42.このみの攻勢

 12月下旬に差し掛かった寒い日。

 翌日に開盛大学での公開練習を控えたその日、タケルはなぜか朝から胸騒ぎというか、嫌な予感がしてならなかった。とりあえずいつも通りに大学が終わり、水色優花と一緒に帰宅する。



「でね、でね……」


『まじない状態』の優花は相変わらずタケルに優しい。いや優しいと言うか恥ずかしがることなく『好き』と言う感情を全面に出してくる。

 日も短くなり、夕方だけど薄暗くなった駅前から同じ方角へ並んで歩くふたり。饒舌に話す優花を横に感じながらタケルが思う。



(最近、黒目の優花の露出が減って来ている気がするな……)


 それはつまりずっとタケルに好意を持ってくれている優花が出ているということ。しかし彼女は『まじない状態』。そんな不安定な状態がずっと続くはずもない。



「タケル君、聞いてる?」


「え?」


 タケルは優花の声でふと我に返った。優花が言う。



「あー、もしかして聞いていなかったとか?」


「え、聞いてたよ……」


 聞いていたはず。タケルは自分にそう言い聞かせた。優花が言う。



「ま、いいや。じゃあ、また明日!!」


 優花はそう言って手を振り、自分の家の方へと歩いて行く。


「ああ、また、明日……」


 タケルも小さく手を上げ優花と別れた。



(寒い……)


 暗い路地、吹きつける北風。タケルは急いで自宅へと向かった。





(あれ?)


 自宅がすぐ近くに迫った時、彼の目にひとりの女性の姿が映った。



(誰? ……このみ?)


 薄暗くても分かる特徴的な赤みがかったツインテール。少し離れた場所からでもそれが小学校の同級生である佐倉このみであることはすぐに分かった。



「一条君……」


 このみはタケルに気付くと先に声をかけて出て来た。

 赤をベースとしたロリータドレスに同系色のケープコート。赤い彼女のツインテールがそれによく似合う。タケルが驚いて言う。



「このみ? どうしたの?」


 このみは恥ずかしそうな顔をしてタケルに言う。


「うん、一条君に会いたくなって……」


「あ、ああ、そうか……」


 なぜか一瞬タケルの心が身構えた。このみが言う。



「今日優花ちゃんと一緒じゃないんだね」


「え、ああ、今日は来ない……」



(今日『は』? え、それって……)


「いつも優花ちゃんが一緒にいて、一条君の家に入って……、私、すごく悔しかったんだよ……」


 その言葉を聞いた瞬間、タケルの頭の疑念は確信に変わった。



 ――このみはずっと俺を見ている


 ミャオの世話やコスプレで、ほとんど一緒に帰宅してタケルの家に通っていた優花。特に最近は水色優花ばかりだったので一緒にいることが多かった。タケルがこのみに言う。



「それで何か用だったのか?」


「うん……、一条君は私の彼氏、だよね」


 少し驚いた顔をしてタケルが言う。



「いや、だから俺は優花と付き合っていて、それはお前らが勝手に……」



「私はずっと好きだったんだよ」



 このみはそう言って一歩、タケルに近付く。


「このみ……?」


 タケルはいつもと様子が違うこのみに戸惑う。このみが更にタケルに近付き言う。



「一条君も、私のこと、好きでしょ?」


「お、おい……」


 既にタケルの目の前までやって来たこのみ。近くに来て初めて分かる彼女の赤い顔。服や髪の色と同じく頬が真っ赤に染まっている。このみがタケルを見上げるようにして言う。



「ずっと好きで、優花ちゃんに負けたくなくて、でも会えなくて……、だけどね、今は違うの……」


「こ、このみ……?」


 動くたびに香水だろうか、甘い香りがタケルの鼻腔をくすぐる。



「え?」


 このみがつま先立ちになり、両手をタケルの首へ回して甘い声で言った。



「私だけを見て……」



「んんっ!?」


 このみは目を閉じそのままタケルの唇へ自分のそれを重ねた。



(ちょ、ちょ、ちょっと、このみ!? なに、ええっ!? 何が一体!?)


 あまりに予想だにしなかった展開にタケルの体は震え、そして手足が冷たくなる。



「んん……」


 その一方で顔だけは興奮のせいか火照り、体からは冬なのに汗が滲み出る。

 柔らかい唇。甘い香り。一瞬我を忘れそうになったタケルだが、すぐにこのみを離して言う。



「な、何やってるんだよ!」


 タケルに両腕を掴まれた形になったこのみが真っ赤な顔をして答える。



「一条君とのキス……、私、彼女でしょ? ならそんなのは当然……」


 催眠にでもかかっているかのようなこのみ。話していても正直まともな会話が成り立たない感覚に陥る。



「このみ、お前、落ち着いて……」


 混乱し掛かったのはタケルも同様。そしてその混乱にさらに拍車をかける声が掛った。



「タケル……君……」



(えっ!?)


 タケルは自分の背後から聞こえたその愛くるしい声を耳にして思わず体が固まる。このみが少し体を傾けて、その人物を見て微笑む。タケルが恐る恐る振り返ってその人物を見て言った。



「優花……」



 それはさっきまで一緒にいた桐島優花。

 買い物を終え別れたはずの彼女がそこに青い顔をして立っていた。タケルが震えた声で言う。



「優花、なんで……、ここに……?」


 体の力が抜けたのだろうか、優花はひと呼吸おいてから小さな声で答える。



「ミャオちゃんに会いたくなって、戻って来て……、私、いけなかったの……?」


 暗くて顔ははっきりと見えないがその声は涙声。一歩、二歩と優花の方に歩きながらタケルが言う。



「違うんだ、これは違うんだ、優花……」


 タケルの頭は既に混乱を極めており、もはや感情のみが彼を動かしていた。



「やだ、やだ……」


 優花がゆっくりと後ずさりし始める。そして彼女の目にはにっこり微笑むこのみの顔が映る。



「優花……」


 なおも歩みを進めるタケル。優花が言う。



「やだ、来ないでっ!!」


 それと同時に背を向けて走り出す優花。



「優花、待てっ……、!?」


 それを追い掛けようとしたタケル。しかしすぐに自分の腕に強い力がかかるのを感じる。



「このみ!? は、放せよっ!!」


 このみがすぐ後ろに来てタケルの腕をしっかりと掴んでいる。



「放さない」


「放せって、あれじゃあ……」


 タケルの目に走り去る優花の姿が映る。このみが言う。



「優花ちゃんはね、優花ちゃんは……」


 腕をつかむこのみの手に更に力が入る。



「あなたのことは愛せないの」


(え?)


 タケルの体から力が抜け、振り返ってこのみを見つめる。



「愛せないって、どう言う意味だよ……?」


 このみが自嘲にも似た笑みを浮かべてタケルに言う。



「掛けたの、おまじないを……」


「おまじない?」


 このみが笑って言う。



「そう、掛けたの。優花ちゃんにね、一条君をになるおまじないを」


 タケルはこのみが話す言葉の意味がしばらくできなかった。

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