心地よい時間

 翌日。私は空腹感と共にいつもより早い時間に目が覚めた。


 もうすぐ冬だということもあり、外はまだ暗く、静寂に包まれている。


(今何時だろ)


 時間が気になった私は、カバンからスマホを取り出して時間を確認する。


 画面の明かりが少し眩しかったが、少しすると慣れてきて時間もはっきりと見ることができた。


(まだ5時か)


 いつもならまだ寝ている時間だが、昨日は結局帰ってきてそのまま寝てしまったらしく、そのせいか早めに起きてしまったようだ。


 ぐぅぅ〜


 すると突然、静かだった部屋の中にお腹のなる音が響く。


「そういえば、昨日のお昼から何も食べてなかった」


 昨日は帰ってきてすぐ、愛華と少し喧嘩になってしまったので、そのまま部屋に戻ってきて眠ってしまったのだ。


 何か軽く食べるものはないかと思い一階に降りてキッチンに向かうと、包丁で物を切る音と明かりが見えてきた。


「お母さん?」


 キッチンに着くと、どうやらお母さんが朝食を作っているようだった。それも、鼻歌を歌いながらご機嫌にである。

 お母さんは私の声に気づくと、動かしていた手を止めて振り返る。


「あら?愛那?こんな時間に起きてくるなんて珍しいわね」


「うん。昨日寝るのが早かったからね。あとお腹すいちゃって」


「そういえば、昨日夜ご飯を食べてなかったわね」


 お母さんは私がこの時間にキッチンに来た理由を知ると、「ちょっと待ってね」といって慣れた手つきでおにぎりを握る。


「急いで作ったから、具とかは入ってないけど、食べていいわよ。味が欲しかったら自分で塩とかかけてね」


 おにぎりを私の目の前に置いたあと、お母さんはまた包丁を持って料理を始める。

 お母さんはおにぎりを渡したあと話しかけてくることはなかったが、静かなキッチンに響く包丁で物を切る音は心地よく、おにぎりを食べながらお母さんの後ろ姿を眺める。


 そして、おにぎりを食べ終わった私は皿をお母さんの方に持っていきながら話しかける。


「私も何か手伝うよ」


「あら、いいの?」


「うん」


 お母さんの横に並んだ私は、何をすれば良いか確認をとり手伝いをする。


「お母さんは、いつもこんな時間からご飯作ってるの?」


「そうよ。みんなの分の朝ごはんも作らないといけないし、お弁当も作らないといけないからね」


「大変じゃない?」


「ぜーんぜん。むしろ楽しいわ。みんなが私の作った物を美味しそうに食べてくれるのは嬉しいし、お弁当も残さず食べてくれたのを見ると心が温かくなるの。だからすごく楽しいわ」


 そう言って微笑むお母さんはとても優しい顔をしており、それが本心であるとすぐに分かった。

 そして、お母さんの言葉にはすごく納得することができた。


(確かに私も、瑠花先輩や寧々さん、優香にご飯を作って美味しって喜んでもらえた時は本当に嬉しかった)


「いつもありがとう、お母さん」


「ふふ。どういたしまして」


 その後は特に会話は無かったが、気まずいということもなく、親子だからこその安心感と心地よさが感じられた。


「よし!できたわね!手伝ってくれてありがとう!」


「ううん。こっちこそいつもありがとう」


「ふふ。今日はいい日ね。この後はどうするの?もうご飯食べる?」


「まだ大丈夫。最初にシャワー浴びてくる」


「わかったわ。いってらっしゃい」


 お母さんのその言葉を背に受け、私は一度部屋に戻って下着や新しい服を手に持つと、シャワーを浴びるためにお風呂場へと向かった。





 シャワーを浴びてお母さんのところに戻ってきた私は、いつもより少し早い朝食を食べる。


「お?なんだ愛那。今日は早いな」


「おはよ、お父さん」


「昨日早く寝過ぎて目が覚めたらしいわ。ご飯を作るのも手伝ってもらったのよ」


「そうなのか。食べるのが楽しみだな」


 お父さんは嬉しそうに椅子に座ると、いただきますと言って食べ始める。

 その後、お父さんは美味しいと言いながらご飯を食べてくれたので、私も感謝を伝えて自分の分を食べて行く。


 しばらくして、私もお父さんも食べ終わると、使った皿などをキッチンの方へと持って行く。

 後片付けも手伝おうとしたが、お母さんが大丈夫だというので部屋に戻ることにした。


 愛華はまだ起きていないのか、結局最後まで会うことはなかった。





 いつもより早い時間に学校に来た私は、昇降口で靴を履き替えると、自分の教室に向かうため階段の方に向かおうとする。


その時、小柄な見知った人が階段を上っていくのが目に入った。


(瑠花先輩?でも…)


 今見たのは間違いなく瑠花先輩だったが、彼女がこんな時間に来ることはほとんどないので、気になった私はついて行くことにした。


 そうして彼女についていき着いた場所は、屋上へとつながる校舎の最上階だった。


 しかし、屋上は扉に鍵がかかっているはずなので、瑠花先輩が扉を開けて屋上まで行ったとは思えない。なのでおそらく…


(いた)


 予想通り、彼女は屋上に続く踊り場で壁を背にして座っていた。


「瑠花先輩」


「あい…な?」


 私が声をかけると、瑠花先輩は私の方を見て少しだけ泣きそうな目をする。

 心配になった私は、急いで彼女のもとへと駆け寄り床に膝をつく。


「どうしました?」


「…愛那。愛那愛那…」


 瑠花先輩は私の質問には答えず、ただ私の名前を呼びながら抱きついてきた。

 そして、僅かに肩を震わせながら嗚咽を漏らす。


 私は彼女を落ち着かせるため、今は何も聞かずに背中を撫で続けた。





 しばらくしてようやく落ち着いた瑠花先輩は、私から体を離す。

 しかし、今度は手を繋いできて離そうとはしなかった。


「落ち着きましたか?」


「ありがとう。もう大丈夫」


「よかったです」


 瑠花先輩が少しいつも通りに戻ったことに安心した私は、壁に背を当てて座る。

 彼女に何があったのかは気になるが、私から聞くのは良くないと思ったので、彼女が話してくれるまで待つことにした。


「…あの人が、帰ってくるの」


 どれほどそうしていたかは分からないが、瑠花先輩が少しずつ何があったのかを話し始めた。


「…今朝、年末年始に帰ってくるって連絡があった」


「そう…ですか」


 あの人とは、瑠花先輩の父親だ。彼女は父親のことをかなり嫌っている。

 そんな人から帰ってくると連絡があれば、確かに彼女が泣いてしまうのも仕方のないことだ。


 私もできれば瑠花先輩と父親を会わせたくないので、どうしたものかと考えた時、ある事を思いついた。


「先輩、その日に私と旅行に行きませんか?」


「…旅行?」


「はい。バイトのおかげでお金は何とかなりそうですし、私が瑠花先輩といたいんです。だめですか?」


 瑠花先輩は少しだけ驚いた顔をするが、すぐに嬉しそうに笑うと首を縦に振った。


「行く。私も愛那と一緒にいたい」


「では決まりですね。場所は少し遠くの方にしましょう。冬なので雪が綺麗なところなんてどうですか?」


「すごくいいと思う」


 その後、元気を少しずつ取り戻した瑠花先輩と私は、何処に行くか、何をしようかと二人で話す。


 気付けば授業が始まるチャイムが鳴ったが、私たちはどちらも動こうとはしなかった。


「懐かしいですね」


「うん」


 私たちが出会ったのも、ちょうどこの場所だった。


「あの時とは逆ですけどね」


「そうだね。私がいつものようにここに来たら、愛那がいた」


 私たちが出会ったのは、夏休みが開けて始業式が行われた日だった。

 愛那に振られて何もやる気が起きなかった私は、学校には来たものの始業式に行く気にはなれず、ここに来て時間を潰していた。


 しばらく時間が経った頃、下から階段を上ってくる靴音がしてそちらを見てみると、人形のように感情を感じさせない瑠花先輩と目が合った。


 私に気づいた瑠花先輩は最初帰ろうとしていたが、何となく彼女のことが気になった私は呼び止めた。


 そして、瑠花先輩は私とは反対側の壁に向かうと、背中を預けて座った。


 それからしばらく会話は無かったが、何故か瑠花先輩の方から話しかけてきた。


『あなた、何でここにいるの』


 それは問い詰めてるわけでも怒ってるわけでもなく、ただ気になったから聞いてきたという感じだった。


『なんか、全部どうでも良くて。だから人のいないここにきました』


『そっか。私と一緒だね』


 それから私たちの間に会話は無かったが、不思議とその時間が嫌ではなく、むしろ少しだけ心地よかった。


 どれくらい時間が経ったのか分からなかったが、そろそろ始業式も終わるだろうと思い私は教室に戻ろうと立ち上がる。


 そのまま階段を降りようとした時、私は振り返って彼女の方に視線を向けた。


『また、来てもいいですか』


『いいよ』


 他の人が見たら、彼女は無表情で適当に答えたと思うだろう。しかし私には、名も知らぬその人が少しだけ笑っているように見えた。


 これが、私と望月瑠花との出会いだった。


「授業、サボっちゃったね」


「たまにはいいです。それに、今は瑠花先輩の方が大切なので」


「ふふ。ありがと」


 その後、私たちの間に会話は無かったが、出会った時と同じように、その静かな時間は心地よかった。

 ただ、あの時と違うことがあるとすれば、瑠花先輩は私の隣に座っていて、私たちは手を繋いでいるということだろう。


 そして、あの時とは違い、彼女がよく笑うようになった。


 結局私たちはそのまま、一時間目の授業が終わるまで、この場所から動くことはなかった。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇

よければこちらの作品もよろしくお願いします。


『距離感がバグってる同居人はときどき訛る。』


https://kakuyomu.jp/works/16817330649668332327

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