第13話 静かな夜と、騒がしい朝②(珍客)

(夢か、おとぎ話の世界みたい)


 ふわふわと、エマはここ数日の出来事を振り返りながら、朝露に濡れる果実を手カゴに摘んでいた。


 つい先日、奇跡の夜があった。


 トレモイユ家に嫁いだエマは、伴侶である伯爵に会わないままに二か月を過ごし、夫とは別の相手に心を奪われた。

 本来であれば罪でしかない。

 ところが、決して結ばれることはないと思っていた男性こそが、エマの結婚相手その人で──。

 彼女は意中の相手と思いがけず、祝福の中で添えることになった。



 何度思い出しても、紅潮する頬とむず痒くなる恥ずかしさに身をよじりたくなる。



(アーレが伯爵様だった!)



 わかるはずがない。

 10代の青年にしか見えない彼が、本当は60歳だったなんて。


 アーレ自身は"呪い"だと言っていたが、呪いにも加護にも受け取れる不思議な力の影響で、彼の時はずっと止まっていた。時の輪に戻った現在いまは、エマとの日々を過ごしている。


 あの夜アーレ・・・は、部屋外に案じながら待機していたゾフに解呪が成ったことを告げ、大いに歓喜し、長年の労を噛み締め合った後、宣言した。


「離婚はめた。当分は新婚生活を優先する」と。


 つまり(エマは知らなかったが)アーレの中で予定されていた離婚が消え、エマを真に妻として受け入れたと、そういうことらしい。


 彼の"初恋"はエマとの縁をつないだ"過去"となり、夢の中で聞いたミレイユの歌は"懐かしい"だけで、"恋しい"でも"戻りたい"でもなかったと。


 そう自覚したアーレは積極的だった。


 ずっとそばにいて欲しい、エマが好きだ、必要だ。


 密かに恋してた相手から何度も熱く口説かれ、急に近くなった距離と言葉に、エマは戸惑った。 

 

(すごく嬉しいけど、どう接していいかわからない)

 

 ずっと"家令"だと思って、気軽な口もきいていた。

 呼び方から改めなければ、と緊張すると、そのままで良いという。


 サミュエルの名でも、トレモイユの名でもなく、そして何の敬称もなしに呼ばれる「アーレ」という名は、彼にとって新鮮だったらしい。


「エマにそう呼ばれる響きがとても心地良い」

 耳横でささやかれて、なんのかんので"アーレ"と呼ぶままになっていた。


 会話もこれまで通りと言われ、つまり。


 変わったのは、アーレが自分への態度に甘い拍車をかけたうえに、夜、互いのどちらかの部屋で一緒に過ごすようになったこと。


(きゃあああああ)


 い、いたたまれない!


 いろんなことを振り返りつつ、なかば逃げるように今朝も早起きして、庭に出ていた。


 朝摘みのベリーは、夜に貯めた栄養を消費しておらず、新鮮で美味しい。

 朝食に添えて、アーレの笑顔が見たい。


 そんな思いに身を浸しながら、エマがカゴをいっぱいにした頃に、騒ぎが起こった。



「…………!!」

「…………!!!」



 大勢の人たちの、それも怒号と呼べるほどの勢いで、叫び合う声が聞こえる。


(厨房の方で何かあったのかしら?)


 様子を見に、エマが庭を回り込むと。


 たくさんの騎士たちが、厨房がある棟を取り囲んでいた。


 騎士の旗は、国の聖教会を示すもの。

 トレモイユの私兵ではない。


 その物々しさと迫力に驚くエマの耳を、さらに驚愕の大音声が撃ち抜いた。


「トレモイユ伯には、奴隷を切り刻み、地下室で禁じられた黒魔の儀式をしている疑いがある! 証拠隠滅をはからせないため、これより即座に屋敷地下を改める!!」


「────!?」


 慌ただしい朝が、訪れようとしていた。

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