第五章「告白と告白と、告白」

37.あなたのミャオになりたい。

「優花、足は大丈夫か?」


 温泉旅行が終わりいつもの日常へ戻って来たタケルたち。大学の帰り道、足を痛めた優花にタケルが尋ねる。



「うん、まだ少し痛むけど大丈夫。ありがとう、一条……」


 相手は黒目の優花。タケルは気を遣いながら会話を続ける。


「しかしあいつら一体何だったんだろうな」


「そうだね……」


 突然現れたチンピラ。なぜ襲われたのか理由は分からない。



「偶然だったのかな?」


「うん……」


 優花が小さな声で答える。

 彼女自身、あのチンピラ襲撃は半分寝ていたのであまり覚えていない。気がついたらみんな倒れていた後だった。それよりもメッセージだけ送って沈黙を続ける結城の方が不気味であった。



「それでな……」


 タケルは優花と歩きながら話し続ける。優花が思う。



(そう言えばまだお礼、言ってなかったな……)


 神社の帰り道、タケルに負ぶって貰ったこと。

 チンピラに絡まれたのを助けてくれたこと。

 何ひとつお礼を言っていなかった。でも感謝の気持ちを押さえつける何かが自分の中にある。頭では理解している。お礼を言わなきゃいけないこと、そしてもうひとつ伝えたい言葉。



 ――すごくカッコ良かったよ


 優花が心の中で叫ぶ。



(出て来て、もうひとりの私っ!!!)



「でさ、五里先輩がさ……」


 優花に一生懸命話すタケル。そのタケルの腕に優花が思い切りしがみ付いた。



「タケル君っ!!!!」


「うわっ、優花!?」


 タケルの腕にしがみ付く優花。すぐにその目の色が水色だと気付いた。優花が言う。



「タケル君、ありがとね!! 負ぶってくれて!!」



「あ、ああ。いいよ、そんなの」


 改めてお礼を言われると照れるタケル。水色優花に変わったのかとタケルが思う。優花がタケルを見つめて言う。



「あとね~」


「なに?」


 タケルも見つめ返して言う。



「カッコ良かったよ」



「え、あ、ああ。ありがと……」


 これもまた照れる。優花が腕をぎゅっと強く抱きしめて言う。



「私、嬉しいんだ」


 タケルもそれを聞きながら歩く。


「憧れのタケル君と一緒にこうして歩けることが」


「うん……」


 黒目の優花にもいつかそう言って欲しいなあとタケルは返事をしながら思った。





「ただいまー」

「お邪魔しまーす」


 タケルと優花は一緒に一条家へと帰って来た。優花はもちろんミャオの世話。タケルの父重蔵がほとんどすべてやってしまう猫の世話だが、時間がある時は優花もタケルと一緒にやって来て面倒を見る。



(嬉しいなあ、優花とこうして一緒にいられることが)


 下心もあって頼み込んだ猫の預かり。

 今となっては父がほとんど面倒を見てはいるが、こうして優花もちゃんと家に来てくれる。



「タケル、帰ったか。ちょっと道場へ来い」


 そこへ現れる父重蔵。


「あ、お父さん。お邪魔しています!」


 すぐに頭を下げて挨拶をする優花。



「おお、これは優花ちゃん。よく来たね。ゆっくりして行きなさい」


「はい!」


 優花も満面の笑みでそれに応える。タケルが言う。



「な、何だよ、親父。稽古は猫の世話が終わってからにしてくれよな」


「いいから来い」


 重蔵がそう言ってタケルを無理やり道場へ連れて行く。優花が言う。



「じゃあ私はミャオちゃんの世話でもしようかな~」


 そう言って家の中を探し始めた。





「で、何だよ。一体……」


 道場の真ん中で正座するタケル。その前に父親も座る。ピンと張りつめた空気。タケルは決していい話じゃないなと直感する。重蔵が言う。



「温泉合宿ではきちんと鍛錬をして来たのか」


 重蔵には優花に誘われた旅行ではなく、柔道部の合宿と伝えてある。


「あ、ああ。ずっとしごかれたぜ」


 これは事実。タケルも胸を張って答える。重蔵がタケルの顔を見ながら言う。



「私闘で柔道を使ってはいないよな?」


 一瞬驚くタケル。

 雪道、優花を背負っていた時に絡まれたチンピラ達を投げ飛ばしてきた。無言になるタケル。重蔵が言う。



「どうした。返事をしなさい」


(親父が、親父が知っているはずはないんだが……)


 タケルが答える。



はしていない」



 しばらくの沈黙。

 あれはタケルの私闘ではない。柔道部とチンピラの争い。実際先に始めたのは柔道部の人達。タケルは自分にそう言い聞かせた。重蔵が言う。



「腑に落ちん言い方だな。お前の顔を見ているとまるでそれがいい訳のような……」


 そこまで言い掛けた時、タケルの目に重蔵の後ろのドアからを抱いた優花の姿が映る。そして優花はすぐにミャオを道場に放った。



「ミャ~オ」


「お前はそもそも……」


 そこまで言ってから重蔵の口が止まる。



「お前は、その、みゃお、ん? なんだっけ……」



(ナイス、優花!!)


 タケルが心の中でガッツポーズをする。



「ミャ~オ」


「おお、ミャオちゃん。どうちたのでちゅか~? お腹ちゅいたんでちゅか~? さあ、行こうね~」


 重蔵がすり寄って来たミャオ抱きあげるとそのまま道場を出て行った。タケルが道場に来た優花に言う。



「ありがと、優花。助かったよ!」


「いえいえ。お父さんには悪いことしちゃったかな?」


「いいんだよ、あんなの」


「ふふっ、そうね」


 優花も重蔵の嬉しそうな顔を見て頷く。



「じゃあ、タケル君の部屋に行こうか」


「俺の部屋?」


 タケルが聞き返す。優花がタケルを覗き込むような姿勢になって言う。



「ミャオちゃん、取られちゃったでしょ? だからまた『ミャオちゃんごっこ』やろ」


「ミャオちゃん、ごっこ……」


 タケルの頭に自分が猫にさせられた恥ずかしい記憶が蘇る。



「いや、あれはもう……」


 優花がタケルの口に人差し指を置いて言う。



「違うよ」


「何が?」


 優花がタケルの耳元で囁くように言う。



「今度はがミャオになるよ。可愛がってね」


「え?」


 優花は驚きで固まるタケルの腕をとり少し笑いながら彼の部屋へと向かった。






「ただいま……」


 優花はタケルの家で散々『ミャオごっこ』を楽しんだ後、ひとり自宅へ帰った。玄関に入るや否や現れる母親。その顔は不安の色で一杯だ。



(ああ、また何か嫌なことがあるんだ……)


 その顔を見て優花が思う。


「優花、お父さんが居間で待ってるわ……」


 優花はそれに無言で頷くと靴を脱ぎ家へと上がる。



「なに? お父さん」


 居間に入る優花。廊下と違って暖かいむわっとした空気が優花を包む。父親が言う。



「ここに座りなさい」


 そう言って自分の前のソファーを指差す。



「……」


 無言で座る優花。一刻も早く自分の部屋に行きたかった。父親が言う。



「温泉旅行、お前、確か女の友達と一緒に行ったって言ってたよな」


「……そうよ」


 優花の心臓の鼓動が速くなる。


「レン君から連絡があってな、旅行当日の朝、お前が男と腕を組んで電車に乗る姿を見たらしいんだ」



「!!」


 優花はぐっと歯を食いしばった。あの男がまたつまらないことを告げ口している。優花は全身に悪寒が走った。



「どうなんだ? 男と行ったのか!!」


 優花が睨むように父親を見て言う。


「行ってないわ。女友達って言ったでしょ」


「じゃあ、レン君が嘘をついているというのか!」


 自分の娘よりあの男を信じるのかと優花は諦めにも似た感情が沸き起こる。



「これ見てよ」


 優花はスマホを取り出すと一枚の写真を父親に見せた。



「旅館で朝まで友達と喋っていた写真。これ見てもまだ疑うの?」


 それは雫やこのみと一緒に女子会をした時の写真。化粧の映り具合など試したりして撮った写真である。それをじっと見ていた父親がふうとため息をついて言う。



「まあいい。それよりも結城さんのところから今度、お前に食事に来て欲しいという話がある。近いうちに段取りをするから行って来なさい」



「は? 何それ?」


 優花が驚いた顔で言う。旅行の話はもう終わりなのかと自分の親ながら腹立たしくなる。



「部屋に戻るわ」


 そう言って達がある優花に父親が言う。


「必ず行きなさい。いいな!」


 優花はそれに応えようともせずに居間を出て行った。





「う、ううっ……、うう……」


 優花は自分の部屋に入ると、すぐに布団をかぶってむせび泣いた。



(本当にミャオに、タケル君のミャオになってずっと可愛がってもらいたい……)


 優花は先程まで優しく頭を撫でてくれたタケルの手の感触を思い出して、また涙を流した。

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