第2話 エマ、伯爵家に嫁ぐ(出会い)

 一方。借金を肩代わりをして貰うことになったカデュアール家では、ゾフの予想通り、葬式でもあったかのような重苦しい空気に沈んでいた。


 すすり泣く母親、顔を上げずに影を背負う父親。

 屋敷内のただならぬ様子に、召使いに抱き着いたまま身を縮めている小さな弟たち。


(私はまだ、生きてますが)


 カデュアール家長女にして、唯一の娘であるエマ・カデュアールは困っていた。


 突然の縁談、相手は60歳の伯爵だという。

 16歳のエマにとって、実に44歳差の結婚相手。

 いくら政略がつきものの貴族の娘でも、悲劇といって良いほどの取り合わせだ。

 しかも相手の性質は、穏やかとは対極に位置すると聞く。


 であるのに自分が嘆く前に、周りにここまで泣かれてしまうと……。


 励ます側に、回るしかないではないか。

 かくしてエマは、家族を元気づけるため、明るくふるまうことにした。


「大丈夫ですわ、お父様。伯爵様は我が家を助けてくださったのでしょう?」

「ああ、だがそのせいでお前をとんでもない目に遭わせることになってしまった。すまない。謝っても謝り切れないが、本当にすまない」

「一家もろとも、とんでもない目に遭うより良かったではありませんか。お父様もお母様も弟たちも、それに使用人たちも無事ですし。二千五百万ノルトなんて、私には一生かかっても揃えることの出来ない金額です。けれど、私にその価値を見い出していただけたのですから、有難いことです」


「エマ……。だが、大切なお前をみすみす不幸にするなど、父親として失格だ」

「お父様。なぜ私が不幸になると決めつけるのです。噂はしょせん噂。もしかしたら、噂とは違い、とても良い御方かもしれないではないですか」

 

 もっとヒドイ場合もあるかもしれないけれど。

 との言葉は飲み込む。


 莫大な財産を持ちながら、60歳まで独身だったのだ。

 よほど難ありと見たほうが良いだろう。

 それでも人生の賽子サイは投げられた。


 あとはもう、なるようにしかならない。


("幸せ"の良いところは、他人ひとではなく、自分で決めることが出来る点ね)


 基準値を、うんと低く設定しておこう。

 

 部屋にベッドがあったら、ラッキー。

 食事を貰えたら、ツイてる。

 身体を切り刻まれなければ、ハッピー。

 毎日命が続いたら、この上ない大幸運!!


 これならば大抵の境遇ことには耐えられるのでは。


「お父様、お約束します。私は伯爵のもとで、必ず幸せになります。だからもうお泣きにならないで」


 覚悟と決意を胸に、エマは力強く断言した。



 彼女の盛大な覚悟が、トレモイユ家で見事な肩透かしを食らうとも知らずに。




 ◆ ◆ ◆




(想像していたのとは、まるで違うわ……!)


 トレモイユ家の立派な馬車で迎えられたエマは、到着した伯爵領の屋敷に、目を見張っていた。

 きっと豪邸だろうと思っていた、その規模に輪をかけて大きな邸宅だったことに加え。


 暗雲渦巻くような、古めかしく、おどろおどろしいイメージを抱いていた屋敷は、明るく晴れやかで、庭も開け、きちんと整っていた。

 歴史を感じる、重厚で格式高い造り。ポーチの手すりひとつとっても、とても入念で精巧な細工が施されている。


(わあ……)


 トレモイユ邸は、見惚れるほど美麗に輝いている。

 恐怖の地下室があるだなんて、とても信じられないくらい。

 

「ようこそ、エマ・カデュアール様。王都からの長旅、さぞお疲れになったことと存じます」


 若い家令から、絵のように美しい一礼を受け、そんな彼に手を取られて馬車を降りた時、エマはまるで自分が劇の主人公ヒロインになったかのように錯覚して胸が高鳴った。


「お部屋をご用意しております。まずはそちらでお休みください」

 

 洗練された身ごなしに、落ち着いた声。

 アーレと名乗った家令は、長い前髪で、顔半分が隠れている。

 けれど、髪が揺れた際に涼やかな目元がチラリと見えて、ドキリとした。

 銀の髪に、淡い紫色の瞳。髪を上げたところを見てみたい。きっと美形だ。


(いけない、私ったら)


 伯爵の妻としてここに来たのだ。

 他の異性にときめくなど、あってはならない。


(でも……。どうしてこんなに前髪を下ろしているのかしら。邪魔では。はっ、もしや目が陽光に弱いとか?)


 そういう体質の人もいると聞いたことがある。

 初対面だし、不躾なことは尋ねられない。


 それに"アーレ"と言う名前。


(アーレ……どこかで……。あ! サミュエル・アーレ・トレモイユ伯爵!! 伯爵様のお名前と同じだわ)


 家令ということは、トレモイユ家で働く人たちの総括者として家の諸事全般を取り仕切っているはずである。

 この若さで伯爵家の家令とは。

 よほど有能か血縁者。


(伯爵様からお名前をいただいたのかしら)


 いずれにせよ、当主と深いかかわりのある人物に違いない。新参者として、彼の言うことはよく聞いた方が良さそうだ。

 エマは心の中で頷いた。


 アーレの案内のままに、邸内を進む。

 玄関ホールの開放感、素晴らしい置物や絵が並ぶ廊下は美術館のように豪華で、もし見てまわろうと思えば何日もかかるように思えた。

 夢見心地のまま応接室に通されると、あたたかなお茶のもてなしを受けながら、今後の予定を聞かされた。


 驚いたことに、当面、夫となる伯爵とは会えないらしい。

 結婚については書面にサインとなる旨など、説明を受ける。

 

 詳しい理由はわからないものの、いざ60歳の男性とねやを共にするとなると泣いてしまうかもしれない。

 そんな思いで緊張していたエマは、内心ホッとした。


 同時に、なぜ自分が結婚相手として選ばれたのか等、前々からの疑問が沸き立つ。

 そして、花嫁の顔すら見ないなど、もしや昔怪我した足の具合が相当悪いのでは? と、伯爵のことも気にもかかる。


(歩けないならもちろん私からご挨拶に伺うのに……)


 歓迎されてないのだろうか?

 でも。


「まずはエマ様にお使いいただくお部屋にご案内します。充分におくつろぎいただいたのち、邸内や庭園については、また他の者にご案内させましょう。いつでもお声がけください」


 アーレはじめ、出会う人間は皆、自分をとても気遣ってくれている。

 見かける召使いたちも萎縮している様子はなく、おだやかな表情をしていた。


(…………?)


 もし屋敷の主人が噂通り粗野な暴君なら、この空気はないように思える。


(噂は、本当に噂だけなのかも知れない)

 

 エマが安心しかけた時だった。

 なんでも自由に過ごして良いと言ったアーレが、言葉をつけ加えた。


「ただし、奥の伯爵様のお部屋と、地下室にだけは行かれませんよう」


「!?」


(地下室はダメって、もしかして奴隷を切り刻んでるから――???)


 ふわふわした世界から、突然現実に引き戻された気がして、エマの背中には汗が流れたのだった。

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