#37 大塩平八郎?

「死にゲー? なんだいそれは」


 疑わしげに半笑いを浮かべる彼に、フェリーツェは気遣いながら、確実に要点を押さえて説明した。女社長らしく堂々と足を組み、効果的な身ぶり手ぶりを交えつつ。彼の半笑いは瞬く間に消えていった。


「フランツ。あなたは知らないかもしれないけれど、小説を読む人はもういないの。本をつくっても利益は出せず、赤字になることも珍しくないわ。専業の小説家がこの国にどれだけいるか知ってる? ほとんどは兼業作家よ。1年に1、2冊本を出してもお小遣い程度の収入がやっと。小説はいまや商品としての価値を失いつつあるのよ」

「まさか……」

「それが現実よ。技術革新はほぼ皆無。流通も旧態依然としていて、いまだにファックスと電話に頼っているというわ。わたしは文学のことはわからないけど、マーケットがどうなっているか少しだけ調べてみたの。知ってる? あなたの書くような純文学の場合、初版で普通3,000部程度しか出せないのよ。印税が10%、1冊300コルナとしたら、いくらもらえるかわかる?」

「ええと、50万コルナくらい?」

「10万コルナよ」

「え。10万ぽっちじゃ生活できない……」

「そうよ。だから専業では無理って言ったでしょ。独身でかなりつつましく暮らすとしても、年に4冊は本を出さないと生きていけないわね」

「4冊なんて無理だ! 何百枚も書いて反故にすることだってざらなんだよ。書けない時期もしょっちゅうある。1、2年で1冊が限界だよ」

「1、2年で50万コルナ。兼業収入としては悪くないかもしれないわね。少なくともブログや動画収入で稼ぐよりはコスパがいいわ。だけどそれで生活はできないし、結婚するのならなおさらよ。きっとわたしが生活費の大半を出すことになる。あなたはわたしのヒモになるつもりなの?」

「ヒモだなんて! そんなの考えたこともなかったよ」

「本当? じゃあ、何を考えていたの?」

「いやあ……」

「あなたが考えてなかったこと、もう少し教えてあげようかしら? 1、2年で50万コルナというのさえも、実は甘い見通しなのよ。デビューして数年もすれば、収入はゼロになるわ」

「なんで!? ひどいよ! どうなってるんだい小説業界は!」

「だって小説を書きたい人なんていくらでもいるでしょう? 次々新人が出てくるし、そのたびに出版社は彼らに “文学賞受賞作家” というお定まりの熨斗のしをつけて売り出そうとする。金太郎飴みたいに。そうなると当然、供給過剰になるわよね。それぞれの小説家ごとにブランディングの仕方を変えればそれぞれのニッチ市場がつくれるけど、そんな有能な人材が出版業界にいるわけないわ。だからたいていの小説家は単行本を1冊出したら消えてしまう。そして数ヶ月もすればまた別の “驚異の新人” が現れ、やがて消える。馬鹿げてると思わない? 文学賞という認証シールを貼ること以外に何もブランディング戦略がないのよ。はっきり言ってビジネスとして終わってるわ」

「そんなの考えたこともなかった」

「文学賞なんかに憧れてないで、早く見切りをつけるべきなのよ。死にゲーの方がまだビジネスとして有望だわ」

「まだその気になったわけじゃないけど……。その、“死にゲー” というのは僕にもつくれるものなのかい?」

「ええ。小説家の能力は、むしろ死にゲーをつくるのに向いてると思うの。ごまかしの通用しない職人仕事だから。一昔前は死にゲーが1本でもヒットすると一生食べていけるほど稼げたと言うわ。今はもっと競争が激しくなっているけど、それでもまだまだ可能性を秘めた市場よ。小説離れした人たちをうまく取り込めば、死にゲーの市場規模はこれから何倍にも成長する」

「そんなにうまくいくものかなあ。そういう賑やかな世界はどうもね。文芸誌みたいな静謐な場でこそ、読者はきちんと作品を鑑賞してくれると思うんだけど」

「文芸誌なんて出版社の慈善事業よ。文学が高尚なものだと思われていた時代の遺物。やがて廃刊になっていくと思うわ。あなたも薄々気づいてるでしょう? それが現実よ」

「確かに、文芸誌を読む人なんてブロートの他に会ったことない……。でも、競争の激しいところで勝負するのはどうもね」

「だからわたしがいるのよ」

「君がプロモーションしてくれるのかい?」

「それだけじゃない。わたしもあなたの死にゲーづくりを手伝うわ」

「いや、それはだめだよ! 人と一緒につくるなんて無理だ」

「無理じゃないわ」

「ずっとひとりで小説を書いてきたんだ。今さらやり方は変えられないよ。第一、君の仕事はどうするんだい。スーパーを経営しながら死にゲーをつくるなんて。過労で倒れてしまう」

「わたしを舐めてもらっては困るわ。わたしはこれまでだって、仕事の合間になんとか時間をつくってあなたとつきあってきたのよ。どんなにへとへとの時だってね。あなたはとっくにわたしの生活の一部になっているの。ねえ、わたしたちが一緒に何かをつくるのって、わくわくしない? お互いに助け合わないと夫婦になる意味がないって、さっきわたし言ったわよね」

「うん。たしか……」

「夫婦で死にゲーをつくるなんて素晴らしいことじゃない!」

「でも、やっぱり僕はひとりじゃないとものをつくれないんだ。小説家ってそういう生きものなんだよ。人と何かをつくれるのなら、バンドを組んで青春を謳歌してたよ。それができないから小説家になったんだ」

「大丈夫よ。基本的にはこれまで通り、あなたひとりで作業すればいい。ただ、システム面はわたしに任せてもらえないかしら」

「システム面? なんだいそれは」 

「小説でいう文体みたいなものよ」

「じゃあ、けっきょく小説と同じってこと?」

「小説は小説、死にゲーは死にゲーよ」

「よくわからないな。死にゲーなんて僕みたいな古い人間にはさっぱりだ。そこは君にお願いするしかないね」

「OK。じゃあ早速だけど、死にゲー向きのストーリーはあるかしら?」

「何が死にゲーに向いているかなんてわからないよ。それに、小説で大事なのはストーリーじゃなくて文体だ。文体のために小説家は命を削ってるんだよ」

「フランツ。あなたはマーケティング調査を少しでもやったことがあるかしら? 読者が本当に文体なんて求めていると思う? 作家が文体に凝れば凝るほど小説は読みにくくなって、読者は離れていくのよ」

「だって、読みにくいからこその小説じゃないか! ベケット! プルースト! 大江健三郎! すらすら読める小説なんて、小説として何の価値もないよ。読者にとって何の意外性もない文章だから、すらすら読めるんだ」

「みんな疲れてるのよ。仕事でへとへとになって家に帰ってきて、ややこしい小説なんて読みたいと思わないわ。その……大塩平八郎?」

「大江健三郎! 万延元年のフットボールというひどく読みにくい作品があってね。彼の最高傑作なんだけど、読んでみるかい?」

「結構よ。わたしは今、仕事でへとへとなの。お酒も入ってるし、すぐ眠くなっちゃうわ。ねえフランツ、わざわざ読みにくい小説を書いて消費者がお金を出して買ってくれるとどうして思えるの? 今は映画を倍速で観るような時代なのに」

「嘆かわしい。嘆かわしいよ! 作り手たちが何年も費やしやっとの思いで完成させた作品を倍速で観るなんて。それは作品への冒涜だ。“”というものがわかってないのか? 監督も脚本家も役者たちも、間の取り方に文字通り命をかけているんだよ? それを倍速で観るなんて。そんなの、ショートケーキのイチゴだけ食べてショートケーキを食べた気になっているようなものじゃないか」

「そのたとえはよくわからないけど、時代にはあらがえないわ」

「もうこんな狂った世界で生きるのはうんざりだ! ショートケーキの食べ方も知らない奴らを相手にして仕事をするなんて、僕にはできないよ」

「彼らが求めてるのはストーリーよ。消費者がイチゴを求めるならイチゴを提供する。メロンを求めるならメロンを提供する。消費者のニーズに応えるのはビジネスの基本だわ」

「そんなにストーリーが大事だったらギリシア悲劇を読めばいいんだ。すべてのストーリーの源泉は古典にあるんだよ」

「ギリシア悲劇がベストセラーになったなんて聞いたことある?」

「ギリシア悲劇がベストセラーにならないこの世間がおかしいんだ! それこそ悲劇だよ。いや、喜劇かな? ベストセラー作家どもは人々の無知につけ込んで、何千年も使い古されてきたストーリーをさも自分がつくり出したかのようにでっちあげるんだ。そして大衆どもは古典の劣化コピーを大傑作だとありがたがる。これぞクリエイティビティの正体さ。まさに喜劇だよ!」

「フランツ、落ち着いて」

「はあはあ……。すまない。小説のことになると興奮してしまって」

「ねえ、このあいだ公園で、泣いてる女の子に出会ったわよね」

「ああ、それが?」

「お人形をなくして泣いてたあの子に、あなたは優しく声をかけてなだめたわ。そしてこう言ったの。お人形は旅に出たんだよ、明日またここに来てくれないか? 僕がお人形からの手紙を届けてあげるから。あの子にはまだお手紙してるの?」

「いや。親から苦情がきてね。今時、小さな子に話しかけただけで犯罪者扱いなんだよ。まったく、時代はどんどん悪くなっていくばかりだ」

「あの手紙のつづきを書けばいいわ」

「だめだ。また苦情がくるよ」

「あの子にために書くんじゃない。死にゲーのためよ。あの手紙が死にゲーのストーリーにふさわしいと思うわ」

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