先輩は甘えん坊
部屋に戻った私は、今度は着替えを持ってお風呂に向かおうと部屋を出る。
すると、ちょうど隣の部屋から出てきた愛華と目が合った。
「あれ、愛華もこれからお風呂?」
「…違う。飲み物取りに行くだけ」
愛華はそれだけ言うと、私の前を通り過ぎて階段を降りて行った。
相変わらず私にだけは冷たく接する彼女だが、そんな態度にもすっかり慣れてしまった。
それに、ちゃんと失恋したからなのか、あんな態度をとられてもあまり胸が痛まない。
気を取り直した私は、愛華とまた会わないように少しだけ時間をずらしてお風呂に向かうのであった。
翌日。私はいつもより少しだけ早く起きて、泊まりにいくために持っていく荷物の確認をする。
「えーっと。タオルとかは先輩が貸してくれるからいいとして、歯ブラシと下着と着替えは持った。あとは化粧水とかも持ったし、大丈夫かな」
万が一何か忘れていたとしても、瑠花先輩が貸してくれるので大丈夫だとは思うが、あまり迷惑はかけたくないのでしっかりと確認していく。
確認し終えた頃には家を出なければならない時間になっていたので、私は急いでカバンなどを持って学校へと向かった。
「おはよ」
「はよー」
教室についた私は、カバンなどを置きながら優香に声をかける。
彼女は少しだるそうにしながら返事をすると、私が持ってきた他の荷物に気づいた。
「その荷物どした?」
「今日バイトが終わったら、帰りにそのまま泊まりにいくことになったから、着替えとか入ったものだよ」
「ふーん。平日とか珍しいな。誰のとこ?」
「瑠花先輩の家」
「あぁ、あの人のところか」
瑠花先輩は、暇な時にたまに私の教室を訪ねてくるので、優香も彼女のことはよく知っている。
「でも、何で今日なんだ?明日も学校あるだろ」
ただ、これまで平日に人の家に泊まりにいくことは無かったので、優香も少し不思議に思ってるようだ。
「そうなんだけどね。瑠花先輩がどうしてもって言うし、いつもお世話になってるから断れなくて…」
「愛那はほんと押しに弱いよなぁ。最初は断れるのに、どうしてもって言われると頷くんだから」
「誰にでもってわけじゃないから大丈夫だよ。私が甘いのは、私にとって大切な人たちにだけだから」
「確かにそうだな」
優香は納得したのか、あくびをすると前を向いて眠ってしまった。
もうすぐ先生が来るというのに、短時間でも寝ようとする彼女は何ともマイペースだと思う。
話し相手がいなくなった私は、スマホをカバンから取り出すと、SNSを眺めながら先生が来るのを待った。
退屈な授業もようやく終わり帰り支度をしていると、教室の入り口によく知った人が立っていた。
その人は私のことを見つけると、いつもより楽しそうな雰囲気で近づいてくる。
「瑠花先輩、どうしたんですか?」
「愛那、一緒にバイト行こう」
彼女はそう言うと、人目を気にせず抱きついてくる。
瑠花先輩が私を見つけると抱きついてくるのはいつものことなので、私が特に何かを言うことはない。
「いいですよ。…あ、でもちょっと待ってください」
私はそこで一度言葉を切ると、優香の方に顔を向ける。
「優香も途中まで一緒に行く?」
「遠慮しとく。今日は瑠花先輩に譲るわ」
「いい心がけ。でも君は勘違いしてる。愛那は私のもの。いつもは私が貸してあげてるだけ」
「は?」
「ん?」
二人は仲が悪いのか、顔を合わせると必ずと言っていいほど喧嘩をする。
しかし、二人は身長が小柄なので、私からすると子猫のじゃれ合いにしか見えず、何とも微笑ましい気持ちになる。
このまま眺めているのも面白そうだが、そうするとバイトに遅刻してしまうので、私は二人に声をかける。
「はいはい。瑠花先輩、私は誰のものでもありませんよ?
優香、すぐに喧嘩腰にならないの。それじゃ先輩、そろそろ行かないと遅刻しそうなので行きましょう。優香も気をつけて帰ってね」
「わかった。行こう」
「あんがと。愛那も頑張れよ」
私はカバンを持つと、教室を出る前に優香の方を振り向き手を振る。
そして、瑠花先輩と一緒にバイト先に向かうのであった。
バイトが終わった後、私と瑠花先輩は腕を組んで彼女の家へと向かっていた。
「瑠花先輩。家に着いたらご飯を作ってあげますね」
「嬉しい。愛那のご飯は美味しいからすごく楽しみ」
「そう言ってもらえると、作り甲斐がありますね」
その後も瑠花先輩の家に着くまでの間、今日は何が食べたいか、学校はどうなのかなど話しながら歩いていると、あっという間に彼女の家に着いた。
「着いた」
瑠花先輩はそう言うと、明かりが全くついておらず、人がいる気配が感じられない家の中へと入っていく。
私も彼女の後に続き家に入ると、彼女の家に来たら必ずいつもしていることを今日もする。
「瑠花先輩、おかえりなさい」
私が声をかけると、瑠花先輩は私の方を振り向き思い切り抱きしめてくる。
「ただいま。愛那」
瑠花先輩の両親は彼女が小さい頃に離婚したらしく、今は父親と一緒に暮らしているらしい。
ただ、暮らしていると言っても家に帰ってくることはほとんどなく、良くて年に2回、少ない時は一度も帰ってこないらしい。
そのせいか、初めて会った時の瑠花先輩は何にも興味がなく、無気力にただただ呼吸する人形のようだった。
彼女の話し方に抑揚がなく、要点のみを簡潔に伝える感じになっているのは、小さい頃から一人でいることの方が多かったため、人と話すことが少なかったのが原因だ。
私はそんな瑠花先輩が可哀想だったので、彼女の家に来た時は料理を作ってあげるし、おかえりと声をかけるようにしている。
しばらくの間、玄関でお互いに抱きしめあった後、私は瑠花先輩に手を引かれて家の中を歩いていく。
「じゃあ、先輩。私はご飯を作るので、お風呂の方をお願いできますか?」
「わかった。任せて」
瑠花先輩は返事をすると、私が家に来たことがよほど嬉しいのか、珍しく鼻歌を歌いながらお風呂場の方へと向かっていった。
「よし、私も頑張りますかね」
気合いを入れた私は、さっそく冷蔵庫の前まで向かい扉を開けて中を確認する。
どうやら私が今日くるからと、瑠花先輩が事前に食材をいろいろ買っていてくれたようだ。
中を確認した私は、今日はとりあえず彼女の好きなオムライスとコンソメスープにして、あとは日持ちする物を何品か作り冷蔵庫に入れておくことにした。
作る物を決めると、必要な食材と道具を取り出して準備をしていく。
このキッチンはほとんど私しか使わないため、今では道具の置き場所なども私が決めてしまっている。
それからしばらくの間料理を作っていると、突然後ろから瑠花先輩に抱きしめられた。
「おっと。…先輩、料理中に抱きついたら危ないですよ?」
「ごめん。でも、愛那がいてくれるの嬉しいから」
「ふふ。そうですか?なら、あとで好きなだけ抱きしめてくれていいので、今は我慢してくれますか?」
「…わかった」
瑠花先輩も危ないことは分かっているのか、しぶしぶ私から体を離すと、捨てられた子猫のように寂しそうな雰囲気を醸し出してリビングの方へと向かっていった。
そんな姿を見て、私のことをここまで気に入ってくれているのが嬉しかったので、早く料理を作って彼女のもとへ向かってあげようと思うのであった。
「瑠花先輩、できましたよ」
「今行く」
できた料理をテーブルに並べながら彼女に声をかけると、先ほどとは違い軽い足取りでテーブルに近づいてきて席に座った。
私も残りの料理をテーブルに置くと、彼女の隣に座る。
瑠花先輩は私が座ったのを確認すると、いただきますと言ってからスプーンでオムライスを食べていく。
「ん。今日も美味しい」
「よかったです。…あ、口元にケチャップ着いてますよ」
「愛那、とって」
「わかりました」
私は言われた通り彼女の口元を拭くため、近くに置いてあるティッシュに手を伸ばす。
しかし、伸ばした手を横から瑠花先輩に掴まれてしまい、私はティッシュを取ることができなかった。
「先輩?」
「愛那。ティッシュじゃない。舐めて欲しい」
そう言って私のことを見つめる瑠花先輩の瞳には期待が込められており、それ以外は認めないと言っているかのようだった。
(まぁいいか。いつものことだし)
「わかりました」
私は伸ばしていた手を戻すと、彼女に顔を近づけていき、口元についたケチャップを舌先で舐めとる。
「取れましたよ」
「ふふ。ありがと」
瑠花先輩はよほど嬉しかったのか、その後は珍しくずっと笑顔で料理を食べてくれた。
その後、私が作った物を美味しそうに食べてくれる彼女を眺めながら、私も自身で作った物を口に運びつつ、最近あった面白かったことなどの話をするのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
よければこちらの作品もよろしくお願いします。
『距離感がバグってる同居人はときどき訛る。』
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