第9話
槙村市之丞。オレが昔所属していたサッカーのジュニアユースのときのチームメイト。怪我で辞めたオレとは違い、奴はそのままユースに上がり、いまだにオレにサッカーに戻る様勧誘してくる。まあ、土日の宗教おばさんみたいな奴だ。そのしつこさは、昼休みには必ずコイツが来るから、みんな昼休みだけはオレに話しかけてこないほど。サッカーの上手い奴の大半がそうである様に、コイツもとても癖がある。
オレは苦虫を五百回くらい噛み潰した顔で奴をため息混じりに待つ。クラスで仲の良い中野がオレに「"彼氏"はまだ来ないのか?」とからかい、オレが中野の尻を蹴ったときだった。
「待たせたな!市之丞、参上!」
クラスに失笑が起こる。中野が小声で「お熱いことで」といたずらな笑顔で囁き、オレは離れていく中野の背を横目で睨む。市之丞は、失笑していた女子生徒に「あれ?結構面白かった?どう?」なんて軟派に尋ねながらオレの方に向かってくる。オレは着席して奴を待った。一通り目当ての女子と話したのか、奴がオレを見た。
「黒名!サッカーしようぜ!」
日曜にやっている国民的家族アニメを彷彿とさせる掛け声でオレに向けた第一声を発した。
「うるせえな。ちょっとお前に用がある。着いてこいよ」
オレがそう告げて、廊下に向かうと市之丞は「おう!遂にやる気になったか!」と嬉しそうな大声で応じた。クラスが少しどよめき、背中に刺さる視線が恥ずかしかった。階段の踊り場まで行き、立ち止まって奴に話しかけた。もはや、市之丞はその気になっており、今にも「やっとやる気になってくれたか」とでも手を握ってきそうな顔をしていた。
「お前、『Alice』って知ってるか?小物屋」
「えっ、シザース?勿論!」
「バカ、フェイントじゃねえし、聞き間違えにしては遠すぎるだろ。なんでもサッカーに繋げんな。小物屋だ」
「知らんな。何を売っているんだ?小物なら脛当てか?」
「だから、サッカーじゃねえよ、バカ」
「サッカー用品を買いたいなら、オレが一緒に行ってやる。黒名も離れて長いから最近のトレンド知らんだろ?連れて行ってやるよ。そうだ。なら、前に一緒に行ってたヒロスポーツが一番良いな。あのオジサン、なくても取り寄せてくれるしな」
「いや、サッカーしねぇよ!」
「なに!?ちょっと待て!どういうことだ!?」
「サッカーしねえよ」
「ええ!?ちょっと待て。ちょっと待てよ!」
「何回待たせんだよ、バカ。お前と話してんのは、お前に聞きたいことあるからだよ」
「いや、待て!」
「なんだ?」
「サッカーする決心をしたんじゃないのか?」
「してねえよ」
「ちょっと待て!サッカーやるんだよな?」
「しねえよ」
「待てよ!サッカーするんだよな?」
「しねえよ!聞き方の問題じゃねえよ。何『聞き方悪かったかなあ』みたいに誤解してんだよ。やらねえという事実は変わらねえよ」
「嘘だろ、黒名?嘘だと言えよ!」
市之丞はまるで役者の様にオーバーな表現で俺の肩に掴みかかる。オレはそれを振り解いて、制服によった皺を撫でる。
「今までもずっとやらねえって言ってただろうが」
「確かに」
「そこは認めんのか…。んで、お前は『Alice』を知らんのだな?」
「オレが知ってるのはヒロスポーツだけだ」
「ジャンルが違えよ」
オレは顰めっ面をして、頭をモシャモシャと掻きむしった。やはり、会話にならない。そんなコイツから、どうやって神谷の情報を得るかを一瞬で導き出そうと思考してみる。そんなオレを見て、市之丞は嬉々とした顔をした。
「どうした?やっぱサッカーしたくなったか?」
「うるせえ、黙れ」
「黙らん!サッカーをするといえ、黒名!」
次の犯行がいつ行われるか、誰が被害者となるか分からない。時間がないといえばない。葵の関係者が犯人だとすれば、芽衣が対象になることもあり得るのだから。オレは深くため息を吐いた。
「市之丞、お前神谷大地と仲良いよな?」
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