#26 いい年してとんだネンネだ

 コバヤシが居間でコタツに入っていたので私も向かい合って座った。ふたりのあいだにはキムチ鍋があり、野菜はあらかた食べ終わっていたが真っ赤な汁の中に肉がまだだいぶ残っていた。


「食事中でしたか。すんません。お嬢がいないとここの様子がわからないもんで」

「いえいえ。コバヤシさんもキムチ鍋食べますか?」

「汁だけいただくっス」

「お肉もまだ残ってますよ」

「ジブン、汁が好きなんス」


 大きめのマグカップにキムチ鍋の汁をついでやると、コバヤシは一気に飲み干した。だいぶ辛くしていたせいか、コバヤシは軽くしゃっくりした。


「それで、重大な話とはなんですか?」

「まだキムチ鍋残ってるっスよ。食べて下さい」

「では、適当に食べながらお話をうかがいます」

「お嬢がいなくなりました」

「コバヤシさんも行方を知らないんですか?」

「どうぞ、キムチ鍋食べて下さい」

「あ、はい」


 私は残っている肉を取り皿にどんどん入れたが、ぜんぜん無くならなかった。いつもなら肉はぜんぶフェっちゃんに食べられてしまうので、適量がうまく把握できていなかった。


「ジブンは火曜朝担当のコバヤシに詳しい状況を訊きました。お嬢が消えたのは火曜の午前中でしたから。でも、話がかみ合わないんス。火曜朝は水曜夜とシフトチェンジしたじゃないかって。水曜夜担当のコバヤシはジブンっス。でもジブンはそんな話聞いてないから、チーフのコバヤシに確認しました。そしたら、お嬢から連絡が行ってたはずだって。お嬢からは一言も無かったんス」


 肉が多すぎてだんだん気持ち悪くなってきた。しかしまだたっぷり残っている。いっぺんに入れなければよかった。


「火曜朝担当のコバヤシがワクチン打ちに行くんでチーフにシフトチェンジ願いを出してたんス。でもジブンはそんなのお嬢から聞いてないから、昨日の午前はお嬢にコバヤシが誰もついてなかったんス。電話で引き継ぎすればよかったんスよ。そうすれば火曜の早朝に月曜夜担当のコバヤシからジブンに引き継ぎの連絡が来たはずっスから。でも、今はぜんぶネットなんスね」

「ネットは広大ですからね」

「そうなんス。ネットってキリが無いじゃないスカ。どんどん数珠つなぎにデータが更新されてって、気づいたら新しくなってるじゃないスカ。ブロックチェーンとかGitHubとか言うんスカ? 電話にすればいいのに。ジブン、電話の方が好きなんで」

「フェっちゃんと盗聴器でよくお話してましたね」

「まだ肉残ってるっス。どうぞキムチ鍋食べててください」

「あ、はい」

「お嬢がいないことに気づいたのは火曜昼担当のコバヤシでした。それでコバヤシ部隊全体に緊急通知があって、やっとジブンも気づいたんス。つっても、何も手がかりが無い以上コバヤシ全員が動いても意味ないんで、まずはチーフがカフカさんのところに向かったんス」

「え? でも昨日は誰も来ませんでしたよ」

「正面から来るわけないじゃないスカ。なんだったらカフカさんが犯人でお嬢を監禁してるかもしれないんだし。気づかれないように潜入して部屋の中を物色したんス」

「あれ? そういえばベッドの中に知らない人がいたような……。あれ? あれえ?」

「キムチ鍋、まだ残ってるっス。どうぞ食べて下さい」

「あ、はい」

「お前のせいじゃないってチーフは言ってくれました。シフトチェンジの連絡、お嬢に任せないで直接伝えるべきだったって。これまでもお嬢はそういう連絡をきちんとやってくれてたから、今回も大丈夫だろうと思ってしまったんだって。だけどネットのシフト表を確認してなかったジブンが悪いんス」


 何か慰めの言葉をかけた方がいいかと思ったが、口いっぱいに肉を頬張っていたから何も言えなかった。ドンマイという言葉が脳裏に浮かんだ。しかしそれは声になることもなく、肉とともに私の喉の奥へと消えていった。ドンマイ……。


「いずれにしても、もう誰が悪いとかじゃないんス。ボスは、3日以内にお嬢が見つからなければコバヤシ部隊を解体してチーフを始末するって言ってるっス。しかたないっス。ジブンらもプロっスから、そこんところは覚悟してるっス。でもジブンはチーフのことすごく尊敬してるし、親みたいに思ってるし、なんとかしたいっス。それに、お嬢のことは娘のように思ってるんで、絶対にジブンが見つけたいっス」

「ちょっと待って下さい。今あなた、娘って言いました?」

「どうぞ、キムチ鍋残ってるっス」

「いえ、ちょっと待って下さい。フェっちゃんは私とパパさんでシェアしてるんです。私たちの娘です。あなたの娘ではありません」

「でもお嬢は下位互換のパパはいらないって言ってたって、金曜昼のコバヤシから聞いたっス」

「キムチ鍋おいしいです」

「どうぞ、どんどん食べて下さい」

「おいしいおいしい辛くておいしい」

「チーフはカフカさんに手を引いてもらいたいと思ってるんス」

「キムチ鍋から?」

「お嬢からっス。カフカさん脳ヤバすぎっス」

「どんどんなじってください」

「ジブンはお嬢とカフカさんのこと、すごくいいと思ってるっス。お嬢、前より明るくなりました。でもチーフはカフカさんのこと嫌ってるんスよ。ペドフィルだし、脳がヤバいし。このマンションの家賃だって自分で払えるわけない、きっとまだ親から仕送りもらってるんだろう、いい年してとんだネンネだって」

「いや、ここ家賃安いんですよ。事故物件ですから」

「ネンネはチーフの言葉っス。ジブンはカフカさんのこと嫌いじゃないっス」

「でも、さっきグーで殴りましたよね」

「あいさつ代わりに一発お見舞いしたっス」

「あの、チーフさんはこの部屋で何してたんでしょう? フェっちゃんの手がかりを探してたんですかね」

「たぶん証拠隠滅じゃないスカ。お嬢の持ち物ぜんぶこの部屋から持ち出して、お嬢がいた証拠を消してたんス」

「なんで?」

「お嬢はギャングの娘っスからね。カフカさんがお嬢を探すために警察を呼んだらまずいっス。お嬢の存在がバレるっスから。ギャングは証拠隠滅が基本って、ジブン、チーフから教わりました」

「水曜夜担当のコバヤシさん。あなたはチーフさんを尊敬してるんですよね? それなのに、チーフさんの知らないところでこんな風に動いてていいんですか?」

「キムチ鍋、食べてください」

「もう食べ終わりました。げっぷ」

「汁のおかわりください」

「どうぞどうぞ」


 マグカップについだキムチ汁をコバヤシは一息に飲み干し、軽くしゃっくりした。


「すんません。ジブン、ふだんはチーフやお嬢としか話さないから、しゃべるの慣れてないんス」

「でも、とても話しやすいですよ? 親近感の湧く話し方です」

「ごっちゃんっス」

「フェっちゃん、どこに行ったんでしょうねえ」

「何も手がかりが無いんス。チーフも言ってたっスけど、お嬢はさらわれたんじゃなくて、お嬢自身の意思でどこかに行ったんじゃねえスかね。だからシフトチェンジのこと、わざとジブンに伝えなかったんじゃないかって」

「誘拐ではなく失踪ということですか」

「チーフは、もうカフカさんには近づかない方がいいってジブンらに言ってるっス。カフカさんの部屋には何も手がかりがないし、カフカさんに自白剤を使ったけどろくな情報が得られなかったって」

「自白剤?」

「この部屋にチーフが潜入したときに飲ませたみたいっス。安心してください。副反応の弱い奴っスから」

「そういえばさっきからおなかの調子が……」

「ただの胃もたれっス。副反応は胃じゃなくて脳にくるんス」

「そういえばさっきから脳の調子が……」

「安心してください。カフカさんはとっくに脳がヤバいっスから」

「でも、自白剤が意味なかったのなら、なぜ水曜夜のコバヤシさんは私のところに来たのですか?」

「カフカさんの小説を読ませてもらいに来たんス」

「あ、ファンの方ですか。よかったらサインもしますよ。握手はいかがですか?」

「カフカさん。ジブンらコバヤシ部隊は、こうやって人と口を聞いてはいけないんス。話していいのはお嬢とボスだけ。ギャングは証拠を残さないのが基本スから。誰かにうっかり話したことが証拠になって、お嬢を危険にさらすことだってありえるんス。だからジブンがこうしてカフカさんと話すのは本当は許されないんス。チーフに怒られるっス。でもしかたないんス。お嬢の手がかりはカフカさんの小説だけっスから。チーフは小説を読まない人だから気づいてないんス。小説がギリシアにつながってるって」

「ギリシア?」

「お嬢は今、お人形と一緒にギリシアにいるはずっス」

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