#31 もう何もかも遅いんスよ

 無限段ジャンプの実現によりほぼチート化したとはいえ、プラハまでの道のりでは決して楽なものではなかった。パリではマリー・アントワネットの幽霊と戦い、画面上を飛び交う無数のギロチンに接触してフェっちゃんたちは幾度も惨殺された。ドイツでのヒトラー暗殺作戦では街のあちこちに潜むゲシュタポに見つかり、収容所に送られガス室で毒殺された。そのたびにノルマは一から書き直しとなり、くずかごは原稿用紙であふれかえった。フェっちゃんの死を書いていて楽しいわけがない。しかし死にゲーとはそういうものだ。


 コバヤシは毎日来てくれた。友だちのいない私にとって彼は貴重な話し相手であり、ドアを開けるたびに顔面を強打されるのもちょっとした楽しみになっていた。一発お見舞いするかわりにケーキをおみやげに買ってきてくれたことがあったが、物足りなくて、帰り際にいつもの奴を一発お願いしたくらいだ。さすがのコバヤシもドン引きしていたっけ。それでもフェっちゃんがいなくなった今、私にはコバヤシに殴られることが、この世界とのささやかなつながりのように思えてしかたなかった。


 そんな日々がずっとつづけばいい。しかしそんなわけにもいかない。早くフェっちゃんがこの死にゲーをクリアして戻ってこなくては、コバヤシのチーフが殺されてしまう。リミットはあと3日だったっけ? 4日だったっけ?


「今日抜かしてあと2日っス」


 こんな日々もあと2日で終わり。私の新しい生活様式。せっかく慣れてきたのに。フェっちゃんとの日々も、コバヤシとも日々も。どうして楽しい日々は永遠にならないのだろう。


「カフカさん、本気でやってるっスか?」

「しょうがないんですよ。死にゲーをクリアするってどういうことなのか、ピンとこないんです。私は小説家ですから」

「カフカさんにピンとくることってなんかあるんスか?」

「小説以外のことはぜんぶピンときません。いや、むしろ小説こそもっともピンとこないのです。だからこそ私は小説を書くのではないでしょうか? ピンとくるためにではありません。小説に対してますますピンとこなくなるためにです」

「そういうアフォリズムはカフカさんの汚い八つ折判ノートの中にしまっといてほしいっス」

「え、私のノート見たんですか?」

「チーフが前にカフカさんの部屋を物色したとき見つけたっス。キモいだけで情報量ゼロのクソノートだって言ってたっス」

「全集の第38巻に収録予定なのです」

「今日のノルマ読ませてもらったっス。この小説、本当にあと2回で終わるんスか? やっとプラハ入りしたのに、まだヘルマンが出てこないっス」

「ヘルマンは物理攻撃はしてこないと思うんです。だって商人ですからね。精力的な人物です。貧乏からたった一代でのし上がったんですよ。商売商売の日々で、小説なんてタイムコンシューミングなものを読むヒマはない。小説を読む時間があるなら新書を読みなさい。良質な自己啓発書と抜け目ないビジネス書を読みなさい。日経と日経ビジネスをサブスクして隅から隅まで舐め尽くすのです。競合他社を出し抜きターゲットセグメントで主導権を握るには、あなたには休息の時間などないのです。ポモドーロ法における25分の作業のあとの5分の休憩の他にはね」

「5分の休憩時間をつかまえて一発ぶち込めば終わりじゃねっスカ?」

「ヘルマンは嫌なやつです。少なくとも私にとっては。それでも、簡単に殺すわけにはいかない」

「父殺しは大人になるための通過儀礼っス。カフカさん、いつまでとっちゃんぼうやのつもりなんスカ。たいがいにしないと読者の共感を得られねえっスよ。ジブンも家を出るときはオヤジの顔面に一発お見舞いしてやったっス。胸がスカってするっスよ」

「やっぱり、そもそもの設定がおかしいんですよ。父殺しは私も大事だと思いますよ。でも、だったらフェっちゃんじゃなくて私がプラハに行かないといけないと思うんです。フェっちゃんにとってヘルマンはただの善良なビジネスパースンです。マリー・アントワネットやヒトラーを殺すのとはわけがちがいます」

「あんたがヘルマンとか言い出したんスよ」

「じゃあ、事故死ってのはどうです? フェっちゃんがヘルマンの家にご厄介になる。まあ、ヘルマンは成金ですから、お客様用の部屋のひとつやふたつあるでしょう。鬼キュートなフェっちゃんが女の子用ピストルを振り回されればヘルマンだって嫌とは言わないはずです。それで一宿一飯ホームステイの恩を、ホストの事故死でお返しするわけです」

「じゃあそのセンで書いてください。わかってるっスカ? あと2回しかねえっスよ。新聞の連載小説ならもう大団円を迎えて、 “明日に向かってダッシュ!” みたいな作者の痛いポエムが掲載されてるころっスよ」

「だいじょうぶじゃないですか? え、だってまだ2回あるんですよ? 次の1回でヘルマンが登場して、最後の1回でヘルマンを殺して終わりですよ」

「そんな雑なプロットで小説って書けるんスカ? ポエムはどうするんスカ?」

「それは単行本になるときに新たに書き下ろせばいいんじゃないですかねえ。だいたい、詩人でもないのに小説家がポエムに手を出してもろくなことにならないものです。詩の根源に触れたこともないのに、《中心の炉》を覗いたこともないのに、それっぽい言葉を分かち書きにしただけでポエムになると思ったら大間違いです。ポエミーなんて語は存在しないのですよ。ボリューミーなんて語が存在しないようにね。小説はむしろポエムなしです。ストーリーが終わったら小説もいさぎよく終わるのです。その後、主人公たちが明日に向かってダッシュするのか、崖に向かってダッシュするのか、私にはどうでもいいことです。後日談を書くことが読者サービスだと思いこんでいるヘボ小説家が多すぎる!」

「カフカさん、小説へのこだわりはこの際、窓の外に捨てちまった方がいいんじゃねえっスカ。大事なのはお嬢に帰ってきてもらうことっス。今は後日談の方がずっと大事なんスよ」

「でも、私は後日談なんて書いたことないし……」

「これまでの小説はどうだったっスカ。後日談なしで、キャラクターたちはどういうことになったんスカ」

「それは知らないです。私は完成させた小説に興味がないので。読み返したこともありません」

「やっぱりポエムはいるっスね。次の1回でヘルマンが登場して、即ブチ殺すっス。そして最後の1回でポエムっス。明日へ向かってダッシュっス。お嬢がダッシュして帰ってくるという後日談っス」

「それは無理な展開ですね。経験上、無理な展開には大きな代償が伴います。代償を避けようとすればご都合主義という誹りが避けられず、作品は炎上する業火の中で残酷な死を迎えるでしょう」

「代償ってなんスカ」

「誰かが死ぬとか」

「死にゲーなんだから今さら誰が死んでもかまわねっスよ」

「悪を封印するための依り代として地下で永遠に縛りつけられることもあります。穢れを受け止めすぎて体中に触手が生えてもけなげににっこりほほえむというパターンもあります。実は主人公は地球に残された最強兵器のロボットだったという衝撃の事実が明らかになるかもしれません。つまり、死にゲーってだいたいハッピーエンドにならないものなのですよ。ダークな世界観なのです。それはフェっちゃんに教えてもらいました。荒廃した世界でひとつの悪を倒したとしても、それで何もかもがよくなるわけではありません。花火が打ち上がり、花が舞い、兵隊たちのパレードを子どもや犬猫がどこまでも追いかけ、美しい娘たちが噴水の周りでくるくる踊り、別れた恋人たちが再会して熱い熱いキッスをする、なんてのを期待しちゃいけません。ポエムだって “明日に向かってダッシュ!” みたいなのじゃなくて、喜んでいいんだかどうだか微妙なものになると思います。 “俺たちに明日はない。あの伏線、いつ回収しようかな…” とか」

「それはもうしかたないっス。どっちにしてもずっと微妙な展開でここまで来てるんスから。ジブンだって毛ほども期待してねえっス。それでも、カフカさんもいい年した大人なんだから、死にゲーをきちんとクリアするっスよ。言い訳なんてもう聞きたくねえっス。明日のノルマでヘルマンを倒してなかったらジブンがカフカさんを倒すっス。顔面に一発お見舞いとかじゃなくて、土手っ腹に風穴開けてやるっスから。覚えておくっスよ」

「あの、今夜泊まっていきませんか?」

「ジブンもそう言おうと思ってたところっス。カフカさんひとりに任せてるとフデマカセになってまたフデマが暴落するっス」

「お酒飲みながらたくさんアイデア出してくださいね。いけるクチですか?」

「ふだんなら仕事とプライベートは分ける派っスけど、お嬢のいない今、それはどうでもいいことっス。お相伴にあずかるっス」

「いやあ、今夜は楽しくなりそうだなあ」

「楽しくなるわけねえじゃねえっスカ。覚悟しててください。ジブン、酔うとキレるタチなんで。リアルに死にゲー体験する覚悟はできてるっスカ? できてねえっスよね? でもお嬢のためだからしかたねえっス」

「あ、やっぱり私ひとりじゃないと小説書けないんで、また今度にしませんか?」

「もう遅いっス。カフカさん、もう何もかも遅いんスよ」

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