第六話

「本物ってなんなんだろうって考えちゃうんだよね」

 皿からあふれんばかりにフルーツソースがかけられているパンケーキにナイフを入れながら、小鳥遊優が不意に言った。

「職場でさ、小鳥遊のデザインはニセモノだ、何番煎じだ、って上司が言うんだけどね。そんな風にダメ出しされたってじゃあどうしたら良いのって話じゃん? 結果みて文句いうなんてそれこそ素人のやることじゃんね」

 彼女の発言の真意がみえない僕はただ黙ってうなずくことしかできなかった。僕が気の利いた返答をしないことに構うことなく「あ、美味しい。やっぱ来て正解だったね」と恍惚とした表情をあらわす彼女の脳内は、愚痴と味覚が相成っているようだ。

「このパンケーキだって、私が美味しいと思う気持ちは本物じゃん。でも正直これがオリジナル? 唯一無二? ってきかれたら絶対にそんなことはないよね……いや、この例えも微妙だな。つまり言いたいのは、創るってのはそんな簡単なものじゃないってこと。自分のデザインがインテリア雑誌でよく見るものっぽいことくらい自分が一番わかってるっての。社内の空気って一度、被害妄想入っちゃうとどんどん深みにはまるよね。私のこと気に入らないんだろうなぁとか、周りも同じこと思ってるんだろうなぁとか。まあ、がんばるしかないけど」

 僕はだんだんと話の方向に見当がつき無意識に苛々とした黒いものを脚をゆらすことで床に逃がそうとした。眉間にしわがより始めている、前頭葉の部分がしもやけに似た熱を持ちだしている、目の前に座る彼女はきっと気がつかない、なぜなら手もとにあるソースのどろどろした赤みに夢中だからだ。そして僕はそんなあなただからこそ虜になったのだ。

「唯一無二であることと本物であることはイコールにならないよね。じゃあ本物ってなに、って話はまたふりだしに」

 彼女から漏れたものは独り言となって床に落ちた。左手に目をうつせば半透明の僕たち越しに、阪急電車の線路と赤い観覧車、晴空とのコントラストがまぶしい灰色の街並みを一望できた。僕がまれな外出時に利用する環状線はあいにくの画角により見られそうになかった。職場で否が応でも聞こえてくる聞きたくもない「ウメダ」の情報は偏っていて、もっぱら堂山町から兎我野町の界隈に限定されていた。どうやら僕は梅田という街の一面しか知らずにいたようで、埋め立てに始まった文明の歴史は想像以上の景観と高揚感を胸中にもたらした。職場の同僚たちにはお天道様が見守る梅田でなく、湿った花弁につつまれたウメダしか印象にないのだろう。それはなんて矮小で盲目的なフィルムなのか、彼らは藍空背景のきらびやかな紫電に群がる羽虫のような存在だ。僕にして彼女の言葉をかりるなら、彼らの言うウメダがニセモノで小鳥遊優の傍らでみる梅田が本物だった。

「そろそろ行こっか」

 あらかた語りつくし満足したのか、小鳥遊優はすでに食器がなくなったテーブルに手をあわせて立ち上がった。会計はどちらかがまとめて支払って後で回収する。初めて二人で食事をしたときに彼女が決めたルールだった。「裸のお金をレジ前やテーブルで渡されたくない」と。

 目的を果たした僕たちはなぞるように往路をたどり駅にむかう。僕は環状線、彼女は地下鉄谷町線。東梅田駅に着いたころにはすっかり陽が沈み、もう冬なんだなとセールを報せるポップをみては感慨にひたる。レンガ通りを歩いている最中、ふと隣から小鳥遊優の姿が消えていることに気がついた。

「カズくんてさ、なんだか達観してるよね」

 ふりかえると、電飾を巻きつけられた大きな樹木のそばに彼女が立ちすくんでいた。西日が目を細めはじめる今時分はまだ電飾が機能しておらず、妖怪大木が彼女の脚をつかんでいるようだった。

「ここでいいや。また連絡するね。もうすぐ……年末だし、じゃあ、また」

 彼女は踵をかえし歩きはじめ、その小柄さによりすぐに歩行者と夕暮れに溶け込んでいった。

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