最近、誰かに見られているような気がするのです



「ゲオルのものか?」


 腰を落として拾い上げる。


 間近に見ると、やはりゲオルのものだった。端の方に几帳面な文字で『ゲオル』と書かれている。


 ……おそらく、吾輩から小包を受け取った時に落としたのだろう。


 少しばかり興味が湧いて、パラパラと中身に目を通してみる。


 農業について、天候について、日々の気付き、数学について――


 一見、なんの脈絡もない雑多なことを綴っているようだが……思うに、重要な情報を暗号化して記入しているのだろう。


 万が一この手帳を他人に見られたとしても問題ないように。


 感心しつつ紙を繰っていると、突然余白の目立つページがあった。


 手を止める。


 そのページの上半分には、絵が描かれていた。


 美しい女性……というか、リリスだな。


 どうしてリリスの絵が?


 その答えは、ページの下半分に書かれていた。


『なぜ、と私は問う。

 なぜ、あなたを見てしまうのか。

 なぜ、あなたを考えてしまうのか。

 なぜ、あなたの近くにいたいと思うのか。』


 そっと、吾輩は手帳を閉じた。


 ……うむ。


 そういえば、リリスの趣味は香木や香油、線香などを集めることだったな。


 なるほど……。



 ――



「るし・ふぁー様」


 仕事を終え寝室へと向かうと、扉の前にリリスが立っていた。


 扇情的な服ではなく、薄青色の地味な服を着ている。


「こんな夜更けにどうした」


「るし・ふぁー様に、ご相談したいことがありまして……」


 モジモジしながらリリスは言った。


「相談?」


「はい。実は……最近、誰かに見られているような気がするのです」


 リリスによると、視線を感じるのは、決まって邪神の世話をしている最中だという。


 5日前、吾輩から世話を命じられた当初は問題無かったのだが、ここ数日、突然視線を感じるようになったのだとか。


 加えて、不可解なことまで発生している。


 砂糖の容器に辛子が入っていたり、蜂の大群が襲ってきたり、洗面桶の水が氷のように冷たくなっていたり――


 1つ1つは些細なものだが、それが幾つも積み重なっている。


「私の考え過ぎなのかもしれませんが……ひょっとしたら、何かが魔王城に入り込んでいるのかもしれません。邪神様の身に、もしものことがあったらと思うと……心配で」


 リリスの瞳は、不安そうに揺れていた。


「……気のせいだろう。魔王城に気付かれずに侵入できる者など、存在せぬ」


 冷や汗が背中を伝う。


 バ、バレていないよな? 腹芸は苦手なのだが……。


 永遠にも感じられる時間の後に……リリスは儚く笑った


「そう、ですよね」


 ペコリと頭を下げてくる。


「夜遅くに失礼いたしました。るし・ふぁー様にお話を聞いていただけて、少しだけ気持ちが軽くなった気がします」


「……ああ。それは良かった」


「はい! それでは、ごゆっくりお休みくださいませ」


 再度頭を下げて、リリスは吾輩に背中を向けた。


 腰の翼が心なしかしょんぼりしているように見えて……。


「リリス」


 思わず、呼び止めていた。


 振り返るリリスの顔を見返しつつ、何を言おうかと頭を巡らせる。


「――そうだ。しばらくの間、護衛を付けるのはどうだ?」


「護衛、でしょうか?」


「うむ」


 思い付きで言ったことだが、我ながら素晴らしい考えだ。


 口元が緩みそうになるのを堪え、生真面目な表情で続ける。


「ゲオルを数日間護衛に付けよう。あいつは幻惑魔術の達人。仮に何かが潜んでいるのなら、必ず見つけ出すことだろう」


「ですが……ゲオル様はお忙しいですよね? 私などの不安のために、そこまでしていただいてもよいのでしょうか?」


「気にするな。邪神様の身の安全は、何よりも重大なこと。リリスが何かを感じたのなら、1度しっかりと確かめてみるべきだ」


 もっともらしいことを言っておく。


 まあ、侵入者などいないことは分かっているが、ゲオルには普段から世話になっているからな。


 この機会を生かすも殺すも、自分次第だ。


 それに、邪神の近くにゲオルが居てくれると、吾輩にとっても都合がいい。


 そんな吾輩の思惑は露知らず、リリスは見惚れるような笑顔を浮かべた。


「るし・ふぁー様……ありがとうございます!」



 ○○○

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