43.佐倉このみの告白

 小学生の騒ぐ声が響く教室。

 そこに座るふたりの女の子とひとりの男の子。三人はそれぞれ毛糸で結った紙を手に目を閉じて『おまじない』をしている。

 その中のひとり、佐倉このみは薄目を開けて片思いであった一条タケルを見つめた。


(一条君……)


 このみは知っていた。タケルが優花に気があると言うことを。



(一条君、やっぱり優花ちゃんを見ている……)


 小学生の男の子。特にこのみにとってタケルは分かりやすい男の子であった。このみは手に握った紙を見つめる。



(ごめんね、優花ちゃん。でも、私負けたくないの……)


 このみが握った紙に巻かれたピンクの毛糸。恋が成就する横結びとは逆の縦結び。これは成就の反対の意味であるを願うもの。このみが目を閉じ心の中で念じる。



(優花ちゃんが、優花ちゃんが、一条君のことをになりますように……)


 このみは必死に負のまじないを唱え続けた。






「優花が俺を嫌いになるまじないって、一体何なんだよ……??」


 優花が涙を流して走り去った後、このみが言った言葉にタケルが驚きながら聞き返した。このみは掴んでいたタケルの腕を放してから言う。



「一条君、小学校の時にやった『恋のおまじない』って覚えてる?」


 タケルが一瞬考える。無論覚えている。


「ああ、何となく……」


 このみは少し微笑んでから続ける。



「あれね、遊びじゃなかったんだよ」


「……」


 無言のタケル。無意識にこのみの次の言葉を待つ。



「優花ちゃんと一条君は一体何をお願いしたかは知らないけど、私はね。あのおまじないで願ったの。優花ちゃんが『一条君を嫌いになれ』って」


「な、なんでそんなことを!?」


 驚きで体が震えるタケルがこのみに聞き返す。



「だって、一条君って好きだったんでしょ? 優花ちゃんのことが」


「!!」


 タケルは驚いた。

 誰にも言わず心の奥深くにひっそりと隠して置いた自分の想いを、なぜこのみが知っているのか。タケルが動揺しながら言う。



「な、何言ってるんだ。あの時、俺は優花のことなんか……」



「うそ……」



「え?」


 笑みの消えたこのみがタケルに言う。



「ずっと分かってた。一条君が優花ちゃんのことを想っているって。言わなくても分かるよ、好きな人がどっちを向いているかなんて」


「このみ……」


 タケルはそう話すこのみを見て、もうすべて自分の心の中を見透かされているのだと何となく思った。野暮ったくガサツな自分などでは計り知れない繊細な女の子の心。決して越えられぬ何かをこのみに感じた。このみが言う。



「この間ね、柔道の試合の後優花ちゃんと一緒にお茶したんだ」


 黙って聞くタケル。


「そこで知っちゃったんだ。『優花ちゃんが一条君を嫌いになることがある』って」


「え?」


 タケルの心臓の鼓動が速くなる。



「私も半信半疑だったけど、すぐに思うことにしたよ。『私のまじないが効いたんだ』って」


「それって……」


 驚きで動けないタケルにこのみが尋ねる。



「一条君はさあ、優花ちゃんと一緒に居て感じたことない? 『自分を嫌う優花ちゃん』を?」



 ――黒目の優花


 タケルはすぐに思った。

 自分を嫌う桐島優花。黒い瞳をした桐島優花。あれはもしかしたらこのみが掛けたまじないの優花だったのだろうか。このみが言う。



「いるんだよね。そう、いるの。だから優花ちゃんは一条君を嫌いになるの」


「子供の、遊びじゃないのか……?」


 声にならない声を振り絞りタケルが言う。このみが首を左右に振って答える。



「子供の遊びじゃないんだよ。女の子にとって好きな男の子に見て貰うのは遊びじゃないの……」


「だ、だからって……」



「本気なの」


 このみは真剣な顔をしてタケルを見つめる。



「本気なの。だから一条君、私だけを見て。私だけの一条君になって」


 タケルは一気に頭になだれ込んでくる情報を的確に処理できなかった。驚きと困惑で頭が混乱しそうになる。

 それでもたったひとつのことだけははっきりしている。タケルがしっかりとした口調でこのみに言う。



「お前のまじないを解く方法は? どうすればいい?」


 一瞬の静寂。

 冷たい風がふたりの間を吹き抜ける。



「やだ……、解けないよ。そんなの……」


 暗くなりお互いの表情ははっきりとは分からないが、それでも声の色からこのみが涙ぐんでいるのは分かる。タケルが言う。



「そんなの、良くないよ……」


「だって、だって……」


 はっきりとわかるこのみの涙声。小さかったこのみの声が少しだけ大きくなった。



「だって、そうしなきゃ一条君、私のこと見てくれないでしょ!!!」



 桐島優花が好きだった。

 初恋の相手であり、憧れの相手。このみの言う通り優花をずっと見ており、それ以外の女の子には全く興味がなかった。だけど、



「だけどさ、だからってこんなのは良くない」


「一条君……?」


 弱々しい声。そんなこのみにタケルがそのを発する。



「そんな奴、俺はだ」



(え?)


 このみも緊張していた。

 初めてのキス。おまじないの話。大好きなタケル。

 内向的で恥ずかしがり屋のこのみが精一杯背伸びをして見た光景。それは決して楽しいだけのものじゃなかったが、それでもほんの少しだけ期待した。そんな無理して伸ばした頭を、まるでもぐら叩きのようにドンと殴られたような感覚となる。



「ううっ、うっ……」


 突然下を向き嗚咽し始めるこのみ。それを見て焦ったタケルが言う。



「こ、このみ!? どうしたんだよ??」


「うっ、うう……」


 それでも下を向いて涙を流すこのみ。タケルはそれをただじっと見つめる。このみが震えた声で言う。



「それ、だよ……」


「え?」


 震えた小さな声。タケルが聞き返す。



「なにが……?」


 このみが流れ出る涙を手で拭きながら答える。



「それなの。まじないを掛けた相手をちゃんと振る。それで解けるの……」


「じゃあ……」


 タケルの声にこのみが答える。



「うん、多分もうすぐ優花ちゃんは一条君のことを嫌いじゃなくなるはず……」


 良かった、と安心するタケルにこのみが言う。



「だからね、だから……」


 このみが再び涙を流してタケルの胸へと顔を埋める。



「だから私を嫌いにならないで。ごめんなさい、謝るから、私を……、嫌いにならないで……」


 そのままタケルの胸で泣き始めるこのみ。

 タケルはそこにじっと立ったまま動けなかった。抱きしめるとか頭を撫でるとか、何もせずとにかくじっとそこにただただ立つしかできなかった。






(優花、優花、とにかく話をしなきゃ!!)


 泣いていたこのみが落ち着き、最後まで謝りながら帰るのを見送ってからタケルはすぐに優花に電話した。



(繋がらない……)


 電話をしようがメッセージを送ろうが反応はない。既読にすらないない状況に現状の深刻さが分かる。


(とにかく会って、話を、優花と……)


 タケルは走ってやって来た優花の家の前で、暗闇に光る部屋の明かりを見つめながらひとり携帯を握り締めた。

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