ゲオルよ。お前は、いい部下だ。



「るし・ふぁー!!」


 椅子から立ち上がって、トテテと食堂を駆けてくる。


「よかった! ずっと心配してたの!」


 そのまま抱き着いてきそうな勢いだったが……邪神様の前に立ちはだかる者がいた。


「魔王るし・ふぁー様に、指1本たりとも触れさせないぞ!!」


 ゲオルだった。


 邪神様は戸惑った様子で、ゲオルの顔を見上げている。


「な、なんでなの?」


「邪神様だか何だか知らないが、私が忠誠を誓っているのは魔王るし・ふぁー様ただ1人!! お前のような危険な存在を、近付けるわけにはいかない!!」


「わたし、何もしないもんっ!!」


「魔王るし・ふぁー様が1ヶ月も昏倒されていたのは、誰のせいだと思っている!! お前のせいだろう!!」


 赤色の闘気を出しながら、邪神様のことを怒鳴りつける。


「……お、おい」


 吾輩がゲオルをたしなめようとした時だった。


 ぽろり。


 宝石のような涙が、邪神様の瞳からこぼれ落ちた。


 「サイテー」「ゲオル様ってほんとダメよね……」「邪神様、かわいそう」そんな声が、食堂中から沸き起こる。


「わ、私はただ……」


 ゲオルは分かりやすく動揺していた。


 ゲオルは頭の堅い男だが、それは誠実さの裏返し。規則は必ず守るし、任務以外で嘘を吐くこともない。城の清掃を隠れてしていることも、吾輩は知っている。


 だからこそ、見た目は少女の邪神様を泣かせてしまったことに、大きな衝撃を受けているのだろう。


「ゲオル」


 肩に手を置いて、ゲオルを後ろに下がらせる。


「部下の非礼をお許しください」


 邪神様の正面で吾輩はひざまずいた。


 見た目はアレだが、この少女はいちおう邪神様だ。


 吾輩など足元にも及ばない力を持っている……はず。実際、吾輩は何をされたかも分からないまま、1ヶ月も昏倒させられたわけだしな。


 見た目はアレだが、腐っても邪神様。


 畏れをもって接するべきお方だ。


 そう自分に言い聞かせながら、吾輩は頭を垂れた。


 食堂には、沈黙が満ちている。


 どうやら、みなも気付いたようだ。邪神様はか弱き少女などではなく、魔王たる吾輩が頭を垂れる存在なのだと。


 沙汰さたを待つ吾輩の頭に……小さな手のひらが乗った。


「ちゃんと目が覚めて、よかったの」


 心底からほっとしたような声音。


 温かい指先で吾輩の額に触れながら、邪神様はその場にしゃがみこんだ。


 赤い瞳で、吾輩の目をのぞき込む。


「おでこ、まだ痛い?」


「……いえ、もう痛みはありません」


「他はどう? お腹とか、痛くない?」


「はい。不調な部分はどこにもありません」


「よかったぁ……」


 ほっと息をついて、邪神様はにこりと笑顔を浮かべた。


 それはまるで、そこらにいる普通の少女のように見えて――


「邪神様」


 掻き消えそうになる敬意を寄せ集めながら、吾輩は真面目な表情で続けた。


「大変失礼なことだと承知しているのですが、どうしても、邪神様にお願いしたいことがあるのです」


 邪神様は、きょとんとアホ丸出し……慈愛のこもった顔をした。


「わたしにお願い?」


「はい。……邪神様からいただいた名についてなのですが、別の名に変えていただけないかと……」


「えっ」


 邪神様は大きなお目々を見開いて、こてんと首を傾げた。


「……わたしの付けた名前、イヤだった?」


「いえ! 邪神様からいただいた名を嫌がることなどあり得ません! 素晴らしい名を付けていただき、大変感謝しております!」


 視界の端に、頭を小脇に抱える首無騎士が見えた。顔がニヤリと笑っている。


 ……くそッ。なんたる屈辱だ。


 怒りを歯の奥で噛み締めつつ、愛想笑いを顔に張り付けていると――


「ほめてもらえて嬉しいの! るし・ふぁーが呼んでくれるまで、ずっとヒマだったから、がんばって考えてた名前なの!」


 キラキラした心の底からの笑顔で、邪神様はそう言った。


 周囲から感嘆のため息が漏れ聞こえる。


 見ると、夢魔や魔女たちが、揃いも揃ってうっとりとした表情を浮かべている。


 それを微妙な気持ちで見やってから……吾輩は深く頷いた。


「邪神様がご深慮された名だからこそ、これほど素晴らしいものになったのですね。そのような名をいただけるなんて、身に余る光栄でございますなぁ」


 歯の浮くような台詞を、アホな邪神はにこにこしながら聞いている。


「ですが――」


 吾輩は悲しみに満ちた表情を浮かべて、後方――そこに立つゲオルを指差した。


「吾輩の部下が、別の名がよいと言うのです」


 「なっ!?」という声が聞こえるとともに、女性陣の鋭い視線が1点に集まった。


 ……ゲオルよ。お前は、いい部下だ。


 胸を熱くしながら、邪神の赤い瞳を見据える。


「今の名も素晴らしいと思いますが……部下が言うには、威厳が足りないと。言われてみればたしかに、人類どもが恐れる名としては、少々方向が違うかもしれないと、吾輩も愚考いたしまして……」


「んー? ぐこう?」


「……もっと、聞いた者が恐怖におののくような名がいいのではないかと、部下に進言されまして」


「こわい名前がいいってこと?」


「はい」


 吾輩が頷くと、邪神はちょっぴり不満そうな顔をした。


「かわいいのに……」


「吾輩もそう思います。ですが、それは魔王の名に相応しくない!! ……と部下に進言されたのです」


 吾輩は頬を引き攣らせながら、媚びるような声で言った。


「……別の名に、変えていただけないでしょうか?」



 ○○○

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