第10話 エマの長い夜①(可能性)

(落ち着かないわ……)


 エマは今、この二か月間近づくことがなかった"伯爵の部屋"で、アーレ・・・と対面に座していた。


 重厚な造りの調度品の数々は、格式高く落ち着いた色合いで、エマの爽やかで明るい家具たちとは、まるで雰囲気が違っていた。エマの部屋の家具は、彼女を迎える前にアーレが選んだと聞いている。

 もしこちらが彼の好みなら、かなり悩みながら揃えたのではないだろうかと思うほど、異なるおもむきだった。


 ほどよい沈み心地のソファでは、向かい側でアーレが先ほどから重苦しい空気をまとって、沈黙している。


(えっと……)


 庭での一幕の後、エマはお姫様抱っこの状態で、この部屋に連れてこられた。

 医者が駆けつけエマを診たが、幸いにも無傷で、立てなかったのは驚いたからという診断だった。


(ううっ、恥ずかしい)


 エマは赤面したが、アーレが"大事なくて良かった"と嬉しそうに頷いたので、別の意味でさらに真っ赤に染まってしまった。


 彼が全身で守ってくれたおかげだと感じ入ると同時に、あの時のアーレの状態を思い出すだけで青褪める。本当にあの光には感謝しかない。


 繰り返し謝るエマに、いつも通りの優しい声で「もう気にしなくて良い」と言ったアーレは、ゾフたちを退室させた。


 ふたりっきりになった室内で、彼が最初に聞いたのは「なぜあんな状態になっていたのか」。


 当然といえば当然の質問。


 部屋で伯爵を待っているはずが、中ではなく外で、しかもバルコニーから落ちかけていたのだから。


 叱られるのを覚悟で、白状した。


 "自分から頼んだことだったけど、どうしても伯爵様に会うのが無理で、窓から逃げようとした"。


 その答えに、「そうか」と呟いたアーレが、黙り込んでしまったのだ。


 落胆したかのように、沈んで見える。


(あっ……!)


 ふいに思った。アーレが言っていた通り、もし伯爵様がアーレと同一人物だとしたら。


(私は"アーレ伯爵に会いたくなくて逃げた"と、そう思われてない?)


 ──ち、違うの!! 私が逃げたのは伯爵様がイヤだったんじゃなくて、なの!!──


 そう叫びたいものの、果たして正直にこれを話して良いのだろうか?

 

 だってまだ疑問だらけだ。


 どうしてアーレが60歳の伯爵様なの?

 何か試されてる? ううん。アーレは私にそんなことしない。でも伯爵様の指示ならあるかも知れない。

 私が密かにアーレが好きだってことが、バレてた?


 いいえ、そんな要素はまだなかったはずだわ。

 だって私だって最近やっと、自分の気持ちに気づいたとこだったもの……。



 それにしても。


(かっこ良すぎる……っ)


 目の前のアーレは、いつもの家令服ではなかった。

 貴族らしい、とても仕立の良い美麗な服を着ていて、これが本当によく似合っている。

 前髪を上げているため見放題の容姿は秀麗で、沈痛な表情さえ絵になっているので見惚れてしまう。

 肖像画として、心にずっと残しておきたい。


 彼の指には、初めて見る白石の指輪がめてあった。しっかりしたアームの古風な意匠。何かいわれのあるものだろうか。


 つい今しがた、自分の行動のせいで、アーレにとんでもない迷惑をかけてしまったというのに、見慣れない彼の、しかもイケメン過ぎる側面に、エマは緊張と興奮を繰り返していた。


(気になることがたくさんだわ。アーレを治してくれた奇跡の光のことも。アーレは知っていて、全部話してくれると言っていたけれど……)


 そんなわけでエマは大人しく、アーレの次の言葉を待っていた。

 沈黙の時間を、大好きなアーレ鑑賞時間に切り替えて。



 目を伏せたままのアーレが、ついに口を開いた。とても悲痛そうに。


「──それほどまで嫌がられてるとは、思い至ってなかった。強引に結婚してしまったが、一年間だけのつもりだった。エマが望むなら、すぐにでも離婚しよう──」


「?!!??」


 いつもの理路整然とした彼からは考えられないくらい飛躍した言葉に、思わずエマは叫んだ。 


「待って! いろいろ話が飛んでるわ!」


 キョトンとした表情でアーレが顔を上げる。

 その眼差まなざしにさえ、エマの心は刺激された。


(うっ、無防備なアーレ、貴重!)


 "アーレが伯爵様本人なら、恋しても許されるかも知れない"。


 その希望は"制御ガマン"という堤防をたやすく壊し、エマの恋心を加速させつつあった。重症の、方向に。


 それでも彼女は冷静に、疑問を述べた。


「えと……、私が聞きたいのは、どうして若いアーレが噂の伯爵様なのかということと、アーレの怪我を治したあの光の正体と、あと……あと、結婚相手に私を選んだ理由……とかなの」


(あっ、アーレが伯爵様ならもっと丁寧な言葉に変えなきゃダメかな。あれ、それにアーレさっき、結婚は一年間とか言ってた?)


 尋ねた後に思い直したが、アーレは気にした風もなく、エマの言葉に頷いた。


「そ、そうか。そうだな。まずはそうだ。──今から話すことは、外には漏らさないで欲しいのだが──」


 そう前置いて、アーレの話が始まった。


 大怪我のこと、時を止める呪いのこと。

 エマが見た光は呪いが発動して、傷を癒やした場面だったこと。

 自分は、エマの祖母ミレイユと同年代であり、かつて婚約者同士であったこと。

 ミレイユののこした子が継いだカデュアール男爵家。

 その窮状を見かねて、借金の肩代わりを申し出たこと。

 世間を納得させるため、引き換え条件にエマを求めてしまったが、何かをするつもりはなく、"白い結婚"として一年後にエマを自由にするつもりだったこと。


 エマを極力傷つけることのないよう、アーレは言葉を選びながら真摯に語っていった。


 驚くような話の数々だったが、彼が実家を助けてくれた上に、自分をとても大切に扱ってくれていたのは紛れもない事実だったので、エマは真実として受け入れることにした。


 その上で、最優先に確認したいことを、エマは口にした。


 つまり。


「つまり、アーレは本当にトレモイユの伯爵様で、私の旦那様で、だから……」


 おそるおそる、伺う。

 

「私、アーレのことを好きでいて、いいの? この想いは許される?」


「────!」

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