第37話 完全試合
王都より十日かけて、東の果てにあるラス神殿へ。
行軍は総騎士団長ステファン・リードが指揮し、先頭を普段は王城を守る白騎士団の精鋭が、殿を黒騎士団長ダニエル・ブラン率いる黒騎士団第一部隊が務めている。
中ほどを魔術師団と、白騎士団女性騎士がアリスを守りながら馬車を進めていた。
道中魔獣が出てくることもあったが、黒騎士団が狩っていく。
だが、日が進み神殿に近づくにつれそれも無くなっていった。
異変発見時は薄い黒い雲であったが、九ヶ月経った今では真っ黒になっていた。
しかし垂れ篭める程では無く未だ上空にあり、万年雪だけが溶けだしていた。
時空の歪みは広がっていたが、今なら最小限の労力で修復可能と見てとれた。
神殿周りに溜まった雪解け水は不気味な瘴気とは裏腹にとても澄んでいて、神殿を映す様はまるで鏡のようであった。
そして、魔獣もいなかったが草木の一本も生えておらずまるで生気の感じられない場所であった。
どこで救国の舞を舞うのか、神殿の中なのか、それとも山を登るのか、頭を悩ませる各団長達。
そこへ下見に訪れた聖女が鏡面湖のようになったそれを指差し、ここで舞います、そう言った。
理由を問えば、そうとわかる、それしか言わなかった。
王都を出立した時は頬を紅潮させ、どこか楽しそうだったアリス。
神殿に近づくにつれ、その顔から表情がどんどん失われていった。
急ぎすぎたのか、誰もがそう思っていた。
誰のどんな声にも背筋を伸ばし前を見据え、何をすればいいのかわかってるから大丈夫、それしか言わなかった。
アリスから聖女になった少女がそこにはいた。
劇的な事は何一つなかった。
白い一枚衣を体に巻き付け真っ赤な紅をひき、水面に足を踏み入れる聖女。
バシャバシャという水音すらどこか神々しく聞こえる。
中央に来ると聖女はなんの合図も無く舞い始める。
防御壁は既に展開している。巨大なドームのような中で優美に舞う。
一際高く跳躍した時水面に降り立ち、それがきっかけのように瘴気が降りてくる。
聖女の体から魔力が滲みでていく。
じわりじわりと指先から髪から腕から、降り立った水面には点々と魔力が残りそこからまた滲みでていった。
それは白くもあり、赤くもあり、また混じって桃色でもあった。
その魔力が緩やかに昇り始める。
まるで煙のようにゆらりゆらりとたち昇っていき、防御壁をすり抜け瘴気に消えていった。
水面全体をあちらこちら舞う聖女はまるで蝶のようでもあり、飛び跳ねるうさぎのようでもあった。
どのくらいの時間であったのか、瘴気に覆われたここでは陽の光も月の光もささないのでわからない。
たち昇った煙のような魔力は瘴気を徐々に晴らしていった。
上空の黒い瘴気が無くなり月明かりが見えた時、水面は聖女の魔力で埋め尽くされまるで巨大な月のようであった。
その上を滑るように舞いながら中央まで進んだ聖女は膝を折り水面に両手をつき囁いた。
『祝福を』
その一瞬で全ての魔力が集まり、歪みへと一直線に流れ消えていった。
空には輝く月と星が瞬くのみ。
それを見届けた聖女はその場に崩れ落ちた。
時が止まったような中、一人の男がバシャバシャと水音をならしながら聖女に歩み寄りそっと抱き上げた。
「・・・私、上手くできた?」
「・・・完璧」
アリスはふにゃりと笑い、そのまま意識を失った。
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