第5話

 オレは半ば夢見心地で、芽衣の元へと戻った。そして、平静を装って芽衣に片手を上げて無事に戻ったことを示した。


「大丈夫!?遅かったけど…。心配したんだから!」

「ん、ああ。あったぞ、『Alice』。行くか?」

「ちょっと〜。『心配かけてごめん』の一言くらい言いなさいよ!」


 そう言ってエルボーでオレの腹を打った。


「グヘッ」


 いつも通りのやり取りに何処か胸を撫で下ろしながら『Alice』に向かった。扉を開けると、あの猫達は人間に化けており、オレは本当に夢だったのではないかと先ほどのことを思い返していた。グランマは老婆姿で微笑み、呟く。


「いらっしゃい」



---

 ここが鏡の世界。

 鏡の世界は曇り空の様に薄暗く、ビルほどの大きさのアフリカの蟻塚を思わせる構造物が散立していて、そこを泥団子のようなスライムのような奇妙な物体が跋扈していた。オレは生唾を飲みながら尋ねた。


「これは…?」

「人よ」

 グランマは悠然と答える。オレは信じられずに、「ヒト?」ともう一度説明を求めて聞き返した。それに先程の男猫、グレーの鋭い目の猫が応じる。


「そうだ。ただ、正しく言うならば、"別の次元から見た"人と呼ばれるものであり、概念的には人の魂と言って過言ではない。この鏡の世界は、言うなれば"γ次元"。人の住む三次元とは別の次元軸に因る空間だ。故に、認知が異なるため、人間界の形とは大きく異なって見える。我々猫は、その鏡の世界と人間界の狭間に生きる使者であり、門番でもある」

「つまりは、まあ平行世界っていうことだニャ」


 混乱しているオレに、肩のシャム猫が少し困り顔でグレー猫の説明を噛み砕いてくれた。そして、こっそりと「ノグは難しく固い男ニャリ。許してやってニャ」と耳打ちした。グレー猫は、不服そうに鼻息を鳴らした。グランマが彼らの説明を引き受けた。


「あの泥団子みたいなものは、人の魂。だから、そこに影響を与えれば、人の性格を変えることが出来る。盗まれたのは、私たちが居なくても鏡の世界に入ることが出来る特別な"鍵"よ」


 流石に混乱状態のオレでも事態の深刻さは理解出来た。オレは生唾を飲んでから、グランマを見つめる。


「魂は自由自在に変えられるのか?例えば、善良な人を人殺しにするとか」

「ええ、この世界に慣れて、魂の変え方が身につけばね」

「だが、そもそも普通の人間は自在に鏡の世界に入る事は不可能であり、魂に触れる事は一生無い。なぜなら、この空間に入るには、門番である我ら猫と共に入る必要があるからだ。しかし、"鍵"はあらゆる鏡を門に変えられる。故に、我ら門番が不在であるから"門番の掟"を無視した、不秩序な人の魂の変更が可能となるのだ。それは即ち悪意に依れば、人の世に破滅をもたらす」

「ちなみに、そんなことにならないように、私たち猫は鏡の世界の秩序を守っているニャリ」


 三匹の猫に説明を受けながら、オレは探偵役の意味を理解した。グランマの占いによれば鍵を盗んだ犯人はオレの学校にいる。そいつを突き止めて鍵を取り返して欲しいというのが猫達の依頼だった。


「だが、待ってくれ。その"鍵"がアンタたちのだという証拠はあるのか?もしかしたら、アンタ達が悪巧みをしている側だという可能性もあるだろ?」

「ふふっ、いい反応ね。こうして自由に入れるのに、どうして"鍵"が必要?」

「…。たしかに」

「"鍵"を手に入れたら渡すか渡さないか貴方が決めれば良いわ。私たちは猫。護身用にドライヤーでも持っておくと良いわ」


 そう言ってグランマはクスクスと笑った。オレはどう反応すればいいのかわからず、「ドライヤーなんて持ち歩けないだろ」というツッコミを飲み込んで、困ったときの愛想笑いをした。


 こうして事件の幕があけたのだった。

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