#12 ロリコンにも程があるだろうがこのペド公

 フェっちゃんが私の部屋に入り浸るようになって1ヶ月半が過ぎ、「生活」がふたりを少しずつ変えていった。私はフェっちゃんのために毎日ご飯をつくり、寝坊したら起こし、眠れない夜は一緒に羊の数をかぞえた。当たり前のようにフェっちゃんのパンツを湯水で下洗いし、洗濯機の「おまかせコース」におまかせし、除湿機で乾かし畳んでタンスにしまった。


 そんなこんながふたりのあいだで普通のことになったのはすべて「生活」のせいだ。「生活」は見知らぬふたりをも父子のように変えてしまう。それは、ふと気づいたときには喜びだが、棚ボタゆえに、私たちはふたたび赤の他人に戻るかもしれない。抗わなくては。被造物にすぎない人が天と地に抗うように。ゲリラ行為をしなくては。


 ゲリラ行為の一環で、私はフェっちゃんに「そろそろパパって呼んでよ」とお願いするようになった。そのたびにフェっちゃんは舌打ちし「脳」とか「おじさんのくせに」とか「見上げたペドフィル野郎」とか私のことを罵る。コバヤシもインターホンをピンポンピンポンピンポンピンポン連打し玄関先で無言の抗議をする。命の危険を感じたが、めげずにお願いし続けると、ミルフワーニーでフェっちゃんがいつにも増して酔っ払った晩のこと、彼女がひとりごとのように「パンピー……」とつぶやいたのだ。


 そこがギリギリの譲歩だったのだろう。冗談交じりに言おうとしてかえっていろいろ台無しになってしまうアレだった。本人もそれを自覚していたのか声が少しうわずっていた。かわいくて、つい抱きしめようとすると真っ赤になったフェっちゃんから「屑野郎塵野郎世界の嫌われ太郎自殺した方がなんぼかマシなファック太郎!」と最大級の罵倒を浴び、おまけに外でコバヤシが玄関ドアをドスドスドスドス割れんばかりに足ダンスタンピングするので釈明に行かねばならなかった。


 お酒を飲むとフェっちゃんは必ず寝落ちするからおんぶでベッドまで運んで行ってやらなければならない。フェっちゃんの小さな体をおんぶすると私の中に何かこみ上げてきてうっとなる。その何かの正体は何だろう? それは時間だ。


 時間とともにこの体は少しずつ大きくなっている。フェっちゃんと初めて会ってからほんの1ヶ月半なのに、私の知らないところで彼女の骨はきしみ、肉は次々培養されて古い肉と入れ替わり、私の知らないフェっちゃんになっていく。この平べったい胸が膨らんでくれば、おんぶするときもおっぱいに触らないよう今以上に注意しなければならなくなるだろう。それどころか持ち上げようとしてそのままフェっちゃんのおっぱいに押しつぶされることもありうる。なぜなら私もまた時間の中で変わっていくからだ。骨がスカスカになり、肉が失われ、頭髪が抜け落ちていく。


 老人にたわたなおっぱいを実らせた若い女性をおんぶすることができるだろうか? たわわなおっぱいの下敷きになって狂死するのは幸福な死と言えるだろうか? おっぱいが私の最大の関心事になり、フェっちゃんのおっぱいのあたりをチラ見する癖ができ、いけないとわかっていてもやめられなかった。フェっちゃんはもちろん気づいていた。ある晩の夕食時、とうとうぶちキレたフェっちゃんはピンクメタリックの女の子用ピストルをポケットから取り出して私の眉間に突きつけた。


「毎日毎日おっぱい見やがっててめえはよロリコンにも程があるだろうがこのペド公もうわたしのパンツは洗わせねえぞ芋侍!」

「ちがうよ。誤解だよ」

「てめえがそういう了見ならてめえのチンボコにこいつをぶちかましてくれてもいいんだぜファックユアマザー」

「誤解だって!」

「わたしのおっぱい見てただろうがよ!」

「見てたけど、おっぱいそのものを見てたんじゃなくて、そこに内包されている時間を見てたっていうか……」

「まだそんな脳言ってやがんのかこの抜け作水呑百姓の元三文小説家。“元”な! “元”! てめえには小説なんてもう無えんだよ。てめえのお気に入りの小説ちゃんはわたしがシッポリかわいがってやって死にゲーにしてやったんだからな!」

「とにかくその言葉遣いはやめない?」

「うるせえペドフィル野郎相手にはこれでもお上品なチープトークだぜダボが」

「わかったよ。ごめん。フェっちゃんをえっちな目で見てた。ごめん。もうおっぱい見ないよ。パンツを洗われるのが嫌なら次からは各自で洗濯するようにしようか」

「おう、そうしようじゃねえか。てめえのパンツの後始末くらいてめえでつけるぜ」

「ご飯も別々にする?」

「それはおじさんがつくれよ」

「寝室は?」

「おじさんキモいから居間で寝れよ。布団持ってってさ」

「わかった」

「居間寒いから、わたしの湯たんぽ使れよ」

「ありがとう」

「あとやっぱり洗濯めんどくさいからおじさんやれよ」

「わかった」

「あとわたしが眠れないときは一緒に寝て羊かぞえれよ」

「わかった」

「今度わたしのおっぱい見たらぶち抜くからね」

「それは幸福な死なのだろうか」

「死は誰にとっても幸福なものだってパパが言ってた」

「フェっちゃんにとってパパはそのパパひとりなんだね」

「そもそもふたりもいらないし。あ、でもわたしママいないから、ママの席なら空いてるよ」

「おっぱい出ないからママはちょっと」

「おっぱいおっぱいおっぱいああ忌々しいおっぱい!! ヤバい脳! 脳もヤバいしTシャツもヤバいし」

「Tシャツなんか着てないよ」

「着れよ!」

「はい」

「おっぱい出なくてもママになれるよ。わたしもうおっぱい飲まないし、キムチ鍋は完全栄養食だから」

「どうやればママになれるの?」

「わかんないけど、とりあえずパパに会う?」

「ギャングのパパ?」

「蜂の巣にされるって思ってる?」

「蜂の巣にされるの?」

「了見次第ではね。おじさんはどういう了見を持ってる? ママになりたいの?」

「よくわからない。やっぱりパパの方が良いけど」

「実現できない夢を見つづける奴はダボだってパパが言ってた」

「じゃあ、ママで」

「わかった。パパに言っとくねマザーファッカー」

「フェっちゃん! 言葉遣い!」

「男の人はみんなマザーファッカーだってパパが言ってたよ。エジプトゴンギツネとかなんとかいってね」

「エディプスコンプレックスのこと?」

「わたしを豆知識でやりこめたつもりかよマザーファッカーマミー。豆知識を振りかざして腐った丸の内OLにモテようとする奴は出世しないってパパが言ってたよ。“世”に“出”ることもできずに部屋の隅っこで文体ばかりいじってるんだってさ。でも、そういう人もこの世には必要だってパパが言ってた。A型の人たちがB型の人たちの尻拭いをするために生まれてきたようにね。おじさんA型でしょ?」

「いやB型」

「ああ、言われてみればそういうとこあるよね」

「フェっちゃんもB型?」

「うんB型」

「フェっちゃん血液型占いなんて信じるんだ」

「まさか。そんなの信じるのは脳とTシャツのヤバい人だけだよ。これは甲骨文字占い。亀の甲羅の割れ方でAかBかが決まるの」

「そんなのやったことないよ。それに亀かわいそう」

「一度くらいやっときなよ。人生短いんだしさ」

「人生」

「へたしたら亀より短いよ。亀だって甲羅割られて本望だよ」


 こうして私はフェっちゃんのパパに会うため十数年ぶりに背広に袖を通すことになった。十数年なんて亀にしたら一瞬のこと。甲羅干ししてあくびしているうちに過ぎてしまう。そのあいだ、人間は小説を書いたり亀の甲羅を割ったりして己の運命をどうにかしようとする。しかしそれもまた亀のあくびの前では一瞬のはかない営み。A型だろうがB型だろうがすべてあくびに持って行かれる。


 わたしはまた時間のことを考えるようになった。ただしおっぱい抜きで。フェっちゃんの時間。私の時間。私たちの時間。すべてを包み込む亀のあくび。亀の甲羅の上には象たちが乗っていて、象たちの上には北半球が乗っていて、北半球の上には私たちが乗っていて、私たちは皆あくびして眠り、世界を支える巨大な亀の夢を見る。

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