第9話 エマが見たもの(発覚)

(アーレの瞳……、紫で綺麗……)


 しびれた手が、布から離れた。


「!!!!」


 彼の顔が驚愕に染まり、そしてアーレが、んだ。

 抱き留めたエマを上へと、アーレが身体を反転させる。



 ドサァァァッッ!!



 鈍い音が響き、ふたりの身体が地面に打ちつけられた。

 

 激しい衝突の後、少しの間を置き。


「……ぅ……っ」


 身じろぎしたのはエマだった。

 朦朧とした意識の中で、その身を起こす。


 アーレが両腕でしっかりと抱えていたため、彼女は投げ出されることもなく、その衝撃も軽減されていた。

 けれど目にした光景に、全身の血が凍り付く。


「アーレ!!」


 自分の下にアーレがいる!


 彼の表情は苦痛に歪み、目は固く閉じられている。月明かりに照らし出された顔は真っ青だった。

 すぐさま上から降りるが、アーレはあえぐようにうめいたきり、呼吸すら満足に出来ていないようだ。



 エマをかばったアーレは、受け身が取れていなかった。

 加えて、彼自身の体重に、エマの重さが乗っている。


 落下負荷の大半を引き受けた彼は、いまや息も絶え絶えの状態だった。


「あっ……、あ……っ」


 すぐに誰か呼ばなくては!


 頭ではそう思っているのに、声は乾きって喉に貼りつき、足もまったく言うことをきかない。

 

 そうしているうちにもアーレの生命いのちが夜に溶け出すように消えかけ始め、エマの焦りが一層募った時だった。


 キラリ


 光の粒が、散るように舞った。


 夜から生まれたような紫の光。


「!」


 キラリ、キラッ……


 粒はアーレの周囲を取り囲むように現れ……、突如ふくれ上がると、大きなうねりとなってアーレを包み込んだ。


「──!?」

 

 まるで紫色の炎が闇の中に出現したかのように、彼の全身を覆う。そして燃え盛るようにおどれると、光は次に銀色に変わり、アーレの内へと吸い込まれていった。


 次第に、アーレの頬にほんのりと赤みが戻り、規則正しく呼吸が整い始める。


 奇跡を見ていると、エマは思った。

 そして、気がつけば一心に祈っていた。


 "アーレが助かりますように! 絶対に、絶対に、助かりますように!!"


 ひたすらに願い、力を込めて組んだ指が、手の甲に赤く指跡をつける頃。


 アーレが、目を開けた。


 ぼんやりと彷徨さまよう視線が、エマに定まる。


「エ……マ? ……どうして泣いて……?」


 その言葉で、エマは自分がとめどなく落涙していたことに気づいた。


「あ……」


 指でぬぐおうとすると、アーレがね起きた。


「!! 怪我したんだな? 痛むのか!?」


 彼から飛び出した言葉が、真っ先に自分を案じる内容だったことに、エマの胸はこれ以上ないくらいに締め付けられた。


「わ、私は大丈夫。アーレが守ってくれたから。それよりもあなたが……あなたが大変な目に遭って……」


 エマは興奮のままに叫んだ。


「奇跡が起こったの! この目で見たわ! 光りがアーレを治してくれたの!!」


 その言葉を聞くなり、アーレの全身が強張こわばった。

 エマに伸ばしかけた手をピタリと止めて、次に来る言葉をさぐるようにエマを凝視している。


(おかしなものを見たと言ってしまったせい? で、でも本当に光ったのに)


 アーレの急変ぶりに、エマが戸惑う。


「見た、のか……」

 アーレがぽつりと呟いた。


(アーレも知ってることなの?)


 だけど、その光のおかげでアーレは助かった!!

 自分のせいで巻き込んで、今にも命を落としそうだったアーレを助けてくれたのは、あの奇跡の光。

 アーレには、困る光なの?


「いや、そうだな。全て話すつもりだったから」

 思い直したように、アーレが言葉を継ぐ。


「話して、謝るつもりだった」


 まっすぐな目と言葉が、エマを射抜いた。


「……謝る?」


(アーレが、私に? 何を?)



 その時だった。屋敷の中から、幾人か駆けつけてきた。


サミュエル様、、、、、、! ご無事ですか! いまの大きな音は、一体!?」


 ゾフ以下、数名の召使い達。


(待って。いまアーレのことを呼んだの?)


 ゾフの声を確かに聞いた、"サミュエル様"と。


("サミュエル様"は、伯爵様のお名前。でも私の目の前にいるのはアーレだけで……)


 エマの疑問を含んだ視線に、アーレが頷いた。


「サミュエル・アーレ・トレモイユは、俺の名だ。エマ、きみが結婚した相手は俺だ」


「!!」



 ◆ ◆ ◆



「……え……?」


 自分でも間の抜けた声が出たと、エマは思った。


 でもいまアーレは何と?

 伯爵様の名前が、自分の名で。

 私と結婚したのは自分だと。


 そう聞こえたのですが──???


 どうなってるの? どういうことなの? だって伯爵様は60歳で、アーレはどう見ても20歳に満たなくて。

 アーレはお屋敷の家令で、伯爵様は奥のお部屋にいらして、足もお悪くて。


 え──???


 私は何か盛大な勘違いをしているの?

 それとも実はいま眠っていて、アーレと結ばれたいという願望から、都合の良い夢を見てるとこなの?


 混乱するエマをよそに、アーレ・・・そばに来たゾフに指示を出す。 


「エマが怪我をしたようだ。すぐに医者を呼べ」


 命令し慣れた声音こわねが、明らかにいつも会うアーレと違っていて。

 エマは更に慌てた。


「ま、待って、怪我はしてないの。大丈夫。ほら」


 立ってみせようとして、失敗した。

 二本の足は力なく、よろけるようにエマの意思に反して崩れる。


「あ、あれっ」


 そういえば、さっき人を呼ぼうとした時も立てなかった。もしかして、腰が抜けた? とか?


 カアアアアアアッッ


 急に顔が火照ほてる。恥ずかしい。


 いつでもエマを支えれるように構えていたアーレが言う。


「無理をするな。暗いし、たとえ外傷がなかったとしても落ちたんだ。医者に見せよう。──れても?」


(え?)


 何を聞かれたのか、脳処理が追いつく前にエマはふわりとした浮遊感を覚える。

 アーレが自分を横抱きしたのだと、一拍遅れて認識した。


(アアア、アーレ、さっき死にかけてたのに、なんでそんなに元気なの──? 奇跡の光は万能ですか?!)


 もちろんアーレが無事なのは、ものすごく嬉しい。嬉しいけど、この距離をどうすれば??


 吐息が耳にかかるほど顔が近くにあって、なんなら彼の銀髪に触れれるくらい至近距離で、いっそもう"うなじ"にくっついてしまっても良いくらいドアップなのだけど、ああああ、私は何を考えているの──???


 アーレはそのまま「部屋に行くぞ」と言って屋敷へ歩く。

 ゾフたちが自然に付き従っているようすが、突拍子もないアーレの告白を肯定している。


(せ、説明してもらうのを、待とう)


 私、本当は窓から落ちて、いまは気絶して夢を見てるんじゃ……。



 エマが見上げた星空は、"まだまだ夜はこれからだ"と、そう彼女に告げていた。

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