心の限界
翌朝。私は柔らかい人肌と体温に包まれながら目を覚ました。
「起きたか?」
「ん…ゆうか」
「おはよ」
「おはよう」
私が答えると、優香は額にキスをしてギュッと抱きしめてくる。
優香の肌の柔らかさと甘い香りが、朝だというのに少しだけ私をムラッとさせるが、さすがに昨日の今日なので自重した。
ベットから降りた私たちは、一人ずつシャワーを浴びに向かい、寝屋に戻ってくるとお互いの髪を梳かしていく。
優香の髪はお嬢様ということもあり、とても丁寧に手入れがされているのでサラサラだ。櫛で梳かすのも良いのだが、私としては手櫛で梳かすのが好きだ。
「優香の髪は本当に綺麗だね」
「そうか?私は愛那の髪も好きだよ。私も染めようかな」
「綺麗な黒髪なんだからもったいないよ。そのままがいいと思う」
私は髪を染めてしまったが、優香の黒髪は私のお気に入りでもあるため、出来ればそのままでいて欲しかった。
ただ、どうしても彼女が染めたいと言うのであればもちろん止める気はない。
髪を梳き終わった私は、彼女の髪を手に取るとそっとキスを落とす。
鏡に映る優香は少し照れていたが、いつものことなのでとくに何かを言うことはない。
その後、優香が私の髪を梳かして同じようにキスをすると、私たちは服を着替えて朝食を食べに向かうのであった。
お昼まで優香の家でお世話になった私は、挨拶を済ませると優香と二人で途中まで一緒に歩く。
「そういえば、愛那は冬休みはどうするんだ?いつも通り家族と旅行か?」
「ううん。今年は瑠花先輩と行ってくる」
「…は?」
私が冬休みの予定を伝えると、優香は歩を止めて冷たい声で答える。
「どういう事だ?」
「ごめんね。詳しくは言えないんだけど、必要なことなんだ」
私が真剣に答えると、優香は一度ため息をついて諦めたように首を振る。
「そうかよ。私も冬休み中は家族と出かけるから、会えるのは休み明けになると思う」
「わかった。お土産買ってくるからね」
「私も買ってくるよ。そしたら交換しような」
「うん」
話をしている間にいつも別れている駅に着いたので、私たちはまた遊ぶ約束をして別れるのであった。
優香の家に行った日から数週間が経ち、ついに冬休みを迎えた。
その間、寧々さんと映画を見に行ったり、瑠花先輩と旅行に行くときの話をしたり、優香と買い物に行ったりもした。
それらの時間は本当に楽しいことばかりで、とくに瑠花先輩は来年には高校を卒業してしまうため、良い思い出作りにもなった。
今日は冬休みに入ってから初めてバイトが休みの日だったので、旅行に行く際に必要なものを買うため街に出掛けていた。
「さてと。これで全部揃ったかな。…ん?あれは…」
一通り必要なものを買った私は、そろそろ帰ろうかと思い歩き出そうとしたとき、寧々さんが一人で買い物をしているのが目に入った。
話しかけるか迷ったが、お互い一人でいることだし、しばらく会えなくなるので話しかけることに決めて近づいていく。
「寧々さん」
「うん?あれ、愛那?どしたん?」
寧々さんは私に気がつくと、少し驚きながら返事をしてくれた。
「買い物をしていたら寧々さんを見かけたので。寧々さんも何か買いに来たんですか?」
「あぁ。大学で違うノートとボールペンを買いにね」
「なるほど。良ければ私もお付き合いして良いですか?」
「いいけど、何か欲しいのがあるのか?」
「いえ。次いつ会えるか分からないので、せっかくなら一緒にいたいと思いまして」
「そっか。なら、行こうか?」
「はい」
というわけで、急遽一緒に買い物に行くことにした私たちは、寧々さんに連れられて雑貨屋へと向かう。
寧々さんと一緒に店内を見て回ると、普通のノートやボールペンの他に、猫や犬のイラストが描かれたノートやボールペンなど可愛いものも売ってあった。
寧々さんはイラストなどがない普通の商品が売られている方へと向かっていったので、私は逆にイラストの描かれた商品を見に向かう。
「うーん。…あ、これ可愛い」
私が見つけたのは、子犬のイラストが描かれたメモ帳で、寧々さんが好きそうな物だった。
(せっかくだし、プレゼントしようかな)
寧々さんは子犬が好きなので、このメモ帳をプレゼントしてあげることに決め、彼女がノートを選んでいるのを確認するとバレないようにレジで支払いを済ませた。
買い物を済ませた私たちは、少し話をするために近くのカフェに寄っていた。
「そういえば、瑠花と旅行に行くんだって?」
「はい。今日はそのための買い物に来たんです」
「あいつ、すげー嬉しそうだったよ」
「ふふ。それならよかったです」
私はテーブルに置かれたコーヒーを一口飲むと、「ふぅ」と息を吐く。
寧々さんもカフェオレで喉を潤すと、カップを置いて話しかけてきた。
「なぁ、愛那」
「はい」
「春になったら、あたしと花見に行かないか?」
「お花見ですか?」
「そう。あたしが車を運転するから、少し遠出しよう」
寧々さんとお花見。それはすごく楽しそうなので、是非とも行きたい。
それに、寧々さんが運転する車に乗るのも楽しそうなので、私は迷わず了承した。
「よし!決まりだな!弁当もあたしが作るから、楽しみにしててくれ!」
「いえ、お弁当は私が作りますよ。寧々さんには車を出して貰うので、それくらいはやらせてください」
何から何まで任せてしまうのは申し訳ないし、お弁当を作るとなると早起きしないといけなくなるので、運転時が心配のため私がやりたかった。
「わかった。なら弁当はお願いするよ。愛那の料理は美味しいから楽しみだ」
思いもしないところで春休みの予定が一つ決まったので、寧々さんはそろそろ帰ろうかと言ってくるが、私は彼女に渡す物があったため待ってもらう。
「これ、寧々さんが好きそうな物だったので。よければ使ってください」
そう言って、さっき雑貨屋で買った子犬のイラストが描かれたメモ帳を寧々さんに渡す。
「か、かわいい。いいのか?」
「はい。寧々さんに買った物なので」
彼女はそれを見ると、目を輝かせながらそう尋ねてくる。
私は微笑みながら頷くと、寧々さんは宝物のようにして受け取ってくれた。
「ありがとう。大切にする」
渡したかったものを渡せた私たちは、改めて席を立つと支払いを済ませてお店をあとにするのであった。
寧々さんと別れたあと、家に帰ってきた私は二日後の旅行の向けての準備をしていた。
旅行は二泊三日で、山形県の蔵王というところに行く予定だ。
蔵王は雪の名所でも有名だし、温泉も有名なため、せっかくだし行ってみようということになったのだ。
コンコンコン
あと少しで準備が終わるというとき、部屋の扉がノックされたので、私は返事をして入って良いと伝える。
(お母さんかな?)
そう思いながら扉の方に顔を向けると、そこには何故か愛華が立っていた。
あの喧嘩をした日以来、私と愛華は一言も話していなかったので、彼女が私の部屋を訪ねてきたことに驚きを隠せなかった。
「あ、愛華?なにかよう?」
ずっと距離を置いてきた相手が、突然部屋に来たことに訝しみながら尋ねるが、彼女は喋ることなく私の方をじっと見ている。
「なに?今忙しいんだけど」
少し冷静になった私は、愛華から視線を外して荷物を詰めながら要件を聞く。
「…旅行に行くって…聞いたんだけど」
「あぁ。うん。そうだよ」
なんだその事かと思いながら適当に返事をすると、そこから何故か愛華の質問攻めが始まった。
「誰と行くの」
「バイト先の先輩と」
「どこに」
「東北」
「いつ行くの」
「二日後」
「なんで?」
「愛華には関係ないでしょ」
私が最後の質問でバッサリ切り捨てると、愛華からの質問が止まった。
用が済んだならそろそろ帰って欲しいと伝えようと思い愛華の方を見ると、彼女は右手で左腕を掴みながら指でトントンと叩き続けていた。
「なんで…なんでなんでなんで。ずっと年末は家族で旅行に行ってたよね?なのになんで他の人と行くわけ?普通家族を優先するよね?おかしくない?おかしいよね?絶対おかしい。こんなの普通じゃない。女同士で好きあって、あまつさえ旅行?私は認めない。絶対間違ってる。おかしいおかしいおかしい…」
愛華はどこか壊れてしまったかのように、なんで、おかしい、普通じゃないと言葉を繰り返す。
その姿は見ていて痛々しく、思わず私は彼女のことを抱きしめた。
「っ…!離して!女同士でこんなの普通じゃない!離してよ!」
愛華は腕の中で暴れるが、私は何も言わずに力いっぱい抱きしめ続けた。
それからしばらくして、ようやく落ち着くことができた愛華は暴れるのをやめて大人しくなる。
私は背中に回していた腕を離し距離を取ると、愛華と視線を合わせた。
「落ち着いた?」
「…ごめん。迷惑かけた」
「いいよ、別に」
「もう用が済んだから行く。旅行…楽しんで…」
愛華はそう言って部屋を出ようとするが、私は彼女のことが心配で声をかける。
「愛華。辛い時は人に相談するといいよ。友達は無理でも、お父さんとお母さんなら大丈夫だから」
私の言葉に返事はなかったが、これで彼女の選択肢が少しでも増え、傷が癒える何かのきっかけになることを祈りながら、私は旅行に行く準備を進めていくのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
よければこちらの作品もよろしくお願いします。
『距離感がバグってる同居人はときどき訛る。』
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