31.不安、そして安心

「美味しいです、お母さん!!」


 その日の夜、一条家に泊まることになった優花がタケルたちと一緒に夕飯を食べながら言った。食卓にはタケルに優花、父重蔵に母親、そして緊張の面持ちで座る兄の慎太郎がいる。



「まあ、優花ちゃん。嬉しいわ。優花ちゃんが作ってくれたから揚げもすごく美味しいわよ!」


「そんなことないです~、お母さん、お料理ほんと上手でびっくりしました!!」


 既に仲の良い嫁と姑のような関係になっているふたり。タケルも苦笑いしながらその様子を見つめる。優花が慎太郎に言う。



「お味はいかがですか、お兄さん?」


「えっ? あ、ああ、おおお、美味しいよ……」


 真面目で柔道一筋、見た目も優しい好青年の慎太郎が答える。女っけなど皆無の兄。いきなり現れたS級美少女に戸惑いながらご飯を食べている。



(ぷっ、兄貴、なに照れてんだよ)


 タケルはいつもと様子が違ってガチガチになった兄の慎太郎を見て内心笑う。



「タケルっ!!」


「はい!」


 そんなタケルを見て父の重蔵が声を上げる。



「何を薄気味悪い表情を浮かべているんだ!! 食事ぐらいシャキッとせいっ!!!」


 タケルは父に怒鳴られしゅんとしてご飯を食べる。それを見た優花が重蔵に言う。



「あの、ごめんなさい。お父さん。私が変なことを聞いてばっかりに……」


 美少女優花の申し訳なさそうな顔に重蔵が驚いて答える。



「あ、いや、そんなことはないぞ。優花ちゃん、気にしなくていい。たくさん食べなさい!」


「お父さん、お優しいんですね!」


 そう言う優花にデレデレの顔になる重蔵。不満そうな顔をするタケル。その重蔵に更に追撃がかかる。



「ミャ~オ」



「ぬっ!? ミャオちゃん!?」


 重蔵は夕飯の匂いにつられてやってきたミャオに気付くと、椅子から降りて床に顔をつけながらミャオに言う。



「ミャオちゃん、お腹空いたのかな~?」


「ミャ~オ」


「うん、よちよち。今すぐご飯あげるからね~、さ、行こ」


 そう言ってミャオを抱き上げるとエサのある方へと歩いて行った。



「なにが『シャキッとしろ』だよ。なんだ、あのだらしない顔は」


 タケルがぶつぶつ文句言いながらご飯を食べる。母親が言う。


「放って置けばいいのよ。猫についてはいつもああでしょ?」


「面白いお父さんですね!」


 優花が笑って言う。



「けっ、『伝説の柔道家』が聞いて呆れるよ」


 そう言って食事をするタケル。優花が耳元に寄り小声でタケルに言った。



「……『消えた天才柔道家』のちゃ~ん、怒っちゃだめですよ~」



(ぐはっ!)


 先程まで優花としていたコスプレごっこ。

 色っぽくて超可愛いナース姿の優花に、猫にさせられて骨抜きにされたタケル。それは先ほどの重蔵よりよっぽど恥ずかしい姿である。



「……はい」


 優花のささやきで一瞬にして大人しくなったタケル。そんな彼を母親と慎太郎はくすくすと笑いながら見つめた。






「お、おやすみ。一条……」


「あ、ああ。おやすみ……」


 食事、そして風呂が終わると優花は黒い目となった。それまでタケルにデレていた優花が一変し、少し気まずい雰囲気となる。優花が言う。



「きょ、今日だけだからね。ここに泊まるの」


「ああ、分かってる。よく寝ろよ。じゃあ」


 そう言って手を上げて自分の部屋に戻るタケル。優花は何かを言おうとしたが声にならなかった。




(……どうしてお礼が言えなかったの?)


 客間に敷かれた布団にもぐりながら優花が思う。

 急に飛び出して来てかくまって貰って、たくさん迷惑をかけた。それでもタケルは文句ひとつ言わずに受け入れてくれた。家族もみんな優しい。



(今日のお礼を言うことぐらい当たり前じゃないの!!)


 お礼に行く、そうお礼だけ。

 優花は布団から出て客間のふすまを開け、暗い廊下を歩きタケルの部屋へと向かう。




(優花が同じ屋根の下にいる……)


 タケルはタケルでそんなことを考えて目が冴えてしまい、まったく眠れる気がしなかった。先ほどこの部屋でしたナースのコスプレ。思い出しただけでもよだれが出てくる。



(優花、可愛いよな……、俺の彼女、なんだよな……)


 未だ実感の沸かない優花と言う彼女。


(そう、実感が沸かないならまた思い切り彼女を抱きしめて……)



 コンコン……


 そう思った時、タケルはドアをノックする小さな音に気付いた。



(え?)


 すぐにゆっくりと開けられる部屋のドア。

 そして可愛らしいピンクのジャージを着た優花が姿を現わす。



「一条、ごめんね。今日のお礼を言うの忘れていて……」


 優花はタケルの部屋に入ると恥ずかしそうに下を向いて言った。

 窓から差す月明かりに浮かぶ優花。その目の色は見えないが雰囲気でどちらの優花なのかは分かる。タケルが起き上がって言う。



「い、いいよ。そんなの。彼氏だろ、俺?」


「……うん」


 優花が部屋の中に入り床に座る。そして小さな声でタケルに言った。



「ちょっと、話をしてもいい?」


「え? あ、ああ。いいよ……」


 緊張するタケル。しかしすぐに言った。



「寒いだろ? こっちおいで」


 そう言ってタケルは自分の布団へと呼ぶ。顔を上げてそれを見つめる優花。すぐにタケルがその意味に気付いて言う。



「い、いや、別に変な意味じゃないから!! さ、寒いと思ってだな……」


 優花は無言のまま立ち上がると、ベッドに座っているタケルの元へ行き隣へ座る。



「ゆ、優花……?」


 少し微笑みながら優花は座り、タケルと一緒に布団をかける。



「暖かい……」


 綺麗な横顔だった。

 月の明かりに照らされ青白く輝く優花。

 まるで妖精とか天使とか、そう言った尊いものに見えた。



「前にさ……」


 布団をかぶり下を向いたまま優花が言う。



「前にさ、私『別人格』があるって話したよね」


「うん」


 確か水色の目の優花から聞いた。今の優花は素の優花。黒目の優花である。



「その話をした私と、今の私は違うの……」


「そうか」


 少し間を置いてから優花は顔を上げタケルを見つめる。



「驚かないの?」


「俺を誰だと思ってる?」


「……彼氏」


「正解」


 優花は少し驚いた顔をしてから笑って言う。



「知ってたんだね、ずっと」


「なんとなく」


 それでもまだお互いに『まじない』と言う言葉ワードは出ない。優花が言う。



「怖いの。不安になるというか。良く分からなくて……」


 寒いのか、それとも怖いのか。

 優花は小さな体を震わせて言う。



「何かがなくなっちゃいそうで……」


 タケルは隣に座る優花をぎゅっと抱きしめる。



「……?」


 顔を上げた優花の目に涙がこぼれる。少しだけ見つめ合う瞳。ふたりが目を閉じた。



「ん……、んん……」


 タケルが優しく優花の唇に自分の唇を重ねる。

 涙を流した優花の目、それが水色だったと言うことはこの後すぐに気が付いた。

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