#23 ノイラート先輩の脳のヤバさは私の比ではない

 フェっちゃんはフェリーツェを連れて「日本観光」に出かけた。人にフェリーツェを見せるとまずいので、自分と同じようにもこもこにさせるのを忘れなかった。「日本観光」そうか、ここも日本なのか。私は長い長い年月をかけて日本旅行をしているのかもしれない。いまだにこの国にはなじめないが、旅行はそのなじめなさを楽しむものだ。私もあとで「日本観光」に出かけようかしら?


 その前にノルマノルマ。私は仕事机に座り、引き出しから昨日書いた小説を取り出した。読み返してみたが、フェリーツェはやはりまだイスタンブールにいる。スナックのカラオケで「飛んでイスタンブール」を歌い95点以上取らないと先に進めないのにまだ90点前後でうろうろしてるのだ。しかしそれならなぜフェリーツェは日本にもいるのだろう? キャラが分裂しているのか。小説を書いているとよくあることだ。作者の思考がもっさりしていればキャラは平気で時空を越える。こんな風につじつまが合わなくなるとキーワードをちょいちょい書き換えてどうにかするのが私のセコい常套手段だ。今回は「イスタンブール」を「日本」に書き換えてしまえばいい。


 しかし、このあいだまでプラハ目指して中東辺りをさまよっていたのに、なんでいきなり極東に飛んでしまうのか。伏線もなしに「飛んで日本」ではストーリー上いろいろまずいことになりそうだ。ならば伏線をつくればいい。後付けでそれっぽい伏線を書き足すというのも私のセコい常套手段だ。


 中国ではフェリーツェをずいぶんカスタマイズした。二段ジャンプやパリイをできるようにしたし、女の子用ピストルで敵を攻撃できるようにした。ここにこっそりワープ機能を追加しても不注意な読者は通り過ぎるだろう。で、後になって「アアッ! コレガフクセンダッタノカ! ヤラレタッ!」と気づくという寸法さ。あるいはフェリーツェ本体に機能を上乗せしなくても、それっぽい祠を各所につくりワープポイントにするというのもアリだろう。祠の中には泉があって、そこに飛び込むと視界がサイケな感じにゆらゆら帝国して気づくと別の祠にワープしているという寸法さ。「アアッ! ホコラガフクセンニナッテイタトハ! イッポントラレタッ!」しかし読者はそんなにチョロい人々ではない。そのことを私は最近知った。フェっちゃん。フェっちゃんのパパ。ふたりとも、作者も覚えていない小説の一節をすらすらと暗唱できるほどの鋭敏な読者だ。私は今まで読者ってもっとチョロくってカタカナしかしゃべれない人たちだと思ってたけどそういうことじゃないみたいだ。もう少し細心にいこう。しかし大胆さを失ってはいけない。だって小説は自由なのだから! 


 ノイラートの船と言ってね。船が壊れたのなら、航海をつづけながら海上で修理すればいいのですよ。修理に修理を重ねた船は、いつしか出港時とは似ても似つかぬ姿に変わっている。ノイラートさんも私と同じ脳のヤバい人で、いつでも行き当たりばったりなのだ。マストが折れたのなら折れたボッコで2本のマストを作ればいいじゃないか。ガッハッハ! 船底に穴が空いた? 大丈夫大丈夫。ちょうど昨日、船員がひとり壊血病で死んだから、あいつのベッドをぶちこんでふさげばいいさ。船底にベッドがあれば疲れたタコやイカたちの寝床にもなって一石二鳥だぜ。ガッハッハ! なになに? 船首像の女神様が胴から折れて不吉だから船員たちが家に帰りたがってる? じゃあ、例の死んだ船員の死体を胴から切ってはっつけておけばいいだろう。ガッハッハ! なになに? さすがにそれは倫理的にアウトでグロさのあまりみんなゲボーしてる? わかったわかった。じゃあ、昼間のあいだは俺が船首でタイタニックやってるからさ。夜は俺も寝たいから代わりに猫でもおいとけよ。ガッハッハ! なになに? 猫が暴れてタイタニックやってくれない? バッケロー!! タイタニックがダメならパイパニックをやらせればいいじゃないか! ガッハッハはっハハッはあはははっはははははははっははははははゲボゲボゲボゲボーッッッ!!!!!


 ノイラート先輩の脳のヤバさは私の比ではない。海に生きる向こう見ずな冒険野郎なのだ。生きるためなら猫にパイパニックだってやらせるさ。しかし私だっていつ何時フェっちゃんの強化版女の子用ピストルで蜂の巣になるかわからない冒険野郎だ。フェっちゃんが私を認めてくれるのは私が小説を書くからであって、小説に妥協すれば彼女は躊躇なく私を撃つ。その残酷さこそが鬼キュートなのだ。私もノイラート先輩に負けてらんない。もっともっとヤバくならなきゃ。脳よ! 私のアレな脳よ!! 私はフェっちゃんからもらったチャーシューを握りしめたままゴリゴリと執筆をつづけ、つじつまの合わない展開をノイラート式に「修理」していった。


 フェっちゃんたちが「日本観光」から帰ってきたところで私は修理を切り上げた。今日のノルマ10枚を要求するフェっちゃんに、「今日は先に進めないでつじつまの合わないところをノイラートしてたんだ」と自信満々で答えた。褒めてもらえるかと思ったら、フェっちゃんはたちまち苦い顔になった。


「ノルマを達成できなかったってこと?」

「いや、つじつま合わせはしてたよ。それが今日のノルマ」

「勝手にノルマを変えないで。ノルマは10枚でしょ? 大事な決まりだよ。つじつまってなにさ。つじつまが合わなかったらだめなの?」

「だって、イスタンブールにいるはずのお人形が日本にいたらへんだから……」

「おじさんは誰に気をつかってるの?」

「読者のみなさん」

「読者って、わたしとパパだけだよ。わたしたちはつじつまなんて気にしないよ」

「でも、この小説を待ち望んでる人たちはもっといると思うし。3万人くらい? いや3億人くらいかも……。つじつま合わなかったらネットが炎上しちゃう」

「炎上したらなんだっての? そのときは別のネットに逃げ込めばいいんだよ。ネットは広大だわって、おじさんの小説でクサナギ少佐が言ってたじゃない」

「え? そんな小説書いてないと思うけど……」

「書いたよ。おじさんが書いたんだよ!!」

「いやあ」

「まったく。せっかくチャーシューあげたのにおじさんの脳はちっとも向上してないんだから。ハグして損したよ。ハグ返せ! いや、返さなくていいキモい!」

「今回の件は話せば長くなる。ノイラートの船と言ってね……」

「誰だよノイラートって。そいつここに連れてこいよわたしがドタマに弾丸ぶち込んでやるからさ!」

「オットー・ノイラート。オーストリア出身の科学哲学者。ウィーン学団の旗手。ナチスの迫害で祖国を追われる。1945年、亡命先のイギリスで客死」

「まあ、ぜんぶナチスが悪いってことだね。とにかく、ノイラートしたところはわたしが全部元に戻しておくから、おじさんは今日のノルマを寝ないで書いて。夕飯はわたしが店屋物頼んでおくから。でも忘れないでね。次のチャンスはないよ。次にこういうことやったらノイラートとナチスとおじさんを壁に向かって立たせて順番に頭をぶち抜いてやるから」


 世界各地の祠に設置された「旅の扉」はひとつ残らずフェっちゃんの赤ペンによって封鎖され、「温泉」に書き換えられた。「ワープができたらゲームバランスがめちゃくちゃになるけど、回復ポイントくらいはあった方がユーザーフレンドリーだからね」考えてみたら、今までまともな回復ポイントなんてなく、道ばたに生えてる雑草を薬草と称してしのいできたのだった。「死にゲーだって、むやみに難易度を上げればいいってものじゃないよ。何度死んでも何度も挑戦したくなるように、適度に飴を配置してあげないとユーザーが無き寝入っちゃう。それに温泉は “サービスシーン” だって風の噂で聞いたことがあるよ。サービスサービスッ!」フェっちゃんはやさしい。鬼のようにやさしい。


 私は夜中まで必死で書きつづけ、なんとかノルマの10枚を仕上げることができた。ずっと座りっぱなしで痺れた足を抱えてよろよろと書斎を出ると、居間のコタツの上にピザの箱が置いてあるのを見つけた。8等分されたピザのひときれだけが残っていて、空腹の限界をとっくに越えていた私は三口で食べ終わり、キッチンに駆け込み牛乳で胃に流し込んだ。食べたいものはあればあるだけ食べるフェっちゃんが、ひときれだけでもピザを残してくれたのだ。フェっちゃんはやさしい。鬼のようにやさしい。

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