第八話
師走を駆ける風と寒さが勢いを強める今日この頃。口もとのフィルターにせまる橙のあかりを見つめながら僕は喫煙所のベンチに座っていた。年末の厳しい納期にむけて忙しくなることが冬の風物詩だったが、今年はすでに目処が立っておりこの時期にしては珍しく喫煙所内の雰囲気が柔らかく感じた。心なしか灰皿にしずむ吸い殻にすら気品が漂うようだ。ポケットのなかで携帯電話がふるえると、それは小鳥遊優からのメールが届いた合図だった。
「明日、ひまはありますか?」
いつにもなくこちらを上目遣いでうかがう表情が目に浮かぶ。口角があがっていることを周りに悟られないように手で隠しながら、僕はすぐに返信した。
「いつでも空いています」
彼女につられて僕も文面をデスマス調にしてみた。ついでに少し気取ってみたことにも気ついてくれただろうか。明後日の日曜日がクリスマスだから明日の土曜日は俗にいうクリスマスイブだ。俗に、というのはイブが前夜をさす言葉であるからして、正確には土曜日の日中はただの休日なのだが、世間的には前日を表していることくらい俗世離れした僕でも承知のところだ。くだらないことを考えているあいだに指で挟んだ煙草はただの灰となり、もう片方の手には彼女からのメッセージが到着していた。
「晩ご飯食べに行こ。夕方六時くらいから、新地あたり集合で」
新地──北新地は僕にとって聖域のような場所である。職場での話もまれにしか聞かず、いわく坊さんやコレもん──我関せずの僕は見ていないがおそらく良からぬジェスチャーをしていた──が顔をきかす金持ちの街だと。
小鳥遊優と出会ってから何度も休日のランチをともにしてきた。でも今回はどうだろう。合コン以来初めてとなる夕方の待ち合わせ、そして正真正銘のクリスマスイブ。あれこれと想像を巡らしていると携帯電話の画面が暗くなり精気のない男と不意に目があった。そこではたと現実に引き戻される。あんな美しい造形をもった彼女にたいして、こんな背景に溶け込んでしまう男がなにを期待しているのか。高まり続けていた脈動が水をさしたようにしぼんでいき、「送信しますか?」にたいする親指の動きはだれかに操られている気がした。
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