雨を愛す 8
“きみはぜんぜんヤサシクない”
みんなから蔑まれているおんなのこがいる。べつに悪いこころを持っていたり、疎まれる性格をしているわけではないけれど、あの子は周りと比べて決定的に“何か”が足りない。青い海に住んでいるのにエラをもっていない。空を我が家とするのに羽を持っていない。にんげんとして生きるために必要なものをママの子宮のなかに忘れてきてしまった。キキはそんなおんなのこ。ふしあわせなことに、キキはじぶんでそのことに気がついていない。けれど、みんなはうすうす気がついている。何かが足りないキキ。せめて自覚があったなら隠すことだってできたのにね。
そんなかわいそうな女の子が、傘をとられて茫然としている。蟻の行列の前に大きな石を置いてみるような、子どもらしい浅はかな悪意。ぼくがそんな気持ちで傘をかしてあげた次の日。まだ誰も子ども達の来ていない早朝。校舎に入ると、傘立てにあった自分の傘が目に入る。キキは使わなかったんだな、と思って、傘立てから抜き取って、青空に向かって羽を広げる。なんでそうしたのかはわかないけれど、予感のようなものがあったのだと思う。受信の予感。キキのその言葉は、黒い傘に真白いペンで書かれてあった。
「きみ、はぜんぜん、ヤサシクない」
ねえキキ?ヤサシイ、きよらか、あい。ぼくはそんな言葉虫唾が走るほどきらいだよ。おかしくて傘を仕舞う。青い空に不吉な黒い棒が突き刺さる。ねえ神さま、笑っているでしょ?
ぼくたちの生きる場所はいったいどこにあるのだろう?
⭐︎
キキが死んだのは日曜日だった。ぼくは月曜日の朝、リビングで眠ったままのキキに毛布をかけて、まだ子どもたちのきていない学校にひとりで向かう。空も凍える早朝。草木は薄い氷を纏っている。正門で先生と出会ってあいさつをする。町の小さな木造の学校。教室につくと、空の灯油缶を補充するふりをして、先生たちの車からこっそりガソリンを抜きとる。教室のストーブに灯油をいれるフリをしてガソリンを詰める。手元がすべったふりをして床にこぼす。すべることを面白がって、みんながそのうえを歩いた。マジメな子は、先生に告げに行こうとしたけれど、キキをとくにいじめていた女の子がそれを制した。さいしょから最後まで、わるいこだった。じごうじとくだよね。
ああまだだれも、キキが死んだことをしらないんだ。ぼくの手が止まったのは、それを考えたときのたった一瞬だけ。教室の窓からみえた空は、抜けるように青くて、あのずっと果てにキキがいるような気がした。あとは表情をつくって、頭は水を張ったように冷静で、手を動かし続けた。みんなおばかさんだね。だれもぼくの思惑に気が付かないのだもの。
最後にあの子にガソリンをかけたとき、その見開かれた目を見てふと思う。ねえキキ、ごめんねきみのために、なにもしてあげられなくて。でもせめて灰に帰すよ。そうして、とくにきみを執拗にくるしめた、あの子だけは、燃やしてみせるからね。
赤々と燃える炎は人のたましいをいちおくにんぶん集めたような勢いがあったよ。
これでぼくは生まれ変わってもきみと出会えないね。きみと結婚する約束はこんりんざい果たされない。でも大丈夫だよ。せかいは広くてきみはもっともっと優しくてかっこいい人に出会えるから。燃え盛る炎と悲鳴につつまれて祈る。安心しておやすみなさい。きみにとびきり素敵な夢を神さまが見せてくれますように願いを込めて。
ララより。
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