第7話 サミュエル、エマ、それぞれ①(推測)

「あの……、あのね、アーレ。私、なるべく早く、トレモイユ伯爵様にお会いすることは出来る?」


 突然の、言葉だった。


 何を言われたのか、一瞬把握が遅れる。

 エマとは毎日会っている。だが彼女が求めているのが家令の自分アーレではなく、まだ会ったことのない奥の部屋の伯爵じぶんだと気づくと、さすがのサミュエルも慌てた。


 急になぜ?

 確かに不自然ではあったろうが、この2か月、特に希望してきたことはなかったのに。


 もしや、何か勘づかれた──?


「いきなりどうされたのですか、エマ様。ご希望やお言伝ことづてがあれば、私からお伝えいたしますが……」


「このまま……このまま旦那様に会わないと、良くないことになりそうなの。無理かな?」


 ぱっと顔をあげたエマの表情に、思わず息をのむ。


 追い詰められ切羽詰まったような、そんな必死なまなざし。


(────!)


 わからないが、あいまいに無視出来る空気ではない。彼女は真剣そのものだ。


「承知しました。色良いお返事となるかどうかわかりませんが、お伝えしてみます」


 かろうじてそう答えると、エマは更にショックを受けたような表情を見せた。


(??)


「ありがとう、お願いね、アーレ。今日用事があったの思い出したから、もう部屋に帰るね」

「え?」


 弱々しい声でそう言うなり、カラになったバスケットを手に持つと、エマは立ち上がって駆けだした。


「あ、エマ様、お部屋までお送りします!」


 チラッと、バラけている子どもらに目をる。


「バジル! 野外学習は終わりだ! 子ども達を教室に連れ帰れ! 後で他の大人を回す!」

 年長の少年にそう声掛け、サミュエルはエマを追った。


 自問自答する。つい先ほどまで、おかしな点はなかったはずで、エマも楽しそうにしていたのに。

 急にどうしたんだ?


「エマ様!」


 すぐに追いついた。けれど。


「来ないで!!」


 振り向いて叫んだエマからの強い拒絶と、彼女の目に光った涙を見て、金縛りにあったようにサミュエルはビクリと立ち尽くした。


 逃げるように走り行くエマの背中を、ただ見送って、いま見た彼女を何度も脳裏で再生する。


(あの目には、覚えがある──)


 あれは。いまの、エマの目は。

 かつての自分が、ミレイユを諦めきれなくて苦しんでいた時、何度も鏡で見た。

 切ない恋におぼれて、行き場のない心にもがいた。その時の目に、そっくりだった。

 

 エマが恋をしている。

 誰に?


 ふいに、ゾフの言葉が蘇った。


"トレモイユ夫人を、家令のアーレとしてたらしし込むな"

 

(まさか──)


 エマが想う相手は──、アーレ自分!?


 そう考えれば、エマの行動もに落ちる。彼女は伯爵夫人という立場でありながら、その家の家令・・に想いを寄せてしまい、罪悪感を覚えた。

 思いを断ち切り、自分の立ち位置を自覚するために、夫である伯爵に会わせろと要求した。


 ……すべては推測の域だが……。


「なんてことだ……」


 呆然とした呟きは聞く者もなく、サミュエルの足元にこぼれ落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る