#28 西洋ナシとは西洋ナシのことである




 翌日、コバヤシは昼前にやってきた。あのジャガイモフェイスをまたサングラスにマフラーで隠している。水曜夜のコバヤシではなく別のコバヤシではないだろうか?


 モニターの前で躊躇していると例の怒濤のスタンピングが始まったので、私は慌てて玄関に小走りで向かった。ドアを開けるとコバヤシにまた顔面をグーで強打され、私は玄関で尻餅をついた。


「大丈夫っスか。ちゃんと受け身取って下さいよ」


 私の脳の周りをバックスバニーとロードランナーとトゥイーティーが仲良くおっかけっこした。ぴよぴよぴよぴよ。あいさつ代わりの一発のお見舞いがくせになりそうだ。私はコバヤシが差し出した手をつかみ、よろめきながら体を起こした。


「カフカさん、ちょっと顔貸してくれるっスか」

「もう一発ですか。ドンと来て下さい。ぴよぴよするの、そんなに嫌いじゃないですよ」

「何言ってるっスか。一緒にインドに来て欲しいっス」

「え、ギリシアじゃなくて?」

「何言ってるっスか。インドでボスが待ってるっス。さ、早く」


 私はその日のノルマの原稿用紙を茶封筒に入れて脇に挟み、ふたりでコバヤシの車に向かった。「ちょっと待って下さい」とコバヤシは言って、助手席に置いてあったヌンチャクとエキスパンダーを後部座席に放り投げ、床に落ちているパイナップルを拾い集めるとトランクを開け、福島県産西洋ナシの段ボールに詰め込んだ。ここでいうパイナップルとは手榴弾のことであり、西洋ナシとは西洋ナシのことである。


「さ、いいっスよ。乗ってください」

「お願いします」


 人に車に乗せてもらうと、私は借りてきた猫になる。猫の貸し借りなんてするものか、と思われるかもしれないが、猫に実用性があった時代はそんなやりとりもあったのだ。猫が日がな一日香箱をつくって過ごすようになったのは「ネコイラズをたくさん入荷したからお前たちはもうネコイラズだ」と船員たちに宣告されてからの話だという。


 しかし私にはかつての猫並の実用性さえない。免許なんて夢のまた夢。うっかり地図を渡されナビを頼まれたりしたら気絶でもするしかない。なんの役にも立てないのならせめて面白い話でもできないものか。できないんだろうねえ、小説家だっていうから期待してたのにさ……。数多の運転手たちからため息つかれた記憶がよみがえり、私はますます借りてきた猫になった。


「カフカさん、ちょっといいスカ」

「にゃあ、すみません。お役に立てませんで」

「何言ってるっスカ。ここ、ジブンが通ってた小学校だったんスよ」

「へえ」

「お嬢もここに通うはずだったんス」

「ランドセル姿のフェっちゃん……!」

「鼻息荒くてキモいっス。カフカさん、お嬢もちゃんと小学生をやった方が良いと思わないっスカ?」

「思います。私もそう思ってました」

「案外楽しいと思うんスよ。お嬢の性格だから、なかなか友だちできなくて苦労すると思うっス。それでも、ひとりくらいはできるんじゃないスカね。だって根は素直でいい子っスから。ピストル捨てて、普通の女の子になればいいっス」

「そしたら、私のこと忘れちゃいますかね?」

「そうかもしんないっスね。でも、そうなったらカフカさんもお嬢のこと忘れるんじゃないスか? カフカさん、普通の女子小学生に興味あるっスカ?」

「フェっちゃん以外は眼中にありません」

「話伝わってるっスカ? お嬢は普通の小学生になるんスよ?」

「それでもフェっちゃんはフェっちゃんです」

「ともかく、お嬢が戻ってきたら今の話してみてほしいっス」

「殺されないですかね?」

「案外、自分から言い出すかもしれないっスよ」

「そうですかね?」

「ジブンも、もしチーフに許してもらえたら足洗って田舎に戻るつもりっス」

「ジャガイモ農家になるのですか?」

「カフェやるつもりっス。ドリンクバー充実、ビーンバッグ全30種類、各スペースにはアロマキャンドルとウェットティッシュと足つぼマッサージ器完備、デザイナーズチェアは先着3名様限り、ビジネスパースンたちの集うコラボレーションとソリューションの館っス」

「Wi-Fiも使えるのですか?」

「そこは考えどころっス。ジブンはネットが嫌いだし、それにこれからのビジネスチャンスはむしろオフラインにあるんじゃないかとジブンはにらんでるっス。へたにネットにつながると世界を相手に闘わないとならねっスからね」

「ネットは広大ですからね」

「そういうことっス。あ、インドに着きましたよ」


 ベニヤ板に青ペンキで「インド」。まごうことなきインドだ。

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