

 気がつけばコップの烏龍茶は空になっていた。

「おかわりはご自由に。なんなら、甘いものを食べながらでもいいですよ」

 そうサイオンが言うと同時にドアが開き、入ってきた給仕ロボがコップに烏龍茶を注ぎ、そして会釈して出て行った。

「……真空崩壊のメカニズムは、簡単に言えば連鎖反応です」

 先に答え始めたのは、それでもアカネだった。

「連鎖反応はその名の通り、反応が鎖のように連なって生じていくものです。裏を返すと、物質なり空間なり、その反応の原因が連続して存在して初めて生じる現象です。であれば、例えば延焼を阻止するために火元の周りの建物を壊すような形で崩壊の周囲に断絶を設ければ、そこで反応は止まるのではないでしょうか」

「なるほど、シンプルですが汎用的なフレームですね。アナロジーの使い方も巧みです。しかし、真空崩壊で燃やされるのは偽の真空状態にある空間そのものです。それを取り払った後に残るものは、真の真空でしょう。すると壁だったはずのその真の真空は、今度は炎となり再び我々が住まう偽の真空に迫ってくるのではないでしょうか」

「……ご指摘の通りです」

アカネ自身も論の展開の途中で難しさに気づいたのだろう、そこから更なる補足や反論は続かなかった。

「青崎さんは、いかがですか」

ガラス越しのためサイオンの顔は見えない。だがその視線が自分に向いているのを涼は感じた。

返事は即座には出てこなかった。しかしそれは答えが手元に無いからではなかった。寧ろその正反対だった。涼はもう、その答えを持っている。

だがそれを口にしようとすると同時に、さまざまな記憶や思い出が生々しく蘇る。


 ――俺は、こんなことを話したことがある。


「……時間が、止まればいい」

 それを辿るようにして、涼は答えを述べた。

「時間が一秒たりとも進まないよう止めてしまえば、真空崩壊は進行しない。それで、解決です」

「待って」

 上がった非難の声は、身内のはずのアカネからだった。

「一応、あたしたちはSFプロトタイピングを提供する企業の一端として紹介を受けてるはずでしょ。なんでそんな、SF的ではないことをいうわけ?」

 そう尋ねられながら、涼は様々な感情が湧き上がるのを感じた。それは混乱であり、懐疑であり、驚愕であり、懐古であり、そして――興奮。

「……なら聞くが、時間停止って、何がSF的じゃないんなんだ?」

「それは――」

 そう言って、アカネも固まった。きっと涼と同じように思い出したのだろう。今しようとしていた会話も、二人は過去に既にしたことがある。その時、一体誰が他に関係していた?

 そしてサイオンが口を開いた。


「――流石、涼くん。やっぱり、そこにたどり着くよね」


 瞬間、総毛立つのを涼は感じた。なぜならそれはアカネの声と瓜二つであり、それでいて酷く懐かしいものだったから。

「嘘でしょ」

 思わずアカネが立ち上がり、衝立の方へ向かっていき、そしてその中を覗き込んだ。だがアカネは呆然とする。そこにはテレボット――遠隔通話用の、音声と同期して動くロボットのみがあった。

「――なんだか、試すようなことをしちゃってごめん。だけどあの日から二人が変わっていないかどうか、どうしても確かめたかったんだ」

 二人は一斉に振り向いた。それまで誰もいなかったはずの席に、一人の女が座っていた。その人物と目を見合わせて、いよいよ涼の感情の奔流はその極地へと達した。


「久しぶり、涼くん、お姉ちゃん」


 織戸シオンがそこに居た。実に十年ぶりの再会だった。

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