流れ流れて流されて〜悪いことをすると天罰が下るそうですよ〜
神伊 咲児
流れ流れて流されて〜悪いことをすると天罰が下るそうですよ〜
フィエナは伯爵家の娘だったが、孤児でもある。
彼女の実母は病気で他界し、父が再婚するも、戦場で命を落としてしまったのだ。
フィエナは義母の連れ子となり、義母は再婚した。
つまり、血の繋がりの無い親を持つことになったのである。
「流れ流れて、おかしな関係になってしまった」
と呟くのは、皿洗いをするフィエナだった。
これは義母の命令である。
彼女は朝から晩まで働かされていた。
「お嬢様。次は洗濯。その後は床掃除ですよ」
メイドたちも主人から命令を受けているので逆らえない。
いつしか、平然とフィエナに命令することになった。また、彼女を使うことで自分たちの仕事が楽になるので助かっていたのだ。
フィエナといえば、
「はいはい」
と、やる気のない返事を返す。もう慣れてしまったので何も感じなくなっていた。
部屋に戻れば家事の疲れで熟睡である。
夜が明ければ、早くから起こされて、再び屋敷の家事をする日々が続く。
食事は必要最低限。お風呂なんか1週間に1度である。
フィエナが、酷い仕打ちをされるようになったのには理由がある。
20歳の誕生日をきっかけに、領土の所有権が発生してしまったからだ。
王都の法律は厳しい。法を犯せば、爵位は剥奪。恐ろしい人喰い狼がいる離れ小島に島流しをされるかもしれないのだ。
よって、フィエナが主張をすれば、彼女は領土の3分の1を取得することができた。これは、爵位でいえば子爵ほどの収入が得られる広さである。
義理の両親は、フィエナに領土を取られまいとして策を講じた。
それが、彼女に家事をさせることだった。法律について知識を得ないよう、勉強をさせないようにする対策だったのだ。
その為、寝床といえば本のない屋根裏部屋に移された。一切、勉強ができない環境になってしまったのだ。
便宜上は親が子供にする躾ということらしい。
「でもさ。無理があると思うんだ」
などと、フィエナは洗濯板にシーツを擦りつけながら呟く。
(私だってバカじゃない。母が亡くなった時から、少しずつ法律の知識は蓄えてきたんだ。領土の所有権については十分に理解している。今更、勉強させないように家事をさせても遅いよ)
彼女は理解していた。
権利を主張すればこの屋敷を出れること、そして、義理の両親が自分にやっている仕打ちを。
それでも縁を切らなかったのには理由がある。
(この屋敷がね。私と父さまと母さまの、唯一の繋がりなんだよね。だから、絶対に離れたくはない)
そんなことを思いながら、義理の両親から無茶な命令を受ける日々が続く。
そんなある日。
義父が歓喜の声をあげた。
「フィエナ。縁談が来たぞ!」
(縁談?)
それは隣国の公爵、アーベルト家との婚約だった。
相手は46歳。フィエナとは26歳も離れていた。
「とても使い物にならん娘だったが、やっと役に立ってくれる」
「本当にね。血の繋がりがない孤児を面倒みてやったんだもん。親孝行をしてもらわなくちゃ」
なんでも、その公爵様というのは大変な権力者で、王室とも密接に関係があるらしい。欲深い義理の両親は、それはもう大喜び。
こうなると、いよいよ権利を主張する時である。
せつな。
義母が嫌らしい笑みを浮かべてこう言った。
「あなたが結婚すればね。このボロ屋敷はあなたにあげるわ」
思ってもみない提案だった。
フィエナの嫁入りにより、義理の両親にはアーベルト家の領土が手に入る。2人はそこに大きな屋敷を建てて住むことになっていたのだ。
また、フィエナがこの屋敷に思い入れがあり執着しているのは知っている。彼女が主張をすれば縁談は破断してしまう。よって、その気持ちを利用したと言ってもいい。
願ってもない提案に、フィエナは婚約を了承した。
そうなると、気になってくるのは公爵様のことで。
(46歳って、すごく年が離れてるけどさ。まぁ、男っ気のない私だからな。それに見た目はちんちくりんだしね。貰ってもらえるだけありがたいことなのかもしれないわ。しかも公爵様だもん。きっと良い待遇よね)
と、心躍らせた。
アーベルト家は、信仰の関係で嫁入り前の女が、婿になる者の家に泊まることになっている。1週間過ごして、屋敷のルールを学ぶのである。
(家事から解放されて、あの屋敷も自分の物になるんだから、一石二鳥ね。一週間我慢すれば良いだけだわ)
初めはそうは思っていたフィエナであったが、アーベルト家に向かう途中の馬車の中、ふと気がついた。
(そう言えば、結婚したら夫婦の営みがあるな……。えーーと。こういうのは────)
恋愛は本の中の出来事。
自分の人生にそういったことが想像できなかった彼女は、
(我慢だな。うん。我慢)
と、いう考えに帰着した。
しかし、長旅は脳の緊張をほぐすもので、
(待てよ。私だって、素敵な人と結婚する権利は、少しくらい、爪の垢くらいはあってもいいんじゃなかろうか? だから、なんというか……。公爵様は46歳だけどさ。カッコいい感じの人で、笑うと白く整った歯がキラリと見えて)
『やぁ。はじめましてフィエナ』
キラキラキラーーン!
(みたいなさ。目はパッチリ二重で、鼻はシュッと高くて……。えーーと。でも目尻には年相応の皺があってさ……。ふふふ。そういうパターンだって考えられるんだ)
彼女の妄想は馬車の中で膨らんだ。
アーベルト公爵の屋敷に到着する頃には、子供は3人まで、ということになっていた。
「うわぁ。立派な屋敷だな……」
「長旅でしたね。ご苦労様です」
「え?」
馬車の前に立っていたのは金髪の青年だった。
目はパッチリ二重で、鼻も口も輪郭も、いわゆる精悍な顔立ち。
脚はスラリと長く、身長は180センチを超えているだろう。
「あわわわわわ……」
(嘘でしょ? こ、この人は、イケメンではないですか! でもどうしてこんな人が?)
「あなたが僕の母親になる方ですね。随分と可愛いらしい人だ」
(か、か、可愛いだなんて……。あ、まずは自己紹介か!)
「フィエナ・フォン・バーレンシュダインです」
と、頭を下げた後に気が付く。
「──は、母親? さっき母親って言いましたよね?」
「僕は息子のノアン・デール・アーベルトです」
「ああ……」
(息子さんだったのか。道理で若いと思ったよ。しかしこんな人が私の子供になるって?)
ノアンはフィエナの荷物を持ちながら、
「その様子では僕の話は知らなかったようですね。父は母とは死別しているのです」
「そうだったのですね」
(再婚だったのか……。別にそれはいいけどさ。そうなると、彼は父親に似ているってことか。この人に少し皺を足したような感じかな。えーーと。子供は5人までオッケーです)
客室に案内されたフィエナはフカフカのベッドに腰掛ける。
「悪くない……」
(1週間我慢すれば、あの屋敷は私の物になる。結婚すればここに住むけど、あの屋敷は別荘にしてもいいかな?)
などと考えていると、ドアが勢いよく開けられた。それはノックもされずにである。
入って来たのは中年の男。
その顔は醜く、体は豚のように贅肉の塊だった。
「ぶへへ。お前がフィエナか」
「え? え?」
(ひぃえええええ……。こ、怖すぎる。一体何者なの??)
「ワシがここの主人さ。つまり、お前の夫になる男だよ。ブヘ」
(えええええええええええええええええええ!?)
アルバート公爵はフィエナの顎を掴んだ。
「ほぉ。美しい娘だなぁ」
そう言ってジュルリと舌なめずりをする。
彼女は何も言えず固まってしまう。
(ひぃええええええええええええええ)
「若く美しい嫁がどうしても欲しくてな。しかし、神の前では冒涜は許されぬ。ブヘヘ。お前の体は婚礼が済んでから楽しむとしようか。ジュルリ」
(ヒィイイイイイイイイイイイ……)
彼女は崩壊しそうな自我を制御するように言い聞かした。
(我慢。我慢。我慢。我慢。我慢だぁあああああ!)
男が出て行った後は放心状態である。
「……ああ。こんな展開なんだ。ぜ、全然……似てない。親子なのに全然似てないんだ……」
混乱の最中、『ノアンも将来はあのような醜悪な見た目になるのだろうか?』と絶望する。
そして、
(こ、子供は作りたくないな)
そんなことを思っていると、今度は従者が5人も入ってきた。公爵同様、ノックもせずに、である。
「旦那様のご命令です。お嬢様は地下室にお入りください」
「ち、地下室??」
そこは物置部屋を改良して作られた地下室だった。
暗く、ジメジメとした場所である。
窓には格子がはめられて、扉には鍵がかかっている。
灯りといえば灯籠の火と、小さな窓から見える僅かな日の光だけ。
窓は天井近くについており、そこから見える景色は、芝生と時折通る馬の蹄だけだった。
従者は冷たい言葉で言い放つ。
「1週間はここに入っていただきます」
「どうしてこんな所に入らなければならないのですか?」
「あなたが逃げないためです」
(こんなことしなくても逃げないのに……。まぁ、でもあんな主人じゃ逃げたくもなるか)
「神事のことなど、勉強が必要と聞いていたのですが?」
「この部屋でやっていただきます。後に担当が参りますので」
そう言って去って行く。
流れ流れて、こんなことになってしまった。
フィエナは自分の運命を嘆いた。
しかし、こういうもんだから仕方ないか。という諦めの境地にも達していた。
実の両親を失った彼女は、生きる楽しみを見出せないでいたのだ。ただ穏便に、つつがなく暮らせれば良い。それが彼女の願いだった。
日が暮れて、窓から見える明かりが無くなった頃。お腹が鳴る。
(食事は貰えるのだろうか?)
そんな不安を抱えた時。
ノアンが食事を持って来た。
扉には鍵がかかっており、その鍵は公爵しか持っていない。
よって、食事は扉の下の小窓から中に入れる仕組みとなっていた。
フィエナは温かい食事に安心する。
クリームシチューを口に入れると、くよくよしていた気分が幾分かマシになった。
「フィエナさんの教育係には僕がなりましたから、困ったことがあったらなんでも話してくださいね」
「ありがとうございます」
「……こんなことになってごめんなさい」
「大丈夫です。酷い仕打ちには慣れてますから」
「慣れてる?」
(あ、しまった)
フィエナは、こんなことを言うつもりはなかった。
しかし、暖かい食事に気が緩んだのである。
「どういうことですか? 良かったら聞かせてください」
彼は扉の前で座ってしまう。
「しかし、こんな話。長くなってしまいますよ?」
「構いません。僕はあなたの話が聞きたい。良ければ聞かせてくれませんか?」
フィエナはベッドのシーツを取り出した。
それを食事を通す小窓へと差し出す。
「これを使ってください。お尻が冷たいです」
ノアンはそのシーツを受け取り、床に敷くことにした。
そして、フィエナは義理の両親の話をする。
こんな状況になったので、洗いざらい、意地悪をされていたことなど、全て話してしまうのだった。
「辛いことがあったのですね。それなのに、この屋敷に来てもこんな目に合うとは思ってもいなかったでしょう」
「そうですね。驚きました。でも、家事をしなくていいのは楽かもです」
「あなたは強い人ですね」
「気楽なだけですよ」
「……僕はあなたに助けられています」
「え? それは私の話では?」
(食事をもらって、身の上話まで聞いてもらったし)
「あなたが泣き崩れ、会話もできない状態なら、僕は悲しみと怒りで気が気でならなかったでしょう」
(この人……。優しい人だな。公爵とは似ても似つかない。それに……)
フィエナは気になった。
「怒りって言いました? どうしてあなたが怒るのですか?」
「公爵の横暴さには嫌気が差しているのです。婚約者をこんな場所に閉じ込めるなんて異常ですよ」
(なるほど。確かにそうか。でも、本当に似てないなぁ)
「公爵は、僕の本当の父親ではありません。僕も、あなたと同じ義理の親なのです」
(やっぱりねーー! だって1ミリも似てないんだもん。なんか良かったーー!)
「僕は母の連れ子でした。再婚して彼が義父となったのです。そして母は病にかかって亡くなってしまった」
「そうなのですね。それは辛い」
「あなたの方が辛いですよ。こんな所に閉じ込められて」
「でも、暖かい食事が貰えて、あなたと話ができるから、今は随分とマシですよ」
「強い人ですね。そして優しい……」
そう言ってノアンはシーツを握る。
「あなたになら全てを話せそうです」
彼は公爵のことを話し始めた。
強欲で意地の悪いこと。王室や、各方面の権力者に精通していて傍若無人であること。
そして、フィエナとの婚約は隣国の領土を自分の物にするためであること。
気がつけば夜は更けていた。
「長話になってしまいましたね。今日はゆっくりと休んでください」
彼は優しく「おやすみなさい」そう言って立ち上がる。
「あ、そういえば勉強はしなくて良いのですか?」
「……そんなことしなくも構いません」
「……お、怒られないのですか?」
「あなたは本当に優しい人だ。こんな目に遭っているのに僕の心配ですか?」
「そんなんじゃないけど……」
(この人が怒られたら、なんか嫌だ)
「何も気にせずにゆっくり休んでください」
次の日。
食事は彼が持ってくるようになっていた。
その度に会話をして、互いに仲を深める。
いつしか、扉を背にして腰をかけ、居心地の良い時間になっていた。
ノアンの年は27歳だった。
フィエナとは7つも年が離れている。
にも関わらず、彼女が彼の義母になるのだ。
なんとも不思議な関係だった。
3日目からは君付けである。
「ノアン君と話すのは楽しいよ」
「僕もフィエナさんと話すのは好きです」
「1週間後にはここを出て結婚式だもんね。そうなったら扉が無くても話しができるね」
ノアンとは様々なことを話した。
幼少時代のこと。好きな遊び。失敗した笑い話など。
奇妙なことだが、彼女にとって、この監禁生活は幸せな時間だった。
異性と、こんなにも密に話すことはなかったからである。
そうして、瞬く間に1週間が過ぎた。
お昼。
2人はいつものように扉越しに座る。
「ああ。今日で監禁生活も最後か。ノアン君とこうして扉越しに話すのも最後なんだね。……まだ、夜があるけどさ」
(なんだか寂しいな。結婚式が終われば晴れて親子になるわけだけど、今とは感覚が違うような気がする。今は、その……。男女の関係というか……。彼とは話しが尽きないけどさ。今晩は最後だし、思い切って聞いてみようかな? き、禁断の恋バナ。素敵な人だし、きっと良い人とかいるのだろうけどさ。そういうのは義母としては喜ばしいことだとは思うんだけどね)
「今晩は来れません。なので、話すのは今が最後になります」
「え!?」
「調べていた仕事が纏まりそうなのです」
「そ、そうなんだ……」
「安心してください。明日の朝にはこの部屋から出れますから」
「う、うん」
(そうか……。今晩はお話できないのか……。そうか……)
「なにか気になることでもありますか?」
「え? あ、ううん。えっと……。小さい時は川遊びとかしたんだよね。近所の川には鱒が泳いでるのよ。お父様と釣りに出かけたりしてね」
「そうなのですね。僕も川遊びは好きですよ」
と、恋バナとは程遠い会話をしてしまうフィエナであった。
そうして、去って行く、ノアンの足音を聞く。
(うう。川遊びの話で終わっちゃったなぁ。楽しかったけどさ……)
夜。
夕食を持って来たのは公爵だった。
「ぶへへ。明日は体をよぉく洗っておくんだぞぉ。式が済んだら寝室に行くんだからなぁあああああ。ぶへへへぇえええ!!」
ジュルリジュルリと舌なめずりの音が聞こえる。
(ひぃええええええええええええええ!!)
フィエナはベッドのシーツに包まってブルブルと震えた。
「我慢、我慢、我慢だぁああああ!!」
いつもそうやって過ごして来た彼女だが、この時だけは違った。
溢れ出る感情が止まらなくなって、ボロボロと泣いてしまう。
(なんでぇええ!? なんで泣くの私ぃ?)
こうして夜が明けた。
「ああ、結局、一睡もできなかったな」
と、立ち上がった時である。
けたたましい蹄の音が部屋中に響いた。
小さな窓から見えるのは馬車と数頭の馬。
(結婚式の用意なのかな? 随分と忙しいけど?)
暫くすると扉越しに声がする。
「フィエナさん。入っても良いですか?」
それはノアンの声だった。
鍵は公爵しか持っていないはず。
そんな扉を彼が開けてしまう。
「フィエナさん。助けに来ました」
「た、助けに……って?」
彼の後ろには3人の衛兵たち。
(え? どういうこと??)
彼女はノアンに連れられて1階へと上がった。
そこには縄に括られた公爵の姿があった。
衛兵は条文を読み上げる。
「伯爵令嬢の監禁。並びに、脱税、横領、婦女暴行、殺人、窃盗の容疑でアーベルト公爵を拘束する!!」
フィエナは意味がわからない。
「あ、あの……。これはどういうことなのかな?」
「昨日の昼に、やっと全ての証拠が揃ったのです」
「そういえば仕事が纏まったって言ってたね」
「公爵の悪事を暴くのに3年かかりました。奴は僕の父を殺害し、財産と母を奪ったあげく、母も毒殺したんです」
「ええ!?」
「僕は証拠を揃え、王室に調査の協力を仰ぎました。ところが、格好たる証拠が乏しい殺人事件の調査は難航するばかり。そこで、公爵がやっていた脱税と横領、婦女暴行などの罪を立証しました。しかし、それでは奴に極刑を与えることはできません」
フィエナは凄まじい話に息を飲むばかり。
「そこであなたのことを利用させてもらったのです」
「え? 私、利用されていたの?」
ノアンは深々と頭を下げる。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」
「え? え? どういうこと?」
「あなたの監禁を王室に報告し、既成事実を作ったのです。本当は脱税と横領が分かった時点であなたを解放することはできたのです」
「ああ、なるほど。頭いいね。それなら余罪で殺人事件のことも調べてくれるかもしれないもんね」
「本当に、本当に、申し訳ない!!」
「いいよ、いいよ。気にしないでよ」
(楽しい1週間だったしね)
公爵は叫ぶ。それはガマガエルのように大量の唾を飛散させて。
「フィエナぁああ! 貴様は俺の妻だろうがぁあああああ!! 助けろぉお!! 俺を助けろぉおおおお!!」
彼女は、恐怖のあまりに腰を抜かした。
こんなにも男の人に怒鳴られたことはなかったからだ。
(ヒィイイッ!!)
その瞬間。
ノアンの拳が公爵の頬に炸裂する。
「ぶべらぁああああッ!!」
公爵の歯はボロボロに飛び散り、鼻血を出して吹っ飛んだ。
彼は公爵に向かって言い放つ。
「フィエナさんを、これ以上傷つけるな!」
呆然と座り込むフィエナ。
恐怖と驚きで脚に力が入らない。
そんな彼女を、ノアンは軽々と抱きかかえた。
「え? ちょ!?」
「驚かせてごめんなさい。部屋まで運びます」
彼女は、綺麗な客室のフカフカベッドに運ばれる。寝不足だったので熟睡だった。
それから数日が経つ。
アルバート公爵の屋敷はガラリと変わった。
従者は全て解雇になり、総入れ替えである。
義父に代わって、ノアンが公爵となった。
罪人となったアルバート元公爵は絞首刑である。
更に数日後。
フィエナは家に帰ることになったのだが……。
(このまま帰っても、また辛い家事が待っているだろうしな。なんならずっと監禁してくれてた方が楽しかったんだけど)
などと、思いながらも荷物を纏める。
と、そこにノアンがやってきた。
「フィエナさん。片付きましたよ」
「え? ああ、荷物は纏めましたから、いつでも帰れますよ」
「そうではなくてですね」
「はい?」
「あなたの義理の両親について、調べさせてもらったのです」
「な、何を?」
「あなたに与えていた陰湿な仕打ちについてです。あなたは20歳。これは立派な不敬罪だ」
「ああ……。でも立証は難しいでしょ? 知らないって言われたらそれまでだし。権力に屈服してる従者は主人に口裏を合わせるだろうしね」
「そこでお金の流れを調べました」
「え?」
「義理の娘とはいえ、外道の所業ですからね。そうしたら、嫌というほど出て来ましたよ。脱税、横領、文書偽装。その他、10以上の犯罪です。残念ながら極刑にはもっていけませんでしたが、爵位剥奪、島流しとなりました」
「……それで、その2人はどうなったんです?」
「今頃は離島で暮らしていると思いますよ。人喰い狼がウジャウジャいるね」
(この件については同情の余地はない。彼らには愛情なんて微塵もないし、なにより好き放題やられていたのだから。じゃあ……)
「あの屋敷は私の物になったのね」
「そうです。王都の法律では貴族は世襲制です。なのでフィエナさんが伯爵を継ぐことになるのです」
「私が伯爵なんて務まるかな?」
「大丈夫。僕がついてるので安心してください」
「……う、うん」
(頼もしいな。本当に安心できる。あ、でも……)
「使用人たちはどうしよう? 私を使ってきた人たちだからな。今更、私が主人になるなんて気不味いだろうし」
「心配ならば僕に任せてください」
「じゃあ、甘えてもいいかな?」
「喜んで引き受けます。それでは落ち着くまで、この屋敷でゆっくりしていてくださいね」
数日後。
「フィエナさん。全て片付きましたよ」
「ありがとう。結局どうなったの?」
「全員、クビにしました」
「え!?」
「調べたところ、あなたを良いようにこき使っていたようですからね。十分に不敬罪ですよ」
「で、でも。主人の命令に従っていただけよ」
「でも口調が随分と厳しいようでしたからね」
「そ、そんなことまで調べたの?」
「勿論。あなたのことは全部知りたいですから」
「え?」
ノアンは頬を染めて咳き込む。
「コホン……。ですから、罪を問わない代わりに退職金をゼロにして辞めてもらいました。禁錮10年よりそっちの方が良いと思いますしね」
「そうなんだ」
「新しい使用人は、僕が信頼のおけるところから手配しました」
「そんなことまでしてくれたの? ありがとう」
「いえいえ。あなたがいてくれたおかげで僕も解放されたんです。まだまだお礼はしたりませんよ」
「もう十分よ」
(ああ、これから1人暮らしかぁ……。信頼できる使用人がいるとはいえ、寂しいな)
フィエナはモジモジした。
(こんなことを言ったら嫌われるだろうか? 友達として、定期的に会うとか、手紙のやり取りがしたいとか……)
彼女は奥手である。こういったことには慣れていないのだ。
少しだけ沈黙。
奇妙な空気が流れる。
口を開いたのはノアンの方だった。
「フィエナさん」
「は、はい」
(ぶ、文通とかしたいかも! ダメかな? ウザいかな?)
「僕と結婚してください」
「………………………へ?」
彼はしゃがみ込み、彼女の手を握った。
「僕はあなたのことを心から愛しています。初めてあなたと会った時から、あなたが馬車を降りた時から、僕の心はあなたに奪われていたのです」
「ええええええええええ!?」
「異性に対してこんな気持ちになったのは生まれて初めてです」
(はわわわわわわ)
混乱するフィエナだが、ノアンは真剣な眼差しで彼女を見つめるだけだった。
「あ、あの……。私なんか、なんの取り柄もないし、美人じゃないし、とてもノアン君には釣り合わないよ!」
「そんなことはありません。あなたはとても強い人だ。あんなに酷い目に遭ったのに涙一つ見せなかった」
(式の前日は号泣してたんだけどな……)
「そして、何より優しい。いつも周りのことに気を遣ってくれている。本当に素敵な人です」
「で、でもでも、見た目はチンチクリンだよ? 美人じゃないよ?」
「とても可愛くて、美しいです」
「うう……」
「どうか、結婚してください」
ノアンは頭を下げた。
フィエナは落ち着きを取り戻しながら、
「本当に? 私なんかでいいの? 後悔しない?」
「あなたしかいません」
「う、うん。じゃあ、いいよ」
「本当に?」
「う、うん」
「ありがとう!」
ノアンは彼女を抱きしめた。
フィエナは真っ赤になりながら、
「敬語ってさ。なんだか硬い気がするんだけど?」
「じゃあ呼び捨てでも良いですか?」
「うん。私はノアン君って呼ぶけどね」
「ありがとうフィエナ」
そして、体を引き寄せた。
彼の瞳にはフィエナが映る。
「……ち、近くないかな?」
ノアンの目は真剣だ。
「フィエナ……好きだ」
そのまま顔が近づく。
「あ、あの……。ノアン君。1週間はこういうことはダメなんじゃなかったっけ?」
「その辺は僕に任せください」
「…………」
(流れ流れてこうなったけどさ)
フィエナはゆっくり目を閉じた。
(流されるのも悪くない)
こうして、2人は結婚して、フィエナの屋敷で暮らすことになりました。
5人の子宝に恵まれて、それはもう幸せな人生だったということです。
お し ま い。
流れ流れて流されて〜悪いことをすると天罰が下るそうですよ〜 神伊 咲児 @hukudahappy
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