#19 それはお歳暮じゃよ

 デパートのおもちゃ屋に行こうとしたらそんなところには何も無いとフェっちゃんにたしなめられ、プランBを持たないわたしはそこで思考停止になった。フェっちゃん行きつけの店があるというので私はついて行くしかなかった。


「いいおもちゃ屋があるの?」

「おもちゃ屋じゃなくてクリスマス屋さん」

「その店、クリスマス以外は何やってるんだろう」

「トナカイの世話とかじゃない?」

「トナカイ飼ってるの?」

「だってサンタの店だから」


 クレオパトラたちが自撮りする華やかな中心街から外れると、老朽化した雑居ビルの並ぶ狭い通りに出た。もこもこに着込んだほんとうのタチンボみたいな人たちもいたが私は誰にも見向きもされず寒空の下でタチンボだった。


「ちょっと、タチンボしてる場合じゃないよ。足うごかして」

「一歩、二歩」

「そろそろパパのお仕事が終わるから早く済ませないと」


 てくてくてくてく止まらぬ足で私たちはちいさなクリスマス屋さんに足を踏み入れた。ほっほーと店の奥から声がしたが、棚という棚にモノがぎっしり詰まっていて視界が悪く向こうの様子は見えなかった。全体的に薄暗く、「きよしこの夜」のような、しかし妙にテンションの上がる音楽がかかっていた。


「このアゲアゲな音楽なんだろう?」

「去年もかかってた気がする。アレンジはぜんぜんちがうけど」


 毎年かけとると飽きるんじゃよ、と奥から声がした。今年はEDMにしてみたんじゃ。ほっほー。


「今のがサンタさん?」

「うん」

「アゲアゲだね」

「なんか言った!?」

「え!?」

「うるさくて聞こえない!!」

「なんだこれ! サビがリフレインしてるぞ!! まいったな」


 私はフェっちゃんに指で合図して、左の方の棚を見ることにした。フェっちゃんはうなずいて、右の方の棚を見に行った。とにかくモノが多すぎる。ぶつからないように棚と棚のあいだに体を差し込まないとならなかった。棚にはお人形やアクセサリーやパリのエッフェル塔や草間彌生の斑点カボチャや漱石の修善寺などが並んでいた。すきまというすきまが有効活用されており、エッフェル塔をどけると超合金のゴジラがいて、ゴジラをどかすとソフビの花菱アチャコと野坂昭如がすってんころりん大騒ぎだった。修善寺とカボチャの陰にキモノの女性が描かれた茶碗があって、たぶんお湯を入れるとこの人は脱ぐ。こういうものをクリスマスプレゼントにもらったらフェっちゃんはどう思うのだろう。人の気持ちのわからない私でもそこにひとつの地雷を感じた。


 そうだ、フェっちゃんは何かヒントを言ってなかったっけ。わたしをよく見て。そんなことを言っていた気がする。しかしフェっちゃんは向こうの棚にいるので姿が見えないし、私のように脳の悪い者が見てどうにかなるとは思えない。いっそノーヒントで、このプラスチックの面白おもしろチャーシューをあげようか。それともここでは何も買わず、スーパーで本物のチャーシューを買うべきか。フェっちゃんはチャーシューを喜んで食べるだろう。しかしその喜びはクリスマスの喜びとくらべてヒトシオだろうか(ヒトシオとはなんだったろうか)。


 私はモノとモノのあいだをすり抜けてサンタに助けを求めに行った。カウンターの上もショーケースの中もモノだらけで、上からも飛行機とか凧とか鎧とか鐙とか流鏑馬やぶさめとかがつり下がっている。そのジャングルのなかにサンタはいた。サンタ服を着た白髪と白ヒゲの男。鼻の上にちっちゃいメガネのような虫眼鏡のようなものが乗っている。肌の色は白いが、白人のようでもあるし、色白の黄色人種のようでもある。EDMの異様に長いリフレインがやんだタイミングをねらって私はサンタに話しかけた。


「あの、何を買えばいいのかわからないんですけど」

「ほっほー。ここはクリスマス屋じゃからの。お前さんが買うわけじゃなくて、サンタがプレゼントを配るのじゃよ」

「無料なんですか?」

「いや、もちろんお金は払ってもらう。そういうサービスじゃ。つまり、床屋に行って、お前さんは髪型を買うわけではないじゃろう? 床屋がお前さんに髪型をプレゼントするんじゃ」

「そんな風に考えたことはなかった」

「サービスはお客様へのプレゼント。それがサービス業というものじゃよ。お前さんは何をしてるのだね?」

「小説を書いています」

「小説は読者への心づくしだと太宰治が言ってなかったかね?」

「そうなんですか?」

「そうさ。お前さんもサービス業なのじゃよ。さて、どの子にプレゼントしたいのだね?」

「あそこにもこもこの女の子がいますね?」

「いえーす。おるのう。もこもこじゃのう」

「何をほしいか教えてくれないんです」

「ほっほー。でも、あの子が何をほしいのか、見ていればわからないかね?」

「あの子もそんなようなことを言っていました。しかし私は人の気持ちがわからないのです」

「それは訓練がいるからの。猫は飼い主にネズミをプレゼントして嫌がられるじゃろう? 猫は人の気持ちに興味がないから飽きずにネズミを贈りつづけるんじゃ。しかし人間はちがう。いつまでも父親に泥団子をプレゼントして自己満足に浸っているわけではない。やがて困惑した父親の表情に気づく。それが、他者の発見じゃ」

「他者」

「そう。家族とは、子どもが最初に出会う他者じゃ。お前さんは猫かね?」

「いえ、人間だと思います」

「お前さんはあの子が泥団子を食べると思うかね?」

「でもチャーシューは食べると思います」

「おや、それはチャーシューかね?」

「これは食べられませんから、スーパーで本物を買おうかと」

「するとお前さんはあの子にチャーシューをプレゼントするのだね? それでいいのかね?」

「でも、何かちがう気がするんです」

「そりゃちがうわい。チャーシューはクリスマスプレゼントになり得ない。人がチャーシューをプレゼントするとしたら、それはお歳暮じゃ」

「お歳暮!」

「お前さん、お歳暮を贈ったことは?」

「もらったことなら。ずっと前に一度だけ、年配の編集者からお歳暮にインスタントコーヒーをもらいました」

「そのとき、うれしかったかね?」

「いやあ」

「いやあ、とは?」

「実は、めんどくさいなあと思いました。お返ししないとならないし、インスタントだと私おなか壊すし」

「嫌じゃったろう?」

「ぶっちゃけ嫌でしたね」

「お前さんは、自分が嫌なことをどうしてあの子にするのだね?」

「そんなことをするつもりは……」

「その手に持っているチャーシューはなんじゃね?」

「これはクリスマスプレゼントです」

「ちがう。それはお歳暮じゃよ」

「お歳暮!」

「お前さんが嫌いなお歳暮じゃよ」

「ああー」

「ああー、とはなんじゃね?」

「いえ、大丈夫です」

「大丈夫、とはなんじゃね? どうもお前さんは小説家なのに語彙に欠けるようじゃな。いいかね? クリスマスプレゼントは人を幸せにするものなんじゃ。そこがお歳暮とちがう。お前さんはあの子を幸せにすることができるかね?」

「どうすればいいのでしょう?」

「ほら、あの子をよく見てごらん」


 フェっちゃんは棚をじっと見ていた。その棚はちょうどこちらから見て死角になっているので、何を見ているのかわからない。あまり動かないし、もこもこなので表情もよくわからない。いつものフェっちゃんのようでもある。しかし、真剣さがいつもとちがうようにも思えた。


「どうだね?」

「やっぱりかわいいです」

「そうかね?」

「どういう意味ですか」

「お前さんにとってあの子はかわいい。しかし客観的に見ると、あの年ごろの女の子としては十人並みの容姿だろう」

「あんなにもこもこなのに何がわかるのです」

「わかるさ。わしが何十年サンタをやっていると思う? 子どもたちの寝顔はすべて覚えておるわい」

「子どもたちとは?」

「この店でサービスを購入してくれたクライアントの子どもたち全員さ。彼らの顔を覚えるのはわしの職業倫理だと思っておる。中にはずいぶんきれいな女の子もおったよ。その美しさを鼻にかける子もおったし、かえって暗くなって自暴自棄になる子もおったし、気にせず過ごす爽やかな子もおった。わしの主観じゃよ? 寝顔しか知らないのじゃから、彼女たちのふだんの様子は何も知らない。それでも、寝顔を見ればいろいろわかってくるものさ。まるで子どもたちの夢のなかに入り込んだみたいにね」

「それは小説に似ていますね」

「ほっほー?」

「私があの子と一緒に暮らすようになったのは、行方不明になったあの子のお人形の小説を書いてあげたからです。あの子のお人形のことは何も知りません。しかし原稿用紙を前にして考えていると、言葉が出てくるのです」

「あの子はお前さんの小説を楽しんでくれてるかね?」

「わかりません。でも、熱心に読んでくれて、たくさんダメ出ししてくれます。あの小説のことを、いや、死にゲーのことをふたりで話していると、まるですぐそばにお人形がいて、わたしたちの議論を黙って聞いているような気配を感じるのです」

「なるほど。お前さんもまんざらではないというわけじゃ」

「まんざら……。ってなんでしたっけ」

「ほっほー。語彙が無いのう」

「今、脳って言いました?」

「のうと言ったんじゃ」

「子どもたちの寝顔、小説、そして脳……。キーワードはいろいろ出てきましたが、けっきょく何をプレゼントすればいいのでしょう?」

「もう一度向こうの棚に戻って探してごらん」

「もうずいぶん探しましたよ」

「一度目を離さないと探しものは見つからないものさ。あの子がいちばん欲しいもの。今ならすぐに見つかるはずじゃよ」


 EDMのリフレインがまた始まってアゲアゲになり、それ以上会話はつづけられなくなった。私はサンタにぺこりとおじぎをし、サンタはうむうむとうなずくと上半身でワッショイワッショイ踊り出した。私はまたモノでがちゃがちゃした棚に戻り、チャーシューという名のお歳暮を元の場所に戻してから探索を再開した。手がかりは何もない。


しかしこれもまたある種の小説なのだ。小説だって、何も手がかりはないんだ。若いころは私もウブで、まじめにテーマを決めて文献を読みあさったり取材旅行に行ったりしたものだ。しかしそんなことをしても小説の言葉は遠ざかるばかりだった。がんばって勉強すれば何かにたどりつけるという優等生的な迷妄から抜け出したとき、人は無知の海のなかで小説の言葉に出会う。私は無知になるのに10年かかった。おかげで今では会う人すべてに脳の心配をされるありさまだ。でも、だからこそ私には書ける。お勉強好きのメガネくんたちには決して書けない小説の言葉が。そして私はなにひとつ覚えていない。よく書けたときこそ、次の日自分が何を書いたのか忘れている。脳がヤバい。ヤバければヤバいほど小説は私を追い抜いて、ぐんぐん先に進んでいく。私は私の脳と引き換えに小説を生む。フェっちゃんと出会えたのは小説のおかげだ。あんなにかわいい女の子と一緒に暮らせるなんて。でもそれも小説のひとつの章にすぎないのだ。私に小説は制御できない。気づいたらまた新しい章が書けている。次の章にはフェっちゃんは出てこないかもしれない。いつのまにか3000年の時が流れて人類は8本脚に進化しているかもしれない。だとしても書くしかない。どっちにしろ、書かなければみんないなくなってしまう。フェっちゃんも、フェっちゃんのパパも、コバヤシも。そして、水槽の中のわたしも。だから書くんだよ、私よ。


 私は何か選んだのだろうか。EDMのリフレインで鼓膜がやられ頭がガンガンした状態でフェっちゃんと店を出た。そしてふたりで走っていた。もうすぐフェっちゃんのパパが来てしまう。スーパーに寄ってウナギをびょうで買って、ふんで私のマンションにたどり着いた。私はへとへとで、フェっちゃんもマフラーを外して息を荒げていた。停車した車の中で墓標のようになっているコバヤシにフェっちゃんが訊ねると、フェっちゃんのパパはまだ来てないとのことだった。安心すると急に寒気に襲われた。風邪引くからと私はフェっちゃんを急かして部屋に戻った。前に走ったときは、公園にフェっちゃんに会いに行くときだったっけ。ひとりで走るよりふたりで走る方が楽しいと私はイブに知った。

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