38.小さな楔
「一条君、じゃあね」
「あ、ああ……」
三学期の終業式が終わり教室に戻って来たタケルたち。先生の話も意味を成さないままその耳に入り抜けて行く。
(終わっちゃうんだ、五年生……)
タケルは目に映る隣の桐島優花の細い手を見て思った。
午前中で小学校は終わり、あいさつした後下校となる。タケルは少しだけ笑いながら教室を去る優花の赤いランドセルを見つめる。
(また会える。六年もきっと同じクラスになるはず……)
そんなタケルの頭に声が響く。
『同じになんかならないよ』
(え?)
『同じになんかならない。優花は中学も私立に行き、ずっと会えなくな……』
(誰っ? 誰だよっ!!)
(誰……、夢、見ていたのか……?)
タケルは自室のベッドの上で目が覚める。
(涙……)
目に涙が溜まっている。また小学生の頃の夢を見たようだ。
タケルは目に溜まった涙を手で拭き取り、そのまま天井を見ながら自身に問いかける。
(俺はちゃんと優花に気持ちを伝えられているか。ちゃんと隣に立つ男として頑張っているか。また怖くて逃げ出そうとしていないか?)
片思いだった優花。
いつでも会えると思っていた優花。
でも自信がなく、怖くて逃げ出した自分。
大人になり忘れかけていた初恋の相手。
(もう逃げたくない。もう一度きちんと想いを伝えよう)
タケルはベッドから起き上がり大学へ行く支度をした。
(一条からのメール……)
翌朝、スマホを確認した優花がタケルから届いていたメールを見て考え込んだ。
『一緒に大学行こう。駅前で待っている』
初めてであろうタケルから誘うメール。しかし黒目の優花はそれを素直には喜べない。
(無視はできない。断ったら『もうひとりの私』が悲しむ……)
優花は了承する旨の無難な返事をタケルに送った。
「よお、おはよ。優花」
駅前にはタケルが先に来ていた。
冬の朝の駅前。コートやダウンジャケットを着た学生やサラリーマンが忙しそうに行き交う。吐く息も白く、朝の冷たい空気に皆寒そうにしている。
「おはよ、一条」
タケルはそれが黒目の優花だと分かり気持ちを新たにする。
(この優花に、本当の彼女にきちんと想いを伝えなきゃ)
「さ、行こうか」
「うん」
ふたりはぎこちない笑顔のまま電車に乗る。
(……会話がない)
黒目の優花とはまだ距離を感じながらも少しは仲良くなれたと思っていたタケル。しかし無言と言う壁が改めて今の状況を感じさせる。
「寒いね」
「うん……」
駅を降り大学へ向かうふたり。とても付き合っていると言えるような雰囲気ではない。優花が思う。
(どうしてもっと話をしないの? あんなに昨日会いたいと思っていたんでしょ?)
家庭では自分の居場所を失いつつある優花。
タケルに会って、話を聞いて貰って、また頭を撫でて貰いたい。そんな気持ちを持つ一方で、それを押さえつける何かが邪魔をする。会話が続かないふたり。タケルが言った。
「優花、改めてなんだけど、俺、お前が好きだ」
(え?)
いきなりの言葉に驚く優花。
嬉しい、嬉しいはずなのに、なぜ喜ぼうとしない?
「あ、ありがとう……」
とりあえず思いつく感謝の言葉を口にした。
しかしそれは黒目の優花の中にある何かに小さな楔を打ち込んだ。
お昼休み。久しぶりに中島と理子と一緒に昼食をとると約束したタケルが、優花と一緒に学食へ向かう。
「一条君!!」
タケルの姿を見つけた中島が声を出す。タケルは優花に向けられる男子学生の強い視線を感じながら歩く。ミスコングランプリの優花。普通にしていても目立つ。
「おう、中島。待たせたな」
「いいよ、足はもう大丈夫なの?」
「ああ」
「一条先輩、お疲れです!」
中島と座っていた理子がにっこりと笑って言う。ボブカットに赤いメガネ。童顔なのにぴたりと体ついた服が彼女の胸の大きさを強調する。タケルが座りながら答える。
「ああ、理子ちゃん。元気そうで」
「はい、元気にしてました」
タケルは何故か理子の視線がいつもと違うような気がすることに気付く。理子が言う。
「温泉旅行はどうでした?」
タケルと優花が一緒に行っていたのは知っている。優花が答える。
「色々大変だったよ~、ね、タケル君」
水色優花。『まじない状態』だが付き合っている以上、皆にとってはこれが一番自然な形である。
「本当だよ。柔道部の合宿が一緒になったりして、もうマジで疲れたよ……」
「ほんとよね~、彼女の私をずっと放って置いて」
優花がちょっとむっとした顔で言う。
「いや、仕方ないだろ。五里先輩、強引だし」
「ゴリ先輩?」
中島が不思議そうな顔をする。
「ゴリじゃない。五里だ」
「ゴリでしょ?」
「いや違うって、ゴリだって」
「どうでもいいわよ、そんな話」
優花が呆れた顔で言う。
「それより先輩は、足はもう大丈夫なんですか?」
理子がタケルの足を覗き込むような形で尋ねる。タケルが答える。
「ああ、大丈夫。柔道部の合宿にも耐えられるぐらいだから。それより優花も足をくじいちゃってね」
そう言って優花を見るタケル。
「うん、雪道でくじいちゃって。もうほとんど私も治ったけどね」
「そうですか。おふたりとも気を付けてくださいね」
理子が少し笑って言う。タケルが答える。
「ああ、そうだな」
理子が言う。
「ほんとにまたアヒルの時みたいに無理しないでくださいよ」
「ああ、そうだぁ……、うぐっ!?」
そう返事しかけたタケルの太腿を隣に座った優花がつねる。
(痛てててて、何すんだよ! 優花)
タケルがそう思って優花を横目で見ると彼女が何を言いたそうな顔を見ている。理子が言う。
「アヒルの件、『そうだ』なんだ~、へえ~」
(がっ!?)
タケルはすっかり忘れていた。理子がアヒル探しをしていたことを。中島が言う。
「な、なに言ってるの、理子ちゃん。一条君がアヒルな訳が……」
「あなたは黙ってて」
「はい……」
もはや理子に対して手も足も出ない中島。以前付き合っていたとは誰も思えない。優花が言う。
「そうよ、理子ちゃん。タケル君はそんなことしないわよ」
理子はテーブルに両肘をつき頭を乗せ、黙り込んでいるタケルを見つめながら尋ねる。
「一条先輩は~、柔道がお得意なんですよね~」
(私は無視なの!?)
優花は内心むっとする。タケルが答える。
「いや、得意じゃないって。柔道部に入れられたけど、弱いって有名だし」
少なくとも五里にはそう思われている。理子が言う。
「ふーん、まあいいです。そのうちきっとアヒルさんの正体掴んで見せますから」
「あ、ああ、頑張ってね……」
タケルも苦笑いしながらそれに応える。中島が言う。
「さ、さあ、早くお昼食べようか。冷めちゃうよ」
そう言ってまだ誰も食べようとしない昼食を目にして言う。
「おう、いただきます!!」
そう言ってお昼のカレーを食べ始めるタケル。優花はそんなタケルと理子を見ながら思った。
(なんかまたライバル増えちゃいそうなんだけど……)
柔道をやらせると眩しいぐらいの光を放つタケル。
そんな彼に女子だけでなく男子すら惹きつけていた小学生時代。それは大人になって尚一層輝きを増しているようにすら感じると優花はひとり思った。
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