第3話 サミュエルの過去(代償)

 その日の夜。


「思いのほか、しっかりした娘だった」


 入室したゾフは、開口一番そう声掛けてくる主人に対し、頭を下げることで返事に代えた。


 奥の間、伯爵の居室でサミュエルが評しているのは、昼に会ったエマの印象である。

 彼は椅子にゆったりと腰掛け、とても満足そうに大判の布地をめつすがめつ見ていた。


 "これが何か聞け!"。

 主人から、そんな無言の圧を感じる。


「サミュエル様、その品は?」


「ふふふ、よくぞ聞いた。これはエマから新郎へのプレゼントだ」

「はあ」

「この刺繍、なかなかの出来栄え。冷えたら足が痛むのではと思ったらしい。膝掛けだが、"伯爵の迷惑にならないようなら、さり気なく渡して貰いたい"とアーレ・・・が預かった」


「足、ですか」

「足だな」


 健全そのものなサミュエルの両足には、怪我のあとはおろか、傷ひとつないのをこの場のふたりは知っている。


「こちらが用立てた支度金の一部で、勝手に用意してしまったと気に病んでいたが……。可愛らしい心遣いに思う」


 伯爵に添うよう、出来るだけ高級な素材を集めて手作りしたらしい。

 "何でも持っているお方に、膝掛けなど喜ばれないかもしれない"と、しきりと恐縮していた。


 あの様子ではもしかしたら、仕舞い込んだまま渡さなかったかもしれない。


 何か言いたげだと察したサミュエルが、柔らかに聞き出すと出てきた贈り物だった。


「とても良いご令嬢のようですね」

「そうだな。さすがミレイユの孫だ」

「…………。似ていらしたのですか? 私はミレイユ様を存じ上げないので、エマ様を見てもわからないのですが」


 ゾフの問いに、少し首を傾げたサミュエルが、虚空から記憶を引き出す。


 呟くように返した。


「……いや、ミレイユには似ていなかった。……だが、そのほうが良い。一年で別れる相手だ。俺の歯止めが利かなくなっても困るし、似ているからどう、などとは、エマ個人に対して失礼だからな」


「お気に召したのでしたら"別れる"と言わず、いっそ本当に奥方になされば……」


「言わせるな。ミレイユを諦めた経緯は話しただろう。呪いを解かない限り、嫁は持てない。それに、ミレイユの孫なら、俺にとっても孫みたいなものだ。孫と本気の結婚なんて、有り得ないだろう?」


 でもエマ様は、あなたの孫ではないではないですか。

 喉元まで出かかった言葉を、ぐっと抑える。


 ずっと慎重に生きてきたあるじが、いきなり結婚を決めてきたのだ。

 サミュエルが心底で求めているものを感じとり、痛ましさにゾフは目を伏せる。


 妻がいて、子がいて、孫がいて。普通に年老いていく、そんな穏やかな人生。

 

 万感の思いを込めて報告した。


「もうじきです、サミュエル様。《魔王妃の涙》の効果を打ち消す例の品、がわかりました」


「!! それを先に言え!」


 サミュエルが身を乗り出して叫んだ。



 ~ ・ ~ ・ ~



 第七代トレモイユ伯爵サミュエル・アーレ・トレモイユは、父である前伯爵の没後、弱冠17歳で爵位を継いだ。

 才たけた美貌の貴公子には美しい婚約者もおり、前途有望な青年として社交界でも注目されていた。


 けれど、18の時に大病を患うこととなる。

 助かる見込みがないと医師がさじを投げる中、サミュエルの母はあらゆる手を尽くして息子を生かそうと奔走した。


 そして伝手つてを使って、古王国の秘宝を手に入れた。


《魔王妃の涙》


 夜より黒い石の中には、紫色のインクルージョンが放射状に広がり、まるで闇に炎が燃えているかのように見える魔石。

 我が子を失いそうになった魔王の妃が、"時を止めたい"と落とした涙が石になったとされ、その石を砕いて飲めば、どんな病や怪我もたちどころに治るという。


 あくまで伝説でしかなかったそれ・・を、わらにもすがる思いで母親は使い、かくしてサミュエルは全快した。


 母子ともに喜んだのもつかの間、社会復帰後、王都からの帰り道。

 馬車の滑落事故に遭い、同乗していた母が他界。

 サミュエルも"二度と歩けない"とされる大怪我を足に負った。


 サミュエルが自身の変化に気づいたのは、その後だった。


 歩けないはずの大怪我が、一夜にして跡形なく治った。


 さては事故は夢だったかと錯覚しかけたが、母が戻らなかったことは事実。

 "どんな怪我も治す"という魔石の効果が残っていたとしても、あまりに奇怪。用心したサミュエルは、使用人たちを入れ替え、療養と称して部屋に引きこもっていた。


 事故が領内であれば情報操作も出来た。だが、王都のそば近くだったため、手を回すには話が広がり過ぎており、足はすっかり問題ないのに、怪我の事実が揉み消せない。今出れば“化け物”確定だ。


 じっと我慢していると、今度は婚約者の家から解消の申し出が届く。


 "足は治らず再起不能"。

 そう世間に周知されていたサミュエルへ嫁がせることはないと、先方は判断したらしかった。


 婚約者ミレイユ・グラネ子爵令嬢は、サミュエルのかねてからの想い人であり、この恋を諦めきれなかったサミュエルは、何年か待ってもらえば『足は奇跡的に回復した』ことにして、再び表に出る気持ちでいた。


 なんとか婚約を保ったまま引き延ばし、数年経った頃。


 気づいた。


 まるで年を取らないことに。


《魔王妃の涙》には、"時を止める力"も含まれていたのだと、思い知った。

 母の思いが呪いをきざみ、人間ひととしてのことわりから外れてしまった事実は、サミュエルを打ちのめした。


 婚約は解消せざるを得なかった。

 婚期を逃したミレイユは、爵位の低い嫁ぎ先に赴かねばならず、彼女を縛ってしまったことによる悔恨の念がサミュエルには残った。


 そして大好きだった女性が他の男性のものになるのを、ただ見守らなくてはならない悔しさは、己が身を焦がすよりも辛く、けれど何度手足を切り裂こうと、絶望して死を望もうとも、呪いはサミュエルにそれを許さなかった。


 あれだけチヤホヤしてくれていた周りは、事故以来連絡すらない。

 健康体であるのに、元の場所に戻れない。


 サミュエルは荒れた。


 荒れに荒れ、飲みに飲み、さ迷い歩く街角で、ある光景に出会った。


 店先で折檻されている少年奴隷。

 見るも無残に打ち据えられ、息も絶え絶えになっている。


(奴隷にさえ、死が許されているのに)


 その奴隷を買い取ったのは、ほんの気まぐれだった。


(きっとすぐに死ぬのだろう)


 そう思って引き取り、屋敷に連れ帰って介抱してみたところ。

 奴隷……ゾフは、驚異的な回復を見せた。


(生き返ってしまった!!)


 それは予定にない事態だったが、助けてしまった以上、責任は取らなくてはいけない。


 サミュエルは、妙な部分で真面目だった。


 ゾフの面倒を見つつ、教育することにした。

 2年くらいなら手元に置いていても、自分が年を取っていないとバレないはず。


 そんなサミュエルの思いとは別に、ゾフは、その無知と子どもらしい思いから、厚かましくも主人に願った。


「弟妹も助けて欲しい」


 これが、サミュエルの転機となった。


 奴隷として散らばっていたゾフのきょうだいを探すため奴隷商に声を掛け、"トレモイユ伯爵が奴隷を買い集めている"と噂になったが、サミュエルは今更気にも留めなかった。


 結果的にゾフとその弟妹。その他何人かの奴隷を解放し、彼らの身の振り方まで面倒を見た。


 その後ゾフには"呪い"を知られ、けれども彼はサミュエルを支える道を選んだ。

 その頃にはもう、ゾフはサミュエルに対して揺ぎ無い信頼を抱いていたから。


 そしてまた、ゾフから得た経験と前向きな意志は、サミュエルにある決意を結ばせた。


 人を育て、情報を集め、呪いを解く方法を探そう。

 始まったものなら、終わらせることも出来るはず。


 サミュエルは動き始めた。

 いくつもの事業を展開し、見込んだ人材を活用し、配置し、国の内外、あらゆる場所に根を張って様々な情報を集めていくうちに、トレモイユ家は王室にお金を貸すほどの富豪へと成長していた。



 ~ ・ ~ ・ ~



《魔王妃の涙》を無効にする《聖女の微笑み》が入手可能だという。

 トレモイユの全力でもって取り寄せるよう、その夜、サミュエルの指示が飛んだ。

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