#27 お茶菓子に関して私は保守中道なのだ
「ふたりともギリシアにいるはずっス。飛んでイスタンブール、見事に100点満点で歌いきったっスからね」
「あ、私、自分が何書いたか覚えてないんです。よく書けてるときほど書いたこと忘れちゃうんです」
「筆がすべって、ふたりともザンビアあたりに飛ばされてるんじゃないっスカ?」
「え、まさか」
「今日のノルマ持ってきてください。コタツの上、片付けとくっスから」
二畳の書斎に行き、まだ画板に画鋲で留められたままの10枚の原稿用紙を外した。パラパラめくってみると、確かに「フェっちゃん」という言葉がいくつも出てくる。まずい。書いちゃってる。
居間に戻るとコバヤシが布巾でコタツの天板を拭いてくれていた。
「あ、すみません。今、お茶入れますね」
私はキッチンに行ってお湯が沸かした。心を落ち着けるときはお茶を入れるのだ。自分が何を書いたのか早く確かめたい気持ちよりも、なるべく読むのを先送りしたい気持ちの方が強かった。お茶菓子はルマンドとホワイトロリータ。お茶菓子に関して私は保守中道なのだ。
コタツでくつろぐコバヤシは、よく見たらとても素朴な顔つきだった。坊主で、目が小さく鼻が丸い。田舎の高校生然としている。普段のもこもこの下にこんなジャガイモフェイスが隠れているなんて思いもしなかった。
「どうして今日はもこもこしていないんですか?」
「今日は仕事でなくてプライベートで来たっス。でも、こんなことした以上、ジブンは消されるっスね」
「チーフさんの命令に背いてるからですか?」
「そういうことっス。チーフからはカフカさんに近づくなって言われてるっスから。コバヤシ失格っス」
「なんとかならないでしょうか。フェっちゃんを見つけることができたらぜんぶチャラにならないですかねえ?」
「無理っスね。でもジブンは後悔してないっス。お嬢のためならジブンの命なんてくれてやるっス。さあ、小説読ませてください。お嬢の行方はそこに書いてるっス」
私はコタツに両手をつっこんで、コバヤシが読み終わるのを待った。静かな部屋に、時折コバヤシが原稿用紙をめくる鋭い音だけが響いた。自分の作品を声を出して読まれているようないたたまれなさを感じて私はコタツを抜け出し、窓際の水槽の中を覗き込んだ。フカフカは砂の中に潜り込み、オフィーリアのように顔だけ出して眠っていた。私とそっくりなわたしの顔。フカフカを見下ろしていると、自分が水槽の中で眠っている気分になる。水槽の中で眠る私を覗き込む私は誰なのだろう? 自分の身体を見失った幽体離脱者のように、私の意識は寄る辺なく空間と空間のはざまを(あるいは時間の消失した時間を?)漂っていた。
「読み終わったっスよ」
コバヤシに声をかけられて私の幽体はひゅんっと身体に戻った。慣れない身体をよちよち足で運び、腰を下ろしてコタツに足を差し入れた。
「結論から言うっス。お嬢はやっぱりギリシアで戦ってるっス」
「危ない目に遭ってないですか?」
「お嬢、強すぎっス。お人形と2人プレイなんで、ガンガン先に進んでるっス。このままだと次のノルマでギリシアはクリアじゃないっスかね。ジブン、ゲームやらないんでよくわからねっスけど」
「もしかして斬馬刀使ってないですか?」
「ピストルっスよ」
「よかった。フェっちゃん、斬馬刀使いたがってたから」
「カフカさん、これからどうするつもりスカ」
「いやあ。私も参戦した方がいいですかね」
「そしたら誰が小説書くんスカ」
「あ、そうか」
「お嬢とお人形のコンビは最強っス。手をつないだままふたり交互に二段ジャンプすれば、ジャンプ回数がキャンセルされて無限にジャンプができるんス。羽が生えて飛んでるのと同じっスよ。地上の敵は頭上から狙い撃ちできるし、空中に逃げた敵はどこまでも追い詰められるっス。まさにチートっス。この分ならギリシアのボスのゼウス相手でも楽勝っスよ」
「鬼キュートですね」
「このあとの展開はどうなってるっスカ?」
「え、それは知りません。風任せ、筆任せですから。ずっとそんな風に書いてきました」
「もともとのストーリーだと、お嬢はプラハでお人形と再会してハッピーエンドだったはずっス」
「あ」
「忘れてたっスね?」
「小説書いてるとよくあることなんです」
「まさか尻切れトンボになって未完で終わるってことはないっスよね?」
「いやあ。でも、そういうことも結構ありますよ。まあ、プロになってからは意地でもつじつまつけて終わらすようにしてますけど……」
「どうやってつじつまつける気っスカ」
「それは――。あ、そうだ。プラハになんかあるんですよ」
「なんかってなんスカ」
「なんかすごく邪悪なもの……。フェっちゃんたちがいるこの修羅の世界は、もともとはとても平和な世界でした。レッドアリーマーたちも森でハチミツを舐めたり花の蜜を吸ったりして暮らしていました。ところが、そのプラハの憎いあンちくしょうが怪物たちをけしかけて、みんなを凶暴にしてしまったのです」
「なんスカ、プラハの憎いあンちくしょうって」
「ヘルマンという商人です。詳しいことは明日のノルマで書きます。たぶん」
「強いんスカそいつ」
「最強の敵です。私のこれまでの道行きはヘルマンとの闘争でありヘルマンからの逃走だったと言ってもいい」
「そんな敵にお嬢は勝てるっスカ」
「それは、私とフェっちゃんの絆しだいです。ふたりの愛の力があれば、ヘルマンにもきっと勝てる」
「ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとカフカさん、調子に乗んのもたいがいにして欲しいっスよ。一線越えてるっス。マジモンのペドフィルでドン引きっス」
「いや、ここでいう愛というのは性愛のことではなくてもっと形而上学的なものでして親和力って言った方がいいのかなあ」
「もういいっス。わかったっス。聞かなかったことにするっス。カフカさん、もしお嬢が苦戦するようだったら、ジブンを書いてください。ジブンもカフカさんの小説の中でお嬢をサポートするっスから」
「ああ、そういうやり方もアリですね」
「バリアリっス。愛とか親和力とかは腹の中にしまっといてほしいっス。それならジブンもうるさいこと言わないっスよ」
「やっぱり水曜夜のコバヤシさんはやさしい」
「ペドフィル野郎にも生きる権利くらいはあるっスから。じゃ、ジブンはもう帰るっス。キムチ鍋の汁ごっちゃんっした。明日の夜また来るっス。焦ってください、カフカさん。あと1週間しかねえっスよ」
「え、何のことですか?」
「あと1週間でお嬢がこの死にゲーをクリアして帰ってこないと、チーフがボスに始末されるっス」
「ああ……。でも、私はチーフさんのことよく知らないし」
「チーフが始末されたらジブンがカフカさんを始末するっス」
「がんばります、次のノルマ楽しみに待っててください」
お土産に、ぜんぜん手をつけてなかったルマンドとホワイトロリータを持たせてあげた。
「ごっちゃんっス。ジブン、これ好きなんス」
「ほらほら遠慮しないでたくさん持ってってください。ほら、こっちのポッケにもルマンド3個入れときますよ」
「カフカさん、田舎のばあちゃんみたいっスね」
私はコバヤシと友だちになれた気がして、うっとなった。
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