#05 んんんんんんーんーんんんんんんんんんん?
玄関に現れたフェっちゃんはもこもこしていて、毛糸の帽子とぐるぐる巻きのマフラーの隙間からきれいな瞳でこちらを見、もごもご声で何か言ってる。わかったわかったと私は言って、コートをはおりフェっちゃんと外に出た。
んんんんんんんーとフェっちゃんがミトン手袋で空を指すので見ると、オレンジ街灯の光のなかを無数の雪片が舞っていた。道にはもう牡丹雪がぺたぺた貼りつき積もりつつある。マンションのそばに停めてあるコバヤシの車にもうっすら雪が積もっていて、中からコバヤシがぺこりと頭を下げたので私もそうした。トレンチコートを着たコバヤシも帽子とマフラーでもこもこしていて、夜なのにサングラスまでしている。動かないと、ひとつの墓標が運転席に立てかけられているようだ。私たちが道を曲がるとき、コバヤシの車のライトがつくのが一瞬見えた。エンジン音も聞こえたかもしれない。
んんんんんんーんーんんんんんんんんんん?
エンジン音がやけに近くで聞こえる、と思ったらフェっちゃんがもごもご言ってた。
「んんんんーしか聞こえないよ」
んんんんんんんー?
「んんんんんーしか! き! こ! え! な! い! よ!」
フェっちゃんは毛糸帽子から片耳を出し、マフラーをちょっとどけて口を出した。
「こうしてるとデートしてるみたいだね、うれしい? って言ったの」
「デートのつもりなの?」
「だってさっき、わたしのこと好きって言ったじゃない」
「いやあ、って言っただけだよ」
「だから好きってことでしょ?」
「知らないよ。まだ会ったばかりなんだし」
「じゃあ、もう80%は好きってことか」
「いやあ」
「100%になったら次のフラグが立つよ」
「フラグどころかゲームオーバーだよ。子どもに恋するなんて」
「エンディング後のセーブデータを使ったら新しいシナリオが追加されてるから大丈夫」
「フェっちゃんにとってこれはゲームなの?」
「ぜんぶゲームでしょ?」
「そうは思わないな」
「じゃあ、おじさんにとってのぜんぶは何」
「ぜんぶ小説だよ」
「わたしが言ってることとあんまり変わらなくない?」
「小説とゲームはちがうよ。ゲームとちがって小説はなんというか……。まあゲームはもうずっとやってないからよく知らないけど」
「おじさんが部屋に引きこもって小説書いてるうちに時代は変わったよ。小説もゲームも同じになっちゃったんだよ。だからぜんぶゲームなの。ゲームならデート中は何かハプニングが起こるものだよ。それでおじさんがわたしのためにがんばってくれて、わたしの好感度が上がったり下がったりするんだよ」
「がんばったのに下がることもあるの?」
「それが人生でしょう?」
「いやあ」
「選択肢はだいたい “はい” か “いいえ” か “たたかう” か “まほう” か “ぼうぎょ” か “にげる” だよ。 “いやあ” なんて選択肢はないよ」
「いやあ」
「でも、そういうゲームがあっても面白いかもしれないけどね。ずっと“いやあ”を連打するだけのゲーム」
「売れないよ」
「売れない小説家にはお似合いだよ」
食材をたっぷり買い込み、マンションに戻ってくるころには雪は数センチくらい積もっていた。手が塞がって傘が差せないし、そもそも傘なんて持ってきてないので、私もフェっちゃんも雪まみれになっていた。私はフェっちゃんとちがって帽子をかぶってこなかったから髪がべちゃべちゃになって寒気がする。毛糸の手袋はしてたがそれも湿って冷たい。フェっちゃんがずいぶん心配して「帰ったらまずお風呂に入りなよ」と言ってくれた。やさしいところもあるんだなと少しじんとした。しかしこうしている間もポケットの中に女の子用の赤いピストルを忍ばせて私を脅しているのだ。私はどこまでお人好しなのか。
コバヤシの車はさっきと少し違う位置で停車していた。フロントガラスの雪はワイパーできれいによけられて、その奥から墓標のようなコバヤシがぺこりと頭を下げた。私は両手に持った食材の袋を持ち上げて、誘うつもりで首をかしげたが、コバヤシも首をかしげた。何に誘われているのかわからなかったのか、そもそも誘われてるとわからなかったのか。私自身コバヤシを何に誘ったのか謎だった。ディスコミュニケーションにより、慣れない善意は不発に終わった。フェっちゃんが私たちをガン無視ですたすたとマンションの入り口に入ったので私も後を追いかけた。
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