第4話 エマ、地下室を走る①(追跡)

 エマ・カデュアールが伯爵家に嫁いでから、2か月が経とうとしていた。

 

(どうしよう。私、妻らしいことをしてないまま、好待遇の居候いそうろうになってしまっているわ)


 心地良い居室に趣味の良い寝室、ふかふかの大きなベッド、あらゆる食材を使った贅沢な料理。

 男爵家にいたころとは比べものにならない環境で、日々を過ごしている。

 実家を出た時の決死の思いは、完全に行き場を失っていた。


 依然として夫であるトレモイユ伯爵と面会する機会はなく、むろんその方が気は楽であるではあるものの。

 こうなると逆に、「何もしていない」という罪悪感が芽生え、焦りを感じる。


 最初の頃は、見事な邸宅の見物をして過ごした。

 続いて、季節のままに色変わる庭園を楽しみ、「ご退屈なのでは」と、アーレが勧めてくる、お茶会や趣味の習い事を試してはみた。


 伯爵家からの支度金の大半を、弟の学費や実家の生活費にまわしてしまったと知られた時には、叱られることもなく、アーレが付き添った状態で街へドレスを仕立てに連れ出され、伯爵の名のもと、大量の注文の他、装飾品や帽子に靴と、びっくりするほどの品々を贈られてしまった。


(このまま甘えていて、良いわけがない)


 エマは何とか伯爵家に貢献できないかと考えるようになっていた。


 アーレことサミュエルからすれば、大切だった人ミレイユの孫娘を預かっている感覚である。


 "快適に楽しんでくれれば良い"くらいの考えだったので、夫婦である両者の間には決定的な意識の齟齬があったが、残念なことにそれを指摘してくれる人物は誰もいなかった。


 そんなわけでエマは"自分に出来る何か"を探すため、本日は厨房付近で雑用を探していた。


 その時である。耳が、子どもの囁くような声を拾った。


「あの人?」

「きっとそうだよ」


(?)

 

 背中に視線を感じ、パッと振り返ると、さっと物陰に誰かが隠れるのが見えた。


(???)


 エマには小さな弟たちがいたので、こういった状況には覚えがある。


(伯爵家に子どもがいる?)


 不思議に思って、そちらに歩を進めると……。


「大変、こっちに来る」

「気づかれた?」


 ふたつの小さな声は焦りを含んで、タッと走り出した。


「あ、待って」


 パタパタと走り去る後ろ姿は簡素なスカートで、平民の女の子だと思えた。

 彼女たちは、すばやく厨房横の食料庫パントリーに入り込み、たくさんの樽や野菜箱の間に潜り込んだ。エマがのぞき込むと、そこには階段がある。


(ワイン蔵かしら?)


 思わず続いて駆け下りた。

 突き当りの扉を開けると通路が広がっており、反射的に子どもの影を追いかけて、エマは足を踏み入れてしまった。


 長い回廊に、途中で後悔する。

 もしやここは、入ってはならないと言われていた地下室では。


 だけど想像以上に入り組んでいて、子ども達を見失ったらそのまま迷子になってしまいそうに思われた。ついていくしかない。


 進むたびに魔石ランプがともるので、視界は確保出来ている。

 薄暗い地下の廊下には、いくつもの部屋があり、チラチラと横目に甲冑やら見慣れぬ武具的な何かが並べられているのが見て取れた。

 

 反響する足音をおともに走り抜けると、ついに上への階段が現れ、エマはホッと安堵する。


 上がると、屋外に出た。


 頭上から小鳥の声が降り注ぎ、草の香りが鼻をくすぐる。

 そこは雑木林の中で、振り返ると背後に伯爵の館が見えた。

 そして眼前には、こじんまりとした家屋がある。


(離れ? にしては、なんだか造りが……小屋かしら?)


 その中から。


「遅い! どこに行っていた、リュシー、クロエ!!」


 鋭い叱責の声が響いた。

 聞き覚えのある声。


「アーレ?!」

「!! エマ! ……さま??? なぜここへ?」


 窓をのぞいて、予想通りの声の主にエマは驚き、アーレは。

 彼は予想外の相手を見た驚きに、硬直していた。

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