#13 なんでもかんでもお膳立てしてもらえると思うなよタコ足バタフライ
背広姿の私を見てフェっちゃんは大笑いした。ひいひい言いながらわざわざ水槽からフカフカを連れてきて、一緒になって床で笑い転げた。フカフカが笑うなんて初めて知った。
「いひひひひひひなんでそんな格好してるの?」
「だってフェっちゃんのパパに会うんだからきちんとしないと」
「背広着たらきちんとしたことになるの?」
「ネクタイとか……」
「ネクタイしたらきちんとしたことになるの?」
「じゃあ、どんな格好すればいいのさ?」
「普通こういうときはスーツ着るでしょ!」
「背広はスーツじゃないの?」
「ちがうよ。和服とキモノくらいちがうよ」
「背広しか持ってないから背広で勘弁してもらえるかな」
「勘弁するのはわたしじゃなくてパパだから」
「蜂の巣にならないといいけど」
「ねえ、決めポーズしてみて」
ジャケットの裾をつかんで斜めを向き背筋をピンと伸ばした。
「それが決めポーズ? キノコの真似じゃなくて?」
「え、どこらへんがキノコ」
「裾から胞子出てるよ。いひひひひひひひひ、あ、もう限界」
そしてフェっちゃんとフカフカはまた床に転げてドカンドカンと爆笑した。しばらくして炸裂が止むと、ふたりは打ち上げられたマグロのようにピクピクと体内の残響を楽しんでいた。調子に乗った私は裾を広げて軽くジャンプし「胞子」とつぶやいた。フカフカはカーッと唾を吐き、フェっちゃんは私の弁慶のあたりを思いきりグーで殴った。あまりに痛くて私は床に倒れ込んだ。フェっちゃんが物理攻撃をしてくるのはそれが初めてで、私は痛みの霧の向こう側にフェっちゃんの物理を感じていた。
フェっちゃんのパパとはインド料理店の個室で昼食会をすることになっていた。フェっちゃんから「ナン? ライス?」と突然聞かれて私の口は勝手に「ナン」と答え、それで昼食会のアポイントメントは完了した。文字数の少ない方を自動的に選んでしまうのは口の重い私の癖だ。その癖ゆえに先手を取られた。私はこれまでの人生で常に先手を取られてきた。小説ですら登場人物に先手を取られ、作者にも身におぼえのない伏線に連れ出されてしまう。しかし私はフェっちゃんに対してだけは先手を取りたいのだ。彼女のパパになること。それはフェっちゃんという一つの高峰を極めることだ。頂上に旗を突き立てられたとしても、高峰からしたら痛くもかゆくもない。それでも冒険家は挑むのだ。あらゆる先手を捨てることと引き換えに、たったひとつの先手を取ること。そんなささやか欲望が彼らを、私を、勝ち目の無い無残な冒険に駆り立てる。
「わたしはついていけないから、おじさんひとりでがんばってね」
「え、来てくれないの?」
「当たり前じゃない。そんなことしたら修学旅行に親がついて行くみたいなものでしょ?」
「本当にこの格好で大丈夫かな?」
「だからダメだって。でもしかたないよ。背広でなんとか立ち回るしかないよね」
「立ち回り方を教えてくれないかな」
「まずは様子を見て相手の行動パターンを知ることが大事だよ」
「うんうんそれから?」
「一回死んでもいいよ。一回目は行動パターンを覚えるのが目的だから」
「もしかしてそれは死にゲーの話?」
「だってぜんぶ死にゲーでしょ」
「二段ジャンプもできないのに」
「相手が大技を繰り出してきたらぜったい隙ができるから。よく見ててね。パリィしてさっと後ろに回り込んだらおじさんのターンだから」
「パリィもできないよ」
「相手の目が光ったら弾が飛んでくるからタイミングよくZRボタンを押すの。誘導弾になってるから一度かわしても気を抜かないでね」
「ZRボタンなんかついてないよ」
「ないないないないってなかったらつけろよ脳。なんでもかんでもお膳立てしてもらえると思うなよタコ足バタフライ」
「わかったよ。ZRボタンくらいつけとくから」
「3Dスティックもこの際つけてみたら? ぐりぐりできて楽しいよ」
「わかった。3Dスティックもつける」
「でもおじさんのことだからAボタンとBボタンのことは何も考えてないんでしょ?」
「いやあ」
「そういうとこだよ!」
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