第6話 サミュエル、睡眠不足(交流)

 夜の定時報告で、サミュエルとゾフは向かい合っていた。


「何やらおかしなことになっておいでですね、サミュエル様」

「そうだな。俺も何かおかしなことになっている気がする」


 なぜこうなったのかわからん。

 サミュエルはゾフに呟いた。


 あの日以来、エマは毎日のように教室に顔を出すようになっていた。


 子ども達と一緒にサミュエルの授業を聞いてみたり、自身も何か出来ることを、と、女の子たちに刺繍や家事を教え始めたり。

 エマが来るので放置も出来ず、自然とアーレ・・・も通わざるを得ない。


「レアなアーレ様の出現率が増えた」


 と、子ども達にまで言われている始末だ。


 家令に扮している時は前髪で顔を隠し、ぱっと見での年齢を不詳にしているとはいえ、成長後の子ども達と再会する可能性もある。年を取らない自分としては、あまり多く見られることは避けたかったのだが。


「思うに、サミュエル様がエマ様に激甘なので起こった事態ではないでしょうか?」

「俺が? 特にそんなことはないぞ?」


「…………。サミュエル様……。私はサミュエル様の先見の明、決断力、行動力、諸々を尊敬申し上げておりますが、こと色恋に関しましては、ほんっともう……。ピュアだし、ニブいし、どこに才覚を落として来たんですか、とお尋ねしたくなります」


「お前、突き抜けて不届きなことを言っているな?」


「ご夫婦仲が良いのは喜ばしいことですが、"家令のアーレ"様の時はお控えくださいませんと。あまりたらし込まれますと、"トレモイユ伯爵夫人"がお困りになるかと存じます」


「どういう意味だ、たらし込むとは。エマに対して、俺は何もしていない」


「ああぁぁぁ゛゛。わかりました! 一日も早く問題のない環境を作りましょう」


 頭を抱えるように言って、ゾフは姿勢を正した。


「では、ご報告いたします。《聖女の微笑み》ですが、無事取引を終え、順調にこちらに移送中と連絡を受けております。数日のうちには領内に届く予定です」

「そうか……。待ち遠しいな」


 どれだけこの日を願ったことか。

 サミュエルの胸に熱い思いがこみ上げる。


 そんなサミュエルを目に収めつつ、ゾフは報告を続けていく。


「それからもう一方の件ですが、本日、王室からの承認を得ました。必要な根回しも完了しております。こちらはもう、いつでもご意向に沿えるかと」


「よし。頃合いを見て、発表しよう。だがまだ伏せておけ。出来れば《聖女の微笑み》とタイミングを合わせたい」


「仰せのままに」

 ゾフが頭を下げる。


 そして矢継ぎ早に次の話題へと移っていく。


「続いて、今回のローヌ川の氾濫についてです。土地と民への被害が想定以上に甚大です。各方面への影響も深刻ですが、まずは圧倒的に食料が不足しております」


「西の第2庫を開いても足らぬ様子か? なら他の地区からも回せ。そもそもあの川は、部分別に抑えようとしても無理だ。川全体を見て治水を施さねば。上流がアレオン領でなければ一元管理が出来るのに、トレモイユの流域のみを対処しても、すぐこれだ。打診していた件、アレオン公はなんと?」


「いつもながらのお返事です。アレオン公にはおそらく膨大な出費を懸念されておいでかと」


「あのクソジジイの青二才め。公爵位にありながら、出し渋りやがって。おかげでこっちが迷惑する。アレオンの領民も、毎年川に嘆いていると聞くぞ?」


 見た目的には年上だが、実年齢的には年下であるアレオン公への罵声は、いつも微妙に複雑だ。領地が隣接している分、因縁も多い。


「ローヌ川の話は、いずれしっかりと王室に上奏せねばならんな。洪水でうちのれ高が下がると、貸し出せる額面も減るぞと脅してやりたい気持ちだ。王室からアレオンに圧を掛けてやる。──被害の取りまとめは?」


「こちらです」

 ゾフの差し出す資料を受け取りながら、さっと目を走らせる。


「ん、揃っているな。後で目を通す。さて、次!」


 こうして。山積した仕事を伝え終えたゾフが退室してからも、部屋には大量の書類が残され、サミュエルが床についたのは、空が白んで来てからだった。



 ◆ ◆ ◆



(もう無理だ。いくらなんでも限界だ)


 青い空を仰ぎ見ながら、現在"家令のアーレ"遂行中のサミュエルは思った。


 このところ、ろくに眠っていない。


 1日、2日ならまだしも、3日、4日、5日、6……数えぬほうが良さそうだ。

 いや、死ぬ。普通に死ぬ。けど、死ぬ。


 寝るなら今しかない。


 いつものように"教室"に来た。

 これまでは他者ひとに任せていたのに、エマが日参するせいで、自分が担当する羽目になっている。


 ゾフは、大変なら伯爵としてエマに教室通いをやめるよう命じてはどうかと言っていた。

 そんな酷いことが出来るか。

 彼女があんなにイキイキと楽しそうにしているものを禁じろなど、鬼か、あいつは。

 大体そんなことをしたら伯爵、つまりが嫌われるじゃないか。


 ゾフの益体やくたいもない提案を思い出し、サミュエルはフンと鼻を鳴らす。


 多忙を極めた日、"教室"に出なかった。

 その翌日、エマから「寂しかった」と言われた。


 完璧な"孫サービス"を展開したいサミュエルとしては、がっかりした彼女の顔を見てショックを受け、その後は"教室"を休めないと奮起し、日々出向いていたわけであるが……。



 今日はまだ、エマが来ていなかった。


 授業? とんでもない。到底頭が回っている気がしない。こんな状態で何かを教えるのは無理だ。

 エマも見てないところで、労力を割きたくない。


 したがって。


 子ども達には「自習」という名の野遊びを与え、サミュエル自身はそれを見下ろす木陰を陣取り、足を投げ出して、木に身体を預けていた。


(さあ、昼寝だ!!)


 そのまま意識を手放せば、心地よい風が髪を揺らし、サミュエルの吐息は草原くさはらにとけていく。



 柔らかな歌声が聞こえる気がする。

 いつだったか、遠い日に聞いた声で──。





「……」

「……」


「…………」

「…………」


 ゆっくりと浮上する意識が、周囲のざわめきを拾う。


「アーレ様を起こそう?」

「もう少し寝かせてあげて。きっと疲れてるから」

「でもエマ様のおやつ、早く食べたいよぉぉ」


(……子ども達の声と……エマが来たのか?)


「アーレ様抜きで食べちゃおうよ。ね、エマ様、良いでしょう?」


(!!)


「良いわけあるか!」


 わあっ! きゃあ! と子ども達が一斉にのけぞる。

 囲まれていたらしい。隣にエマがいる。


「アーレ様、起きてたの??」

「いま起きた。俺を差し置いて食べるとか、なんとか。どういう了見だ」


「アーレ」

「エマ、様。いつの間に……。起こしてくだされば良かったのに」


(──熟睡していた。どのくらい眠ってたんだ?)


 覚醒したてでぼんやりとした頭を振りつつ、つい邪魔な前髪をかきあげた。


「「「!!!」」」


「うわぁぁぁぁぁぁ!! アーレ様のお顔、はじめて見た──!!」


(しまった、思わず!) 


「すっごいカッコイイ」

「どうしていつも隠してたの? 出してた方がずっといいよ」


(エマにも見られたか?!)


 あわててエマの方を向くと、幸いにもバスケットを覗き込むように下を向いている。

 よし、大丈夫だ。


「ねぇねぇアーレ様、もう一度見せて!!」


「うるさい、黙れ、群がるな! あと乗るな!」


(なんという騒がしさだ。とんだ失態だ。台風の目は静かだと聞くが、子ども嵐の中心は、こんなにすさまじいのか!!)


 という体験をした後、ようやく落ち着きを取り戻し、いまは全員、エマの手作りお菓子を頬張っている。


 エマがお菓子を出してくれて良かった。

 収拾がつかなくなるところだった。


 彼女は今日、厨房を使って、"教室"のおやつにと、マフィンを焼いていたらしい。それで遅れたようだ。

 干しあんずがアクセントになっていて、美味うまい。


「大変だったわね、アーレ」


 エマが微笑みながら、淹れてくれたお茶を受け取る。

「お手ずから……、恐れ入ります」


(はぁぁ。癒しの茶だな……)


「とても疲れてたみたい。もしかしてあまり眠れてないの?」

「最近急に仕事が増えたのです。間違いなく2人分は働いています。なのにゾフは自業自得だというのです」

「まあ……。私に何か手伝えることがあれば良いのだけど……」


 エマが"教室"を休んでくれれば仕事が減ります。とは言えない。

 

「そのお気持ちだけで充分です、エマ様。こうしてあたたかなお茶と美味しいお菓子をいただき、生き返る思いです」


 にっこりと笑顔を向ければ、エマからも柔らかな言葉が返る。


「良かった。それにしてもアーレの人気はすごいわね」


「……これは、遊ばれているのだと思います……」


 そう、俺の頭や腹の上には今、子ども達の自習の成果が乗っている。

 花冠、草のお面、どっかの木の実、謎な植物。


 貢物か、おそなえか?


 花冠は、どう考えてもエマのほうが似合うだろう。 


「失礼します」


 冠を両手で取り、そっとエマに載せてみた。

 うん、思った通り愛らしい。


 優しく光る金髪に、白い小花の冠が輝いて、まるで妖精みたいだ。空のように青く澄んだ瞳には、吸い込まれそうだな。


(ん?)


 エマが突然うつむいた。心なしか、少し震えている。

 そして、絞り出すような声で。


「あの……、あのね、アーレ。私、なるべく早く、トレモイユ伯爵様にお会いすることは出来る?」


 突然の、言葉だった。

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