#17 空から大きな割り箸が降りてきて
ちゃんちゃん焼きの日々がつづき、さすがに粉モノはもうたくさん、フェっちゃんに訴えたが彼女は首を縦に振らなかった。いや、縦に振ろうと横に振ろうと、それではナンの答えなのかわからない。そういえば私はナンが食べたく、すると粉モノにはまだ飽きてないらしい。ナンなんていかがでしょうか、何度かプレゼンしたがフェっちゃんは首をひねった。インド人の素人の私がナンをつくるナンて9999時間早いというのだ。
フェっちゃんのパパは唐揚げを喜んでくれたみたいだ。冷めてもおいしい唐揚げだったから。
「今度は揚げたてを食べてみたいってさ」
「じゃあ、ここにお呼びしないとならないね。来てくれるかなあ?」
「護衛にコバヤシをもうひとり呼べば大丈夫だと思う」
「もうひとりのコバヤシさん?」
「だって1人でずっとわたしたちを監視するなんてできないよ。ときどきフランス人のコバヤシやおっぱいの大きいコバヤシになってるのに気づかなかった? 気づかないよね。おじさん観察力がアレだし、大きいおっぱいに興味ないから」
「小さければ小さいほどかわいいと思う」
「おっと穢らわしいゴキブリ野郎がこの部屋に一匹いたようだな」
私が好きなコバヤシさんはいったい何曜日のコバヤシさんだったのだろう? なんだか自分の大切なものが遠くに行ってしまったような気がしてうっとなった。
「じゃあフェっちゃんのパパをご招待するって、伝えてくれるかい?」
「いいけど、本当に呼んでいいの?」
「だって来てもらわないと唐揚げ冷めちゃうし」
「パパ怒ってたよ」
「喜んでくれたんじゃなかったの?」
「唐揚げはね。でもそれはそれ。おじさんの小説のことだよ。最近小説書いてないよって教えたら本棚からおじさんの小説持ってきて一冊ずつピストルで撃ち抜いてた」
「え」
「ファンなんだよ。パパはおじさんの小説全部持ってるよ。全部穴空いたけど」
「このあいだはそんなこと言ってなかったよ」
「そんなこと言うわけないでしょ。自分が世界で一番好きな小説家に出会ったからって尻尾振ってコビ売るとでも思ってた? あいにくコビは売り切れだよ。ねえ小説書けてるの?」
「いやあ」
「パパをここに呼んだらどうなるかな」
「撃ち抜かれる」
「そう。おじさんの黒い脳みそが床にブチまかれることになるよね。だからパパにはしばらく冷めた唐揚げで我慢してもらわないと」
「ねえ、どうしてフェっちゃんはあれを死にゲーにしちゃったの? 書けなくなったのはお人形が中国で死にまくってるからだよ」
「だって、お人形が世界旅行をしている小説なんて平凡すぎでしょ? あの子がひとりでも楽しんでるのを知ったときはほっとしたけど、退屈で読み続けられないよ。だからあの子には死んでもらうことにしたの。何度も何度も。そして何度でもよみがえって、ライフ残り1になってもギリギリで弾をかわし続けて、次のセーブポイントまで生き抜いてほしいの。そうして最後にはわたしに再会してハッピーエンド。わたしが読みたいのはそういう小説」
「今、悩んでるんだ」
「どのへんで?」
「どうしてお人形は武器を持ったらいけないんだろう」
「ほう」
「お人形は二段ジャンプができるようになったし、パリィも使えるようになった。でも、武器がないから逃げるしかないんだよ。時には戦わないと結局はじりじりと追い詰められるだけだって、300回以上死んでやっとわかってきた。何か武器を持たせたらいけないかな?」
「こんぼうとか?」
「女の子だから、もうちょっとかわいいのがいいな」
「斬馬刀とか?」
「馬がかわいそうだよ」
「じゃあ孫の手」
「孫の手かあ」
「孫かわいい」
「女の子用ピストルはどうかなって思ったんだけど」
「わたしが持ってるみたいな奴?」
「4発しか弾が入らないからこまめにチャージしないとならないけど、そこそこ強いし、それにかわいい」
「ま、いいんじゃない? わたしが許可する」
「よかった。じゃあ早速持たせてあげるね」
「あとさ、武器があるなら大技もほしいよね。ソウルゲージがたまると使えるの。空から大きな割り箸が降りてきて敵をつまんで画面の外にポイしちゃう、ってのはどう?」
「そんなことして世界観が壊れない?」
「それで壊れる世界観ならその程度のものだったということだよ」
「わかった。なんとかやってみる」
執筆作業は難航し、お人形は何度も死んだ。せっかく女の子用ピストルを持たせたのに使い方がわからず、弾を一発も発射できないまま敵に屠られたり、弾丸チャージに失敗して暴発し自殺したりもした。私が破り捨てた原稿用紙をフェっちゃんは拾い集め、最愛のお人形の死のひとつひとつを悼んだ。
「読まない方がいいよ」
「いいの」
「つらくないの?」
「つらいよ。あの子が自殺する姿なんて見たくなかった。でも、あの子が苦しんでるのなら、わたしも苦しまないと」
「やさしいんだね」
「やさしさとはちがうよ。だって、あの子をひどい目に遭わせてるのはわたしだし。死にゲーにしようなんてわたしが言わなければ、あの子は今ごろアンデス山脈のてっぺんでアンデス牛のステーキをアンデスワインで頂いていたかもしれない。でもそんなパリピ小説わたしは読みたくない」
私よりフェっちゃんの方が小説家に向いているのかもしれないと思った。私が小説を書かなくなって、最近ずっと砂の中で沈黙しているフカフカのことを思った。私のもうひとりのわたし。私は小説の中で、これまで何度フカフカを無意味な理由で死なせたことか。爆死、焼死、轢死、縊死、薬死、眠死、食死、撲死、溶死、光死、闇死、無死。あらゆる死をフカフカは死んだ。その大半はストーリーの都合上の死だ。残りはいわばBGMとしての死。つまり私や読者の気分転換のために死んでもらった。考えてみれば、フェっちゃんが私の小説を死にゲーにするずっと前から、私は死にゲーを書いていたのだ。死んだフカフカは次の日には水槽の中でけろりとしてクッキーをむさぼり食っている。その怠惰であほらかな姿を見るのになれて、私の中でフカフカの命はとても軽いものになってしまった。「死」とひと文字書くだけで気安く死んでくれる死に
「やっぱりフェっちゃんはやさしい」
「また頭なでようとしてる?」
「抱きしめようとしてるんだけど」
「女の子用ピストルがてめえのドタマを狙っていることを忘れるな」
「おぼえてるよ」
「これは死にゲーじゃない。現実だ」
「知ってるよ」
「それでも抱きしめたい?」
「うん」
「じゃ、わたしが抱きしめる」
フェっちゃんは私を抱きしめて、背中をぽんぽん叩いてくれた。私はうっとなって、涙がぼろぼろこぼれた。フェっちゃんは「きしょっ」と言って私から離れた。
「泣くことないでしょ」
「だって、誰かに抱きしめられるなんて初めてで……」
「赤ちゃんのころはママに抱きしめてもらったんじゃないの?」
「もう覚えてない」
「わたしだって覚えてないよ」
「どうしよう。涙が止まらなくなっちゃった」
「涙が出るんなら、おじさんの中にもココロがあったんだよ」
「これが、ココロ……」
「うっ、てなるでしょ?」
「うん」
「それがココロ」
「フェっちゃん。お人形をこれ以上苦しめてはいけないよね」
「だからさっさとクリアしてよ。ずっとそう言ってるでしょう? まったくおじさんは脳なんだから」
破り捨てた原稿用紙の束を持ってフェっちゃんはどこかに行ってしまった。あれは今日のノルマにはカウントされない。ノルマの1日10枚を、私はまた一から書き直し始めた。
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