第11話 エマの長い夜②(成就)

 少し前、サミュエル・アーレ・トレモイユ伯爵──妻から"アーレ"と呼ばれる男は盛大に撃沈していた。


 二か月前、16歳の花嫁を迎えた。

 呪われた身であることを隠すため、夫として彼女に会ったことはなく、正体を隠し、常に"家令"として接していた。


 それが変に作用した。


──エマが伯爵夫人という立場ながら、"家令"に恋して苦しんでいるかも知れない。──

 

 この可能性に気づいた時、自分の軽い思いつきのせいで、エマを悩ませてしまったことを後悔した。

 そして誠意を持って理由ワケを話し、謝ろうと考えた。


 受け入れて貰えない時は、別れなければならない。


 もちろん十分な慰謝料を添え、その後彼女が幸せになるまでサポートするつもりではいる。

 だが、この二か月、エマがいる暮らしはいろどりに溢れ、多忙ながらも満ち足りたものだった。


 まだ手放したくない。


 少しでも長くエマといるためには、彼女から許しを得なければ。


 緊張に身を固め、深呼吸までしてのぞんだ室内に、彼女はいなかった。あろうことか、バルコニーから逃げようとして、危険な状態でぶら下がっていた。

 大事には至らなかったものの、そうなった経緯を聞き、サミュエルは愕然とした。



 逃げ出すほど、この結婚を嫌がっている。



 そんなエマには、好きな相手がいるらしい。


 この二つを結びつけたサミュエルは、新たな仮説を立てた。


 借金の肩代わりを検討するにあたり、事前にカデュアール家の家族構成は調査していた。その家の子ども達はまだ幼く、長女にさえ婚約相手が決まってないことも。


 けれど把握していたのはそこまで。

 もしかしたら秘密の恋人が、いたかも知れなかったのだ。


 出会ったエマはあどけなさの多分に残る少女だったので、うかつにもその可能性は想像出来てなかった。

 

 恋はトレモイユで覚えたもので、その相手は勝手に自分だと。


(なぜエマの恋の相手が俺だなんて思い込んだんだ──。王都に恋人がいたかも知れないのに)


 想う相手がトレモイユにいるなら、トレモイユから出ようとはしなかったはず。つまり、想い人が自分という線は消えた。


 恋愛偏差値ポンコツの、サミュエルが出した結論だった。


 恋しい相手と結ばれない辛さは、自分が一番知っていたはずなのに。

 もしかしたら、自分のせいで、彼女にそれを強要していたかも知れない。


 サミュエルの羞恥と悔恨の念はすさまじく、同時に途方もなく落ち込んだ。


(エマに他の想い人がいる)


 ショックだった。


 しかもその衝撃が、父親や祖父が感じるそれとは別の種類のもので、失恋の寂しさだと気づき、大いに戸惑った。


 彼女の恋の相手を勘違いした根底にも、“エマに好かれていたい”という願望が混ざった可能性がある。


 サミュエルは暗雲渦巻く空気を背負しよって、エマを前に長く黙り込み、自己分析と今後を検討した。



 いつの間に心を奪われていたのか。

 とんでもない話だ。年の差を考えろ。

 すみやかに別れて、エマを自由にしてやらなくては。



「すぐにでも離婚しよう」


 必死におのれに言い聞かせ、絞り出した言葉だった。


 エマの指摘で自分がすべての話を飛ばしていたことに気づき、驚いた。


 相当に動転していたらしい。


 慌てて、今夜話すはずだった事柄を話して……、彼女から真っ先に聞かれたことに、サミュエルは耳を疑った。

 

 

「私、アーレのことを好きでいて、いいの? この想いは許される?」


「────!」

(勘違いでは、なかったのか?)


 言葉を失ったサミュエルに、エマが重ねるように言う。


「アーレが好きなの。アーレしか愛せない。それに気づいたから、どこか遠くであなただけを想って生きて行こうと思ってた。でも、叶うなら、あなたのそばでずっといたい」


 澄んだ青空色の瞳が、果てない深さをたたえてサミュエルを捉える。エマの空には、自分だけが映っていた。


 湧き上がりそうになる歓喜を、それでも慎重に抑え込んだのは、年齢か性格か。


「呪い持ちの身で、ずっときみを偽っていた。おまけにきみの意思を無視してトレモイユに呼び込んだ挙げ句、大切な結婚を書類で済ませるという暴挙を侵した。きみが好きだと言ってくれた"家令"の正体は、そんな男だぞ? 考え直すなら、いまだ」


 でなければ、自分の気持ちが止められなくなる。


「アーレがいい……っ。あなたが、大好きなの」


 エマの可憐な唇がつむいだ言葉は、か細くも強く、サミュエルを打った。


(もう無理だ──!!)


 好む女性から熱く伝えられ、サミュエルの自制は限界を迎えた。

 もとよりエマの泣きそうな顔には、なぜかとことん弱いのだ。



 呪いが解けてない!

 エマと同じ時を生きれない!

 だけど今だけは。今この時は、共有させてくれ!!



 呪いが解けないままに想いを遂げると、悲しい未来が待っている。

 サミュエルが取り寄せた《聖女の微笑み》は、彼のもとに届いていた。

 しかし、発動の条件がわからなかった。なんの反応もないままに今日を迎え、先の落下でも《魔王妃の涙》だけが起動した。


 おかげで助かったわけではあるが、"解呪"に関しては、ほぼ振り出しに戻ったようなもので、見通しが立っていない。無責任だとは承知している。


 あとでなじられてもいい。どんな責めも負う。


「エマ……。俺もきみが好きだ」


「!!」


 エマの目が見開かれた。「アーレ!」言うなり、彼に向って駆け寄ろうと立ちあがった彼女は。

「きゃあっ」

 次の瞬間、転びかけた。ふたりをへだてていた、ローテーブルに足をぶつけて。


「エマ??」


 サミュエルが即反応でエマを支え、流れるように自ソファ側へ引き寄せた。


 ぽふり。


 ふたりそろって、同じソファに着座する。


「…………」

「…………」


 距離が、近かった。

 なんなら、助けた時に手を添えたまま、密着していた。


 サミュエルのすぐそばに、エマの横顔があって。


 エマの体温に、柔らかな呼吸に、なめらかな頬に。誘われるように、サミュエルは口づけていた。


「~~!!」


 耳まで朱色にだったエマが、はじかれたようにこちらを向く。

 驚いて丸くなった目が、可愛らしい。

 踊るような鼓動は、彼女の心音だろうか。


 たまらなく、愛しく感じた。


 もう一度。

 次は頬ではなく、桜唇おうしんに触れた。


 18の時に止まったサミュエルの恋心が、新しく動き始めた、その時だった。


 彼の手にあった白石の指輪が、変化を見せた。

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