蕩けるような優しさが、吾輩の脳天を貫いた



 使用するのは、吾輩が持つ最上の魔術。


漆黒の業焔ヘル・フレイム


 対象を焼き尽くすまで決して消えない漆黒の焔を生み出す魔術だ。


 もちろん、邪神に向けることはしない。


 邪神の周りに数多転がっている焼き菓子を対象に発動する。


 すると――


 焼き菓子の傍に、赤色の花が咲いた。


 青、黄、白、桃。


 色とりどりの花が怒涛の勢いで咲き乱れ、みるみるうちに漆黒の床を塗り替えていく。


 数拍もしないうちに、召喚の間は花々に満たされてしまった。


 どこからやって来たのか、黄色の蝶々が花の間をひらひらと飛んでいる。


 ガクリ、と。


 吾輩は花畑の上に崩折くずおれた。


 想像は確信へと変わっていた。


 『るし・ふぁー』のせいで、吾輩の力は完全に変じてしまったらしい。


「るし・ふぁー、大丈夫?」


 いつの間にか、すぐそばに邪神が座っていた。


 左手に子犬を抱え、右手には棒付き飴を握っている。


 どこからそんなものを取り出したのかと思い、視線を巡らせてみると……何のことはない。そこかしこに生えている。


 どうやら吾輩の咲かせた花はただの花ではなく、飴細工でできているようだった。


「甘いものを食べたら、元気が出るの!」


 邪神が笑顔で飴を差し出してくるので、吾輩は無言で受け取った。


 そのままボーッと飴を眺めていると、邪神が吾輩の腕を両手で掴み、飴を口の中に突っ込ませた。


「……甘い」


 蕩けるような優しさが、吾輩の脳天を貫いた。


 ペロペロと飴を舐めながら、ヒラヒラと飛ぶ蝶々を眺める。


 ここは室内のはずなのだが、どこかから爽やかな風が吹いてくる。


 それどころか、小鳥のさえずりや川のせせらぎまで、聞こえてくる気がする。


 完全に意味不明だが、もはやそんなことはどうでもいい気分だった。



 ――



 邪神様と子犬、吾輩の3人で日向ぼっこをしていると、遠くの方から扉の開く音が聞こえた。


「……るし・ふぁー様、これはいったい?」


 困惑した表情で、ゲオルが花畑の中を歩いてくる。


「おー、いいところに来たなー」


 身体を起こした吾輩は、すぐ隣をぽんぽんと手のひらで叩いた。


「まあ、座れ」


 吾輩に言われた通りに、ゲオルは居心地悪そうに腰を下ろした。


「1刻お待ちしても出てこられるご様子が無いので、恐れながら見に来たのですが……」


「そうか、ありがとうなー。吾輩のことを心配してくれて」


 頭を撫でてやると、ゲオルは固い表情で吾輩から距離を取った。


「あ、あなたは本当に、るし・ふぁー様なのですか?」


 震える声で言ったゲオルは、ハッと何かに気付いたような顔になった。


 吾輩の隣で、子犬を抱きしめながら気持ちよさそうに眠っている邪神様へと、鋭い視線を向ける。


「まさかッ……お前が、るし・ふぁー様に何かしたのかッ!!」


 ゲオルを中心として、赤い闘気が波として広がった。


 木々が揺れ、小鳥が飛び去り、空の雲が吹き飛ばされる。


「わっ!? な、なにごとなの!!」


 ガバッと起き上がった邪神様に、ゲオルが怒りの言葉を――


「もがッ!?」


 言い放つ直前、吾輩は空から降ってきた綿菓子をゲオルの口に突っ込んだ。


「ひとまずこれでも食べて、落ち着け」


 もぐもぐと口を動かすたびに、ゲオルを覆っていた闘気が薄くなっていく。


「……るし・ふぁー様。なんだか私、気持ちが温かくなってきた気がします」


 綿菓子を全て食べ終えたゲオルは、恍惚とした顔でそう言った。


「うむ。落ち着いてきたようだな」


 吾輩がうんうんと頷いていると、邪神様がティーカップをゲオルに手渡した。


「これを飲んだら、さっぱりしていい感じなの!」


「これを……私に?」


 ゲオルは感激したように、両手でティーカップを受け取った。


 ズズッと中身を啜って、ほわあと吐息を漏らす。


「ああ……身体の隅々まで行き渡るようです」


「気に入ってくれて嬉しいの!」


「はい。邪神様、ありがとうございます」


 さっきまでの形相が嘘かのように、ゲオルはにっこりと笑顔を浮かべている。


 ――それから吾輩たち3人と1匹で、キャッキャウフフとお菓子を食べたり、輪になって踊ったりしていると、いつしか空が薄暗くなってきた。


「そろそろ、お家に帰らないとな」


 吾輩が苦渋の面持ちで言うと、各々残念そうに応えた。


「そうですね。もう暗くなりそうですし」


「むー、リリスが心配するから、わたしも帰るの」


「キャウン……」


 また明日遊ぼうと固い約束をして、今日のところは解散と相成った。



 ――



 執務室へ向かっている途上。


 廊下の窓から見える中庭は、夕焼けに赤く染まっている。


 どうやら、吾輩たちは召喚の間で5刻ほど過ごしていたらしい。


「……ゲオルよ」


「はい」


「お前も、正気に戻ったか?」


「……はい」


 吾輩は足を止め、ゲオルと真剣な顔で向き合った。


「どうやら、あれが吾輩の新しい力のようだ。……なかなか面白い力だと思うのだが、ゲオルであれば活かすことは可能か?」



 ○○○

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