#20 今夜はなんか昭和な気分
フェっちゃんのパパは予定より1時間ちかく遅れてやってきた。帽子とサングラスとマフラーでもこもこなので顔は見えず、ベージュのトレンチコートにべったりついた返り血が照明の下で鈍く輝いていた。
「ゴミクズの始末に手間取ってしまって遅くなりました。こんな格好で申し訳ない」
「早くシミ抜きしないと」
「洗面所を貸していただけますか?」
「どうぞ。そのあいだに唐揚げを仕上げておきます」
「わたしも手伝うんだよ」
「お前、料理なんてできるのかい?」
「まあねー」
「やけどに気をつけるんだよ」
「うん!」
唐揚げは最初のひとつだけ私が揚げてコツを教えると、あとはフェっちゃんひとりで次々揚げていった。そのあいだ私はひつまぶしの準備をした。
「ええと、高菜と白ごまと炒り卵とあとなんだっけ」
「キムチとか?」
「キムチがひとり勝ちしちゃうからもっと弱そうなやつを入れたい」
「昆布の佃煮とか」
「いいね。あいつは弱い」
「紅ショウガは?」
「弱い弱い。弱小チームでウナギを引き立てよう」
「ねえ、これちゃんと揚がってるのかなあ?」
「竹串で刺してみるとわかるよ。揚がってなかったら赤い血がプクーッって出てくる。うん、これなら大丈夫。フェっちゃんいいお嫁さんになれるよ」
「セクハラセクハラ! ここは昭和じゃないんだよ」
「フェっちゃんはお嫁に行かないの? 子どもはほしくないの?」
「野郎、コンボでセクハラ決めてきやがった」
「ごめんね。今夜はなんか昭和な気分になっちゃって。夜霧よ今夜も有難う。小さな石鹸カタカタ鳴って、ラメチャンタラギッチョンチョンでパイノパイノパイっとくらあ!」
「サラスパ作ったからじゃない?」
「サラスパは平成じゃなかったっけ」
「♪ サーラスパッダーサーラスパッダーサーラスパッダーでっへっへー」
「やっぱり平成のCMソングだよ。水曜7時のあの国民的アニメを思い出す。ナッパ、タオパイパイ、ハッチャン、スノちゃん、ランチさん、そしてナッパ……」
「ナッパ2回言ったねえ。よし、唐揚げいっちょあがりー!」
「おみごと!」
「まだ揚げ足りないからギョーザも揚げちゃおっか」
「ギョーザないよ。あ、でもゆで卵が残ってたっけ」
「揚げよう揚げよう」
「たくわんも揚げる?」
「揚げよう揚げよう」
「ナッパも揚げてみようか」
「揚げよう揚げよう。おじさんの罰ゲームにしよう」
できあがった料理を次々と居間に運んでコタツの天板に並べた。鶏の唐揚げ、ゆで卵の唐揚げ、罰ゲームの唐揚げ、サラスパ、温野菜にマヨネーズを添えただけのやつ、きんぴらゴボウ、里芋の煮っ転がし、そして昨晩のうちに仕込んでタレのたっぷりしみこんだ自家製チャーシュー。ちょっと醤油系が多いかな。マヨネーズ勢にもひとつ頑張ってもらいたい気持ちからタルタルソースをつくってみました。唐揚げ類や温野菜をディップしてお召し上がりください。ひつまぶしとお吸い物はお酒を飲み終わってから出そう。ケーキの代わりに茶碗蒸しつくろうかという私の提案は意味がわからない論外であるとフェっちゃんに却下されたが、フェっちゃんのパパがケーキを買ってきてくれたので結果オーライだった。準備が整ったころにフェっちゃんのパパが洗面所から戻ってきた。
「パパ、早く座ってよ。乾杯しよう!」
「コタツなんてひさしぶりだなあ」
「うちでもこういうの買おう?」
「でも、うちはぜんぶ洋室だからコタツはへんかもね」
「そっかー」
「それならうちを別荘だと思って使って下さい。これからもときどきこうして集まりましょう」
「それではご迷惑です」
「いいよいいよ、おじさんはご迷惑されるのが好きなんだから。というか宿命!? 運命ッ!? ほら、早く座って。私の隣が空いてるよ!」
「わかったわかった。でもコタツだから斜め向かいに座ろうね」
「斜め向かいも隣だよ! あ、おじさんはなるべく離れてね」
「じゃあなるべく離れて斜め向かいに座るよ。フェっちゃんすごいテンションだね」
「わたしはいつでもテンションマックスだよ!!!!」
堅苦しいあいさつもなしに私たちはスパークリングワイン(旧名シャンペイン)で乾杯した。フェっちゃんのグラスにも注いだとき、フェっちゃんのパパが「えっ」という顔をした気がしたがもこもこなのでよくわからなかった。
「やはりそのもこもこはマストですか」
「パパはうちでもこんなだよ。もう10年くらい顔見てない」
「10年って、フェっちゃんが生まれる前じゃないか」
「いや、わたしは25歳だから」
「ギャングは顔が割れると価値がなくなるのです。チンピラなら顔出しでも構いませんが、その代わり彼らは一生チンピラから抜け出せません」
「家族に見せてもいけないのですか?」
「いえ、とくに問題ないでしょう。しかしもうこれが当たり前になってしまって」
「わたしもパパの顔見たらモヤッてなると思う」
「ま、顔が無くてもなんとかやっていけるものです。小説だってそうでしょう? 小説の登場人物たちはみんな顔が無いようなものですから」
「いちおう書き分けてるつもりですが……」
「でも読者にはわかりませんよ。きっと作者にもわからないのではないですか? 『エラが張ってる』だの『つぶらな瞳』だの文字で言われてもかったるいし何が何だかわかりません。100人中98人は読み飛ばしますよ。顔がそんなに大事なら漫画を描けばいいのです。漫画をね」
「絵はちょっと……」
「練習すればいいじゃないですか。1万時間練習すれば良いのです」
「そこをなんのかんのとシュールな屁理屈つけて努力しないのが小説家という生きものなのです。でも、努力するフリならわれわれにお任せください!」
「そういえばあなたの小説が前に漫画になりましたよね」
「はい。なぜかギャグ漫画にされていましたが」
「それはそうでしょう」
「え?」
「あの漫画を読んでびっくりしましたよ」
「ギャグ漫画になっていたからですか?」
「登場人物の顔のことです。イメージ通りでなかった、という言い方は正確でありません。むしろ最初からイメージなんて無かったのです。顔が無い人々に顔を割り当てるなんて。まるでみんなお面をかぶっているようでした」
「顔が無いわけではなくて、作者にはそれなりにイメージがあるのですが」
「じゃあ描いてみてよ。わたし、紙もってくる」
「食事中だよフェっちゃん」
「今日はそんな堅苦しいこといいじゃないですか。あなただって人の娘にお酒飲ませてるわけだし」
「あ、やっぱりダメでした?」
「今日は特別です。命びろいしましたね。でも、フェリーツェに何かしたらあなたのショボい顔面が蜂の巣になることはお忘れなく」
フェっちゃんが持ってきた自由帳と2B鉛筆で私はお人形の顔を描き始めた。よく見たらこれはフェっちゃんが死にゲーを設計するときに使っているノートだ。中国時代はこのノートにお互いのプランを書き合って
「よし、できたよ」
「どれどれ?」
「これこれ」
「誰の顔?」
「だからお人形の顔だよ」
「ぜんぜん似てないよ」
「でも小説書くときはこういうイメージなんだけど」
「おや、意外と絵が上手なのですね」
「ありがとうございます」
「でも、あのお人形はこんな顔でなかったと思います」
「それはどっちの話ですか?」
「どっちとは?」
「つまり、小説世界のお人形なのか、リアル世界のお人形なのか」
「リアル世界? いえ、私もフェリーツェが持っていたお人形を見たことはありません。だから私にとってあのお人形は顔が無いのです。小説でもリアルでもね」
「あなたがフェっちゃんにお人形をあげたのではないですか?」
「ちがいます。フェリーツェの母がつくったのですよ。誰にも見せてはいけないと言ってフェリーツェに渡したそうです」
「誰かに見せたらもうお人形は口をきいてくれないよってママは言ってた。お前の分身だからね、って」
「フェっちゃんのママはどんな方だったのですか?」
「妻は作家でした。小説家ではありません。人形作家という言い方が一番近いかもしれません。しかし私は彼女のつくった人形を一体も見たことがない。人形を誰にも見せてはいけない。それが彼女とクライアントとの間のルールでした。世界中に彼女の人形をほしがる人々がいた。しかしそれがどんな人形なのかは手に入れるまで誰も知らないのです」
「それなのにどうしてほしがるのでしょう?」
「人は未知のものをほしがるものですよ。もっとも私は彼女の人形をほしいとは思わなかった。私はギャングですからね。しかし、彼女の中に何か底知れない世界があるような気がしたのです。小説のような……。それもまたもうひとつの“未知”です。私は彼女に夢中になって、まあ、あとはなんやらかんやらあったのです」
「なんやらかんやらあってわたしが生まれたんだよね」
「人生はなんやらかんやら進む」
「それも私の小説の言葉ですか?」
「いえ、小学校の代用教員の言葉です。それにしても料理お上手ですね」
「ダテに20年も独身やってませんから」
「サクサクの唐揚げが臓腑にシミる……」
「わたしが揚げたんだよ!」
「すごいじゃないか!」
「うちでもつくってあげるね」
「フェリーツェにはいつも苦労をかけている。本来、ギャングは家族を持つべきでないんだ。顔が無い人間は家族にほほえみかけることもできないからね。しかし人は誰かと出会うことを自分で決めることはできない」
「おじさんの小説の言葉だね」
「イグザクトリー」
「そんなの書いたっけ……」
「パパはどんな風にしてママに出会ったの?」
「最初は殺すつもりだったんだ。クライアントから渡されたリストの中にママの名前があった。ママもお前と同じようにギャングの娘だった。ひとつの町にギャングはふたつもいらない。私の腕を買ってくれたクライアントは、私の方を選んだわけだ。ママはギャングではなく作家だが、それでも殺さなければならないと彼は言った。その女が無害だとしても、その女がいつか生む子どもがギャングになり、われわれの寝首をかくからと」
「フェっちゃんもいつかギャングになるの?」
「まだ将来のことよくわからないや」
「お嫁さんにはならないの?」
「まあ、娘に対するそのセクハラ発言はあとでコバヤシに伝えておきましょう。今日はコバヤシがふたりいるので、餅つきの要領で交互に玄関ドアをスタンピングしてくれるはずです」
「うひい」
「パパはどうしてママを殺さなかったの?」
「ママの目に射貫かれてしまったんだよ」
「レーザー的なやつ?」
「そう。ただ、フィジカルではなく、メンタルにくるやつだ。お前の目はママの目と似てるよ。澄んでいて、鋭くて、鬼ににらみつけられるような圧がある」
「そうそう、その鬼っぽいところも鬼キュートですよね」
「今の発言もコバヤシに伝えておきますね。私は彼女の目に射貫かれて動けなくなった。そして、私のギャング人生で一度きりのことだが、ターゲットの前でピストルを下ろしてしまったんだ。私にこの人は殺せない。もうだめだ。仕事に私情を持ち込むなんて、ギャング失格だと思ったよ。それで彼女に言ったんだ。一緒に逃げよう。ここにいてはふたりとも消されてしまう。逃げられるはずもない。ふたりともじきに消されるのはわかっていた。それでも、他に選択肢はないと思った」
「すてき……」
「おじさんキモい声出さないで」
「でも、すてきな話じゃない?」
「パパはいつもすてきだよ。そんなの当たり前でしょう? で、逃げられたの?」
「いいや。思い直してけっきょく逃げなかったんだ。当時、この町を取り仕切っていたのはそのクライアントだった。私はギャングとはいえ、実質的には下請け業者のようなものだった。その立場にずっと不自由さを感じていたよ。不本意な仕事が舞い込むこともあったし、それ以上に、私は常々クライアントこそがこの町最大のゴミクズだと思っていたからね。彼は私欲のために平気で無辜の人々を殺す。そうした依頼を私はなんやかんや断っていたが、そのときは断り切れなかったわけだ。現場に行けばなんとかなるだろうと思っていたが、彼女を見たとき、私はそんな甘い考えを捨てなければならなかった。そしてなんやかんやあって私はクライアントを屠り、彼の組織を乗っ取り、この町を取り仕切るギャングの座についたんだ」
「そのなんやかんやについてもう少しお聞かせいただけませんか? たったひとりで強大な敵を屠るなんて、まるでランボーではないですか」
「いえ、私はランボーというより小林秀雄でした。つまり、論理につじつまが合わなくてもムニャムニャのレトリックでしらばっくれたのです。組織の連中はボスがすり替わったことに今も気づいていません。なにしろこんなにもこもこですからね。前のボスももこもこでした。組織を壊滅させなくても、あのゴミクズひとり屠れば体制を変えられたのです。もっとも、急に組織の方針を転換させればすぐにばれます。最初のころはギリギリの線をねらって、ゴミクズと無辜の中間あたりのグレーゾーンをターゲットにせざるをえませんでした。それも、限りなく黒に近いグレーをねらったつもりですが、そこは私の主観です。私は裁判官でもなんでもない、ひとりのビジネスパースンですから。私の偏見で命を奪われた無辜の人々もいるかもしれない。それは私の人生に突き刺さった一本の棘です。永遠に抜くことはできません」
「今の話、コバヤシさんに聞かれるとまずいのでは?」
「今日は私がいるので盗聴器は切っています。それにコバヤシは私のもっとも信頼できる親衛隊で、私の正体はすでに教えてあります。コバヤシ部隊設立にもなんやかんやあったのですが……」
「そこはスキップしようよ。早くママの話をして?」
「スパークリングワイン(旧名シャンペイン)がなくなってきましたね。次はきらら酒行きますか?」
「きらら酒?」
「ええ。きららジャンプというのがありましてね……。まあこれもなんやかんやあるのでスキップして、さっさときららジャンプしましょうか」
「お願いします」
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